学び!と共生社会

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教科教育とインクルーシブ教育(2) 図画工作、美術教育をめぐって①[対談:跡見学園女子大学教授 茂木一司先生]
2022.03.25
学び!と共生社会 <Vol.26>
教科教育とインクルーシブ教育(2) 図画工作、美術教育をめぐって①[対談:跡見学園女子大学教授 茂木一司先生]
大内 進(おおうち・すすむ)

 この欄では、新たにインクルーシブ教育と教科教育について探っていくことにいたしましたが、その第一弾として、「図画工作」、「美術」の教科を取り上げることとします。
 昨年末、筆者も関わっているのですが、跡見学園女子大学(前群馬大学)の茂木一司先生を中心に『視覚障害のためのインクルーシブアート学習 基礎理論と教材開発』(*1)という書籍が出版されました。この書物では視覚障害からスタートしていますが、小学校、中学校のアートにかかわる教育や学習につながる様々な提案がなされています。
 そこで、この書籍の紹介とともに図画工作及び美術教育とインクルーシブ教育について考究するために茂木一司先生をお招きして対談を行いました。
 その内容を、今回と次回の2回にわたって紹介させていただきます。

はじめに

【大内】 本日は茂木先生をお招きして、この書籍の紹介と共に「図画工作」および「美術」教育とインクルーシブ教育について考えていきたいと思います。それでは、茂木先生にお話しいただきたいと思いますが、自己紹介からよろしくお願いいたします。

跡見学園女子大学教授 茂木一司先生【茂木】 跡見学園女子大学の茂木です。群馬大学、その前は鹿児島大学に勤めていましたが、定年1年前に跡見学園女子大学に移りました。40年以上、美術科教員養成に携わってきています。
 視覚障害者との出会いの最初のきっかけは恩師の高山正喜久先生が紹介してくれた福来四郎さんの本でした。福来さんは、視覚障害美術教育分野のパイオニア的存在です。インパクトの強い(粘土の)作品の写真がたくさん載っていて、視覚がある人が作ったのではないような特色、目が見えないということを強調した作品がたくさん並んでいて、強い衝撃を受けました。その後、障害も含めたいろいろな表現に興味を持って、美術教育の研究を続けてきました。中でも、視覚障害は、ビジュアルアートである美術から見れば一番遠い遠いところにありますが、そこにずっと興味を持っていました。1990年にイギリスに1年間留学するチャンスがあって、レイチェル・メーソン先生がいらっしゃるレスターポリテクニック、今のデモントフォート大学で在外研究に携わりました。当時、隣のレスター大学には、美術教育をやっている目の見えない先生がいて、その人を訪ねて行ったことがあります。彫刻を触る鑑賞では音で聞く器具を使って何でもやっていて、それも(新しさに)びっくりしました。
 イギリスから帰ってきて、1991年には、群馬県立盲学校で大変優れた取り組みをしていた多胡宏さんの実践を紹介したいと思い、共同で美術科教育学会にて発表し、論文にしました。この時に僕が書いたのは年表の部分でしたが、視覚障害美術教育では、おそらく最初の論文と言えるものでした。それ以降もこの分野を専門とする研究者は皆無で、視覚障害美術教育に関する研究はほとんどなく今に至っています。
 こうしたアカデミックな研究が遅れているということや、盲学校には普通の人が訪ねることがないということもあって、この分野が見えにくくなっていました。非常に豊かな実践が全国でたくさん展開されていることがあまり世間に知られてこなかったと言えます。この本はそうした豊かな実践を紹介することをターゲットにしてまとめていったものです。
 しかし、この本の出版記念として、4回にわたるオンライントークイベントを開催したところ、160名を超える申込があり、毎回100名を超える参加者がありました。時代の変化というか、多様性の時代と言われる、その時代に対応した皆さんの敏感さ、興味関心の向上に驚きました。

本書の出版の趣旨

【大内】 ありがとうございます。視覚障害関係のイベントですと数十名集まれば盛況という感じですが、教科教育ではメインとは言えない図画工作、美術関係のイベントにこれだけの人が参加したということは意義深いことだと思います。それでは早速、この度出版された本書の趣旨について簡単にご紹介いただけますか。

【茂木】 本書の出版の動機はお話ししましたが、視覚に障害がある児童生徒が本当に使える図工美術教育教科書や指導書が出版されていない状態が長く続いています。これはやっぱり問題ではないかということからスタートしました。出版されているが使いづらいではなく、そもそも出版されていない状況は、強く言えば差別です。この差別的な状況を多少でも解消する必要があるだろうと思っていたのです。
 最初は現行の教科書の題材を使って、一つのプロトタイプを作ってみようと思ったのですが、全部を教材化することは大変な作業となり、必ずしも適切とは言えないので、とりあえず、基礎的なものをどうやって整備するかを考えて、題材のデータを収集して、次の世代の人たちに手渡していく必要があると考えました。僕の美術教育研究もそろそろ終わりになるので、次の人たちに手渡す資料を残していきたいと思いました。
 もう一つは、1990年代に視覚障害美術教育が盛んな時期がありました。そのころ活躍したリーダー的な人たちが定年退職を迎える時期にきていて、蓄積されてきた盲美術教育の専門性が急激に失われています。教育では個人的な実践が引き継がれるのが難しいということはよくありますが、そういうものを拾い集めておく必要があるということもありました。
 それから、盲学校は一般に公開されているわけではなく、閉ざされています。視覚障害の人がいつも身近にいるということもありません。そのため、障害者の方は、社会から隠されている存在なのです。そこで障害児教育、障害者に対する障害理解教育の必要性、この本に即していえば視覚障害の理解教育の必要性が生まれてきます。
 一般の人たちが知ることがもっと進めば、たぶん皆さんも興味を持ってくれて、この分野がもっと発展していくのではないかと思いました。
 それは、大内先生と3年前にイタリアに行った時に、イタリアのフルインクルージョンを見て強く感じたことです。イタリアが50年間経験しているこの蓄積は、日本とは比較できません。すでに、ワンクールが終わって、ツークール、スリークールくらいの時代にイタリアは進んでいます。イタリアは何か、イメージ的にはちゃらんぽらんな感じがしますけど、とんでもない。我々より一歩も二歩も進んでいると考えた方がよいのではないかと思っています。ここが大変重要だと思うのですが、見えるとか見えないとかにかかわらず、アート、つまり自由に表現してそれを誰かに伝えていくことは、人間であることそのものであって、これを義務教育で補償するのは当然だ、と考えているということです。これが、この本の理念になると思います。
 盲美術教育の過去/現在/未来をきちんと位置づける必要があるので、少し歴史的なことを補足しておきます。1984年に渋谷に視覚障害者のための美術館「ギャラリーTOM」ができて、ロダン展などの触れる美術展が全国巡回をして、「ギャラリーTOM」で全国の盲学校の生徒作品公募展を実施するなど、その後10年ぐらいの間は盲美術教育が盛んだった時期だと言えます。たとえば、千葉県立盲学校の西村陽平さん、沖縄県立盲学校の山城見信さん、群馬県立盲学校の多胡宏さん、香川県立盲学校の栗田晃宜さんなど、僕と同年代かそれ以上の教員が活躍していました。こうしたリーダー的な教師の実践や考え方を記録しておく必要を感じたことも動機の一つになります。

本書の概要紹介

【大内】 この本の理念がよく理解できました。イタリアでは柔軟に対応することでフルインクルージョンの課題を乗り越えてきていると思います。そう意味では外を知ることで内に活かすことも大事になってきます。そうしたところも今回の出版には活かされているかと思います。
 次に本書は、理論編、実践編、資料編で構成されていますが、それぞれの編を簡単にご紹介ください。

【茂木】 視覚障害に関する美術教育の出版は、たぶんこの本が世界で初めてだろうと思います。最初で最後になるかもしれないということから、視覚障害美術教育の基礎、基盤づくりとは何かを明示したいと考えました。そのため、現時点でのあらゆる知見や可能性を盛り込もうと欲張った編集にしたこともあり、当初の計画より分厚い本になってしまいました。「インクルーシブアート教育」は、僕が作った造語ですが、この理念は後述します。
 理論編について
 理論編の基盤は、障害とは何か、視覚障害とは何かということがメインになります。私たちは障害を区別して「障害者」「健常者」と分けますが、それが一番のキーになると思います。その理解の仕方が大事だと思って、インクルーシブという言葉にしました。普通なら「視覚障害の美術教育」でよいのですが、「インクルーシブアート教育」あるいは「インクルーシブアート学習」としたのはわざとです。あえてそうすべきだと。今後、日本の障害児教育はインクルーシブ化すべきだというのがこの本の大きな主張なのです。
 そこで、必要な基本的な知識の整理、歴史、数理データに基づく現状分析、カリキュラムや自立活動、社会へ出てからのアート活動、外国の現状(欧米の美術館、中国や台湾)などを盛り込みました。それから、視覚障害当事者にもなるべくたくさん関わってもらおうと考えて、国立民族学博物館の広瀬浩二郎さんに、2020年の「京都グラフィー」の触図を作った経験をユニバーサルミュージアムの考え方にマッチングさせながら執筆していただきました。
 それから、読むのに飽きないように、視覚障害当事者による映画づくりについてのコラムを入れたり、福岡で障害児の美術教育に関わっているのえみさんのマンガを入れたり、座談会を入れたりなど、バラエティーに富んだ構成にしました。
 実践編について
 実践編は、非常に分量が多いので全部は紹介しきれないのですが、「分けない」がキーワードになっています。学習指導要領では、領域を「表現」と「鑑賞」に分けています。かつてはあまり分けない時代もありました。今は結構明確になっていて、「鑑賞」をすごく強調しているので、ある意味余計に分かれている感じがすると思います。しかし、実際には「見ること」と「つくること」を分けて美術をやっている人を見たことがないです。「鑑賞」だけで終わってしまう鑑賞の時間はとても寂しいと思っています。だから、この二つを融合して、トータルとして美術教育を考えていくことを再提案したいというのが主旨になります。
 全体として分けないというのは、先ほどお話しした障害の有無で基本的に分けない、視覚障害で言うと見える見えない見えにくいというのを分けない、もちろん見える見えない見えにくいというのはありますが、それぞれの特性をきちんと認識しながらお互いに助け合っていくとか、意識し合っていくとかを考えていく中での学習や教育をイメージしています。
 また、教育の現場では「こんなことやるとこんな面白いものができますよ」という発想が非常に強く出ている取り組みが見受けられます。(理念のない)表面的でバラバラな美術教育は形だけをまねする危険なものです。そこで、面白教材の紹介に終わらないように、学びのプロセスがきちんと明らかになるように配慮しています。それは今の学習論、すなわち学習科学と呼ばれる考え方に則っていると言い直してもよいかもしれません。
 僕はワークショップの研究をしてきたので、学びのワークショップ化やそれに続くプロジェクト化を考えています。そこでは、一つの題材が次々に開放的に展開されて大きな流れを作り、後で見ると大きな塊になっているようなものです。ワークショップでは、作って、語って、振り返る。それは活動と評価を一体化すると言い換えられるかもしれません。あるいは、評価は先生が児童生徒に対して一方的にすると考えがちですが、最近の専門的な評価論研究では、当事者が参加する参加型評価と言われるものが出てきています。その意味は、いわゆる障害児の主体的な学びを積極的に図ろうという意図になります。
 しかし、最初から子どもが一人でやっていくのは無理ですよね。国語を学習するのに「あいうえお」を覚えたり、算数を学習するのに加減乗除から始めたりするのは当たり前で、そういった基本的なことを押さえるということも踏まえています。大内先生に書いていただいた部分は非常に象徴的ですが、「撫でる」「指先をこまめに動かす」といった手の使い方のプロセスが科学的に見て触認知にどのような効果を生んでいるのかをきちんと書いていただいています。
 芸術、美術教育というのはどうしても、感覚や感情だけだと思われがちですが、実際はそうでないです。レオナルド・ダ・ヴィンチを例に出すまでもなく、科学と芸術はもともと融合したもので、そういう考え方もこの本には入れています。つまり、現代の科学一辺倒でもなく、感覚的な教育一辺倒でもなく、その両方、科学と芸術の両端をきちんと踏まえていくということです。今の考え方はどうしても二元論的になる傾向がありますが、そういうものを乗り越えていこうと、視覚障害教育で言えば、触る/触らない、イメージ/言葉などが対立的に捉えられがちな状況を何とかしようと考えています。
 実践編の内容は多いのですが、基本的な視覚障害美術教育の粘土の学習から描画で言うとレーズライター(*2)などの利用から始まって、少し挑戦的に色彩学習では特に混色を取り上げました。絵の具では触ってもわからないので、それが光の混色なのだと、つまり目をつむれば色がなくなるわけだから、光がないと見えないということをどうやって見えない人たちに伝えるのかという実験をして、それを加法混色の題材化につなげました。あるいは触れる12色相環や触れる色立体模型をつくって色彩理論を学ぶ方法の開発などを示しました。実際どれだけ効果があるかは、今から検証が必要なのですが。
 さらに、現代美術の題材化です。いわゆる新しい美術とは何かを考える視点を端的に示すのは、「もの」と「こと」いう考え方です。美術は、作品としての「もの」を作ると考えがちですが、今、美術は「こと」づくりに変わってきています。あるいは(ニコラス・ブリオーの)「関係性の美学」という言葉(考え方)がありますけれど、美術教育は今「関係性=コミュニケーションの学習」に大きく変化してきました。マルセル・デュシャンの「泉」(1917)の題材化でそのことをこの本に意識的に反映しました。
 それから粘土から始まった視覚障害(盲)美術教育なので、どうしても美術の側面が強調されがちですが、現代社会ではデザインの考え方も重要で、その概念(理解)をどう押さえていくのかも意識しました。これはまだ、なかなか難しく、課題として残っています。
 それから新しいメディア、ICTを使ったメディアアートみたいなものについては、アニメーションをやっている東京藝術大学の布山タルトさんに視覚障害教育の題材を考えてもらいました。大内先生の絵画を2.5次元に翻案した彫刻の鑑賞や、最近美術館で流行っている見える人と見えない人の対話型鑑賞などの紹介も取り上げました。
 最後に盲学校の現場の先生方が独自に開発し現在授業で用いている題材について、延べ17人合計31の題材を収録しています。
 これらからはリアルな美術教育の現状、いろいろな工夫があるのだということがわかる内容です。実際に使えるものがたくさん載っていると思います。
 資料編について
 資料編も重要です。基本整備のためにはどうしても文献の整理と年表が必要だと思っています。それに追加して、今、美術館がアクセシビリティと言われる取り組みに力を入れ始めていますので、触る美術館の情報も紹介しています。

【大内】 丁寧にご紹介いただきありがとうございました。本書が視覚障害教育のための内容をメインとしながらも、インクルーシブ教育システムの構築に関わって、通常の小学校や中学校における図画工作や美術教育の実践にも役立つ知見や考え方が示されていることがよくわかりました。
 次号では、「共生社会構築の基礎としてのアート/教育」、「当事者が主体的に自分でつくる学び」、「分けない」というキーワード」を軸に、インクルーシブ教育と図画工作・美術教育について伺いたいと思います。

(前編ここまで)

*1:茂木一司(編集代表)、大内 進、多胡 宏、広瀬 浩二郎(編)『視覚障害のためのインクルーシブアート学習 基礎理論と教材開発』、ジアーズ教育新社、2022.
*2:レーズライター 視覚障害者用が文字や図形を書くための筆記用具。ゴムなどの弾力性のある下敷きとその上で文字や線を書くとその筆跡が凸状に浮き上がってくる特殊な用紙がセットになったもので、視覚に障害があっても触覚を使って、筆記した内容を確認することができるものである。