学び!と共生社会

学び!と共生社会

「新居浜市出身全盲の東大教授 星加良司さん~点字とともに歩んだ道~」と共生社会
2023.04.25
学び!と共生社会 <Vol.39>
「新居浜市出身全盲の東大教授 星加良司さん~点字とともに歩んだ道~」と共生社会
大内 進(おおうち・すすむ)

 この3月10日(金)から3月31日(金)まで、愛媛県新居浜市立別子銅山記念図書館の開館30周年記念の読書バリアフリー特別展示として、「新居浜市出身全盲の東大教授 星加良司さん~点字とともに歩んだ道~」が開催されました。筆者は、会期終了間際にウェブでこの情報を得、夜行バスで新居浜に赴き、見学をしてきました。
 星加良司(ほしか りょうじ)さんは、5歳の時に小児がんで全盲となりました。小学校、中学校、高校と新居浜市内の通常の学校で学び、東京大学への進学を果たしました。現在、東京大学大学院教育学研究科バリアフリー教育開発研究センター教授として、「障害者を無力化する社会的な諸関係・諸編成に関する研究」を行っていらっしゃいます(*1)
 今でいうインクルーシブ教育になりますが、一貫して通常の学校で学び、東京大学に進学した星加良司さんの歩みは、これまでもマスコミ等を通じて知ることができました。しかし、直に資料等に触れる機会はありませんでした。 この展示を見て、改めて共生社会を実現していくためには、インクルーシブ教育の体制整備で常に矢面にたたされている「教育の公平性」や「コスト」の課題について真摯に向き合っていかなければならないと感じました。そこで、今回は星加さんの事例を紹介するとともにこのことを考えてみたいと思います。

地域の学校で学んだ星加さん

 星加さんが通常の小学校へ入学したのは1982(昭和57)年。当時はまだ、「統合教育」という言葉が用いられていた時代です。通常の学校に通う星加さんは、しばしばマスコミでも取り上げられていました。NHKは、星加さんが小学校に入る前から大学入学までを長期取材し、1994年に『良司君、旅立ち ~全盲大学生、18年の記録~』を放送しています。この番組では、星加さんが小学校から高校まで通常の学級で級友と一緒に学校生活を送った日々が描かれていました。2020年3月15日には、星加さんと東ちづるさんが、この映像を見ながら、多様性社会に向けて何が必要か語り合う「あの日 あのとき あの番組 共に生き共に支える~多様性社会へのメッセージ~」という番組も放送されました(*2)

展示のインパクト

 筆者が関心を持つのは、全盲で通常の学校に学び、ストレートで東京大学に入学したという快挙もさることながら、小・中・高と12年間にわたって、どのような環境で学校生活を送り、知力を培ってきたかというところにあります。
 星加さんの学校生活の様子は、ドキュメンタリー番組などを通して断片的に知ることができていたのですが、使っていた教材やノートを具体的に知る機会を得ることができないでいました。
 意気込みだけでインクルーシブ教育が成就できるものではありません。視覚活用に制約がある場合、周囲の人々は点字の教科書や教材を準備し、さらには、視覚情報を補完する触覚や聴覚教材を整えたり環境を整備したりして支援する必要があります。また、当事者としての本人は、視覚活用を前提としている学友と共に学び生活していくために、視覚に頼らないコミュニケーションテクニックを身につけることも必要になってきます。そのことを実感するためには、使われていた教材やノートなどを直に確かめる必要があります。
 今回の企画展示は、星加さんが実際に使っていた点字辞書や点字絵本などが新居浜市立図書館に寄贈されたことを契機に開催されたもので、寄贈された点字書籍等だけでなく、手作りの補助教材や問題集、入試模試の点訳、星加さんが記したノートなども展示されていました。展示されている教材を目の当たりにして、教材作成に取り組んだ保護者やボランティアの熱意とそれを受け止め自家薬籠中のものとしていった星加さんの努力とに胸を打たれました。

展示されていた教材やノートに学ぶ

 他の子と同じように普通の小学校で学びたい思いと治療のために自宅からの通学が必要ということもあって、星加さんは地元の新居浜市立宮西小学校に入学しました。
 1975(昭和50)年4月に6人の全盲の児童が公立の小学校に入学したことを契機に、全盲の児童が小学校に入学する機運が高まってきている時期でした。1990年代初めには、小学校に入学するケースが全国で100事例を超えるまでに至っています。
 しかし、その受け入れ態勢は地域によって大きく異なっていました。特別な配慮はしないと宣言して、全盲の子どもを受け入れていた学校もありました。当時の状況下ではそういう選択もあり得たのでした。NHKの番組によると、宮西小学校も「良司君を特別扱いしない」という方針をとったと紹介されていました。特別なことをしないということは、一般には「視覚を活用している子ども」と同じように対応するということになりますが、宮西小学校の場合は、「必要以上に過保護にしない」といった意味合いであったように受け止められます。実際に、学校生活ではさまざまな工夫や配慮がなされていたことがわかります。
 それでも、点字の教科書や触覚教材については、盲学校の入学を選択すれば学校から配付されるのですが、通常の小学校ではそれらを自前で用意しなければなりません。
 母親の澄子さんがそれらの教材作りを一手に担ったのでした。高校では、学校で使用する教材だけでなく、大学入試対応の問題集や模擬試験問題などの点訳も必要になってきます。複数の教科にわたり分量も多くなっています。母親一人の力ではとても応じきれません。全国の点訳ボランティア300人がサポートしたということです。
 展示されていたのはそうした教材や問題集、そして星加さんのノートや作品類でした。
 写真①は、星加澄子さんが作成した教科書の一部です。

写真① レーズライターと切り抜きで作成した手作り教科書の一例(筆者撮影)

 レーズライターという、ペンで描いた線が凸に浮き上がる特殊な用紙に文字や絵を手書きし、絵などは輪郭線だけでは触認知しにくいので、必要に応じて紙を切り抜いて貼り付けてあります。低学年の教科書はグラフィック情報が多いので、大変な作業になります。
 良司さんはというと、指先でその教材を読み取り、レーズライターを使って、点字だけではなく普通の文字や数字でも問題に解答したり、ノートをとったりしていました。
 普通の文字の読み書きの不便さが点字の発明につながっているにもかかわらず、そのことは考慮されていなかったということでしょうか。これは、当時通常の学校に入学した全盲児の多くが洗礼を受けた「統合教育あるある」の一つでもあります。そのため、小学校低学年で通常の学校での生活をギブアップしてしまい、中途で盲学校へ転校せざるを得なかったという事例も少なくありませんでした。星加さんの場合は、逆にこれを貫き通したのです。普通文字を使いこなしただけでなく、点字も自力でしっかりマスターしていることも展示されていたノートからわかりました。星加さんは、全盲であっても普通の文字を読み書きして学習出来ることを示してくれました。
 写真②は、星加さんが普通の文字で書いた数学の方程式の解答の一部です。

写真② 普通の文字で書いた方程式の解答(筆者撮影)

 明確に視認できる文字で解が記されていることがわかります。盲学校の教員であれば、驚きを越してあきれるに違いありません。点字で処理できるのに何という無駄な労力を費やしているのかと。通常の学校の配慮のない環境では、かくも過酷な努力を強いられるのかと捉えられるかもしれません。ですが、星加さんの場合は、ストレスを超克した営みになっていたのではないでしょうか。
 かつて、凸図を触って、それを模写することが上手な全盲児童に出会ったことがあります。その児童も全く配慮をしないということを前提に通常の小学校に入学し、高学年になるまで日々、レーズライターで読み書きして学習に臨んでいたのでした。盲学校では無理とみなされていた普通の文字の読み書きや描画が、通常の学校にいることで身につけることができていたのです。皮肉なことではあります。

共生社会におけるマイノリティへの対応と配慮

 障害がある児童生徒が通常の学校で学習や生活を営んでいくためには、さまざまな工夫や配慮が必要となります。視覚障害、とりわけ全盲の場合は、情報を保障するためにより多くのコストが発生することになります。
 星加さんの場合は、国の教育制度にとらわれないで通常の学校で学ぶことを選択したために、1980年代には、そのコストをほとんど自分で負担しなければなりませんでした。展示されていた自作の点字教科書や教材は、圧倒されるものでした。これだけの負担をやりぬいたということに驚嘆するとともに、その熱意とエネルギーに敬服しました。他方、家族や支援者がこれだけの無償の労力をつぎ込まなければ、通常の学校生活を支えることが難しかったということを痛感させられました。
 現在は、いわゆる「合理的配慮」がなされるようになってきて、事情は変わってきていますが、それでも、全盲児童が通常の学校に就学するためには、「合理的配慮」の範疇にはおさまらない「配慮」が必要となります。
 「インクルーシブ教育システムの構築を目指した特別支援教育体制」に移行してからは、就学先は保護者や本人の意向を最大限に尊重して決めるということになっています。
 「配慮」の困難性から、全盲児童生徒の就学に際しては、自治体の対応にも温度差があるようですが、依然として視覚特別支援学校(盲学校)を勧められることが多いようです。いずれにしても、全盲の児童生徒が通常の学校で学ぼうとすると保護者にかなりの負担がかかることを覚悟しなければならない状況は続いています。
 また、全盲児の出現率が低くなっているという事情も考慮する必要があります。令和3年度の文部科学省の統計では、全国の視覚特別支援学校に在籍する義務教育段階の視覚障害児童生徒数は887人(小500、中387)となっています(*3)
 そのうちの約50%は重複障害が占めていて、小・中学校の教育課程で学ぶ全盲児童生徒の数はさらに少なくなります。1学級在籍者1~2人の学級が圧倒的に多く、欠学年がある学校も少なくありません。つまり、現在の視覚特別支援学校は、残念なことに集団の確保が難しくなってきているのです。全盲児の地域の学校への就学希望が、無理からぬ状況になってきているともいえます。
 通常の学校に在籍していても適切な配慮があって、そこで生き抜く力を育てていくことができれば、障害の有無にとらわれることなく力を発揮できる可能性があることを星加さんは証明しました。また見方を変えれば、家族や本人が強い意志を貫いたからこそ、今の星加さんがあるといえるかもしれません。
 全盲者は、マイノリティである障害者のうちでもマイノリティです。これから誕生するかもしれない第2第3の星加さんに道を拓いていくためには、より大局的な視点からマイノリティが社会の資源として活躍できるような仕組み作りも進めていく必要があるように思いました。
 「公平性」や「コスト」にとらわれすぎると、マイノリティはさらに機会を奪われてしまいます。障害の程度だけを物差しにした「適性就学」に固執するのではなく、個々の状況に応じた柔軟な対応を認め、家族にかかるコストの軽減も含めて、長期的展望を持ってより当事者に寄り添った対応を進めていく必要がある、星加さんの展示は私にそのように語りかけているように思われました。

*1:東京大学 先端科学技術研究センター研究者一覧
https://www.rcast.u-tokyo.ac.jp/ja/research/people/staff-hoshika_ryoji.html
*2:NHKティーチャーズ・ライブラリー「あの日 あのとき あの番組 共に生き共に支える~多様性社会へのメッセージ~良司君、旅立ち~全盲大学生・18年の記録~」
https://www.nhk.or.jp/archives/teachers-l/list/id2021015/
*3:文部科学省 令和3年度 特別支援教育資料 第1部データ編
https://www.mext.go.jp/content/20221206-mxt_tokubetu02-000026303_2.pdf