学び!と社会

学び!と社会

授業にお役立ち!② 社会科とESD(2)
2022.10.31
学び!と社会 <Vol.11>
授業にお役立ち!② 社会科とESD(2)
大分大学大学院教育学研究科准教授 河野晋也

(1)「私たちに何ができるだろうか」という問い

筆者 ESDの授業や指導案を拝見すると「○○のために、私たちに何ができるだろうか」という問いによく出合います。学んだことを活かして発信したり行動にうつしたりするということは、ESDに限らずこれまでも多く実践されてきました。
 子どもたちの行動の変容を目指すESDの授業においては、何かを理解したり考えたりするだけで終わるのではなく、学んだことを実社会・実生活のなかでどのように生かすかまでを構想に含んでおきたいものです。その点で、上記の問いは、子どもたちが持続可能な社会の担い手として、価値観や行動が変容する契機となり得る問いだと思います。
 ただ、ESD=「何ができるだろうか」を考える学習、という見方がされているように感じることもあります。価値観と行動の変容を目的とするESDですから、決して間違いだとは思いませんが、この問いに至るまでのプロセスや問いの質について、十分考えておかなければ、その後の行動化は、その場しのぎの形だけの取り組みに留まってしまうのではないかと危惧しています。

(2)問いの質を考える

 日々子どもたちと向き合われている先生方は、どのような問いが学びを促し、または停滞させるかということはよくご存じだと思います。問いの質について書かれている本も少なくありません。たとえば、『問いのデザイン』(安斎勇樹・塩瀬隆之、2020)という書籍のなかでは、うまくいかない課題設定の共通項が紹介されています。上記の「何ができるだろうか」という問いの質を考えるうえで参考になるのではないかと思いますので、いくつか知見をお借りして、考えてみたいと思います。
 ESDの授業実践であっても、最初から「なんとかしなきゃ」と思っている子どもばかりではありません。そのため、社会的事象について自分ごととして考えられるよう、授業者は様々な工夫をします。その際、切実感をもたせたいと思うがあまり、ネガティブな課題や、大きな課題ばかり取り上げてしまうことには注意が必要です。深刻な状況ばかりを見聞きすると、前回も述べた通り子どもたちは疲れてしまいます。過度な不安感をもたせないような配慮が求められます。大きすぎる課題についても同様で、あまりにも問題のサイズが大きくなったり、子どもとの距離(物理的な距離とは限りません)が離れすぎたりすると、太刀打ちできなくなります。そう考えると必ずしもSDGsに結びつけようとしなくてもよいのかもしれません。むしろ、身近な地域を見つめ直すこと、それこそ社会科で取り扱う身近な自然や産業、安全・安心な生活を支えるしくみなど身の回りのひと・もの・ことのなかから、「ふしぎ」や「すてき」を見つけて掘り下げていくことは、小学校社会科らしいESDの取り組みを生むのではないかと思います。
 また、問いかける際に優等生的な答えを求めすぎていないか、ということも重要な点だと思います。授業中「何ができるか」を問われたとき、「そんなこと考える必要はない」と答えられる子どもが、学級にはどれくらいいるでしょうか。そういう発言は問題をじっくり見つめ直すチャンス、問題の本質に迫るチャンスを与えてくれます。近年、持続可能性の重要さが多くの人に認知されていることは、とても素晴らしいことです。その一方で「なぜ取り組むのか」ということを考える機会が少なくなったということでもあります。
 さらに、問いに対して正しさを追い求めすぎると、特定の立場の視点に偏った見方をしてしまうことがあります。ある立場の人から見ればより良い社会の在り方であったとしても、別の立場の人から見れば決して望ましい社会とは言えない場合が多くあります。公害問題も、プラスチックごみの問題も、そしていまだになくならない戦争の問題も、様々な立場の人がいるからこそ解決しがたい複雑な問題となっています。他者の立場や考えを考慮せずに行動化をすることは、多様な考えを排除することになりかねません。なかには、あなたにとって受け入れがたい考えもあるかもしれませんが、その他者にとっては、その人なりに正当な理由があるのかもしれません。その視点に立って初めて、問題の本質が見えてくるし、解決の見通しがもてるのではないでしょうか。場合によっては、自分自身のなかにも「望ましい行動を選択できない他者」がいることに気づくこともあるでしょう。

(3)「何ができるだろうか」に向かうために

 質の高い問いとは何か、問いを立てるときにどのようなことを注意すべきか、と10人の先生に尋ねたら、10通りの答えが見つかりそうです。きっともっと多くの留意されていることがらがあると思いますし、ここまでに書いた例が問答無用で良くない問いというわけではないでしょう。たとえば、小学生が、地域や国を越えた壮大なプロジェクトに関わることだって、あってよいはずです。問いは、子どもたちとそれを取り巻く状況によって善し悪しが変わるものとも言えます。
 ただ「何ができるだろうか」という問いに子どもたちが向かっていくためには、十分な準備が必要であることは確かだろうと思います。特に私が懸念するのは、子どもたちの認識や問題の捉え方が深まらないうちに、安易に「できることを探す」取り組みに向かってしまうことです。もちろんまず実践してみて、経験をもとに考えを深めていくという方法もありますので、順番が問題というわけではないと思います。要は、子どもたちがひと・もの・ことをどのように捉えていたか、そしてどう捉え直したか、という認識の変容がカギになると考えています。ESDの目的のなかにある価値観の変容と関わる部分であり、行動化に先立って不可欠な学習ではないでしょうか。次回は、この点について考えてみたいと思います。

【参考文献】
・安斎勇樹・塩瀬隆之(2020)『問いのデザイン:創造的対話のファシリテーション』学芸出版社