学び!と美術

学び!と美術

アニメーションづくりを通して、世界とつながる
2023.06.12
学び!と美術 <Vol.130>
アニメーションづくりを通して、世界とつながる
アニメーション研究者・東京藝術大学大学院教授 布山タルト

 今回はKOMA KOMAの生みの親である布山タルト先生にアニメーションづくりでの学びについてお伺いしました。「動き」を表現することは、世界とつながる実感を得ることだと、布山先生は語られます。

2020年12月に国立新美術館で実施した、JAAアニメーション・キャラバンのワークショップ会場にて

人と人をつなぐアニメーションづくり

――布山さんがKOMA KOMAを開発することになったきっかけは、どのようなものだったのでしょうか。

 私は1990年代からアニメーション作家として活動していたんですが、2002年に当時住んでいた岐阜県で「飛騨国際メルヘンアニメ映像祭(2002~2010年)」が開催されることになって、仲間と一緒にアニメーション制作のワークショップを企画しました。そこでつくった装置の一つが、ちゃぶ台の上でコマ撮りアニメをつくる「コマドリアニメテーブル」で、カラフルなボタンなどは今のKOMA KOMAとよく似ています。
 その装置はすごく好評で、何時間もそのちゃぶ台を囲んで楽しそうに作品をつくっている家族もいました。その様子を見ているうちに、なんだか生活とアニメーションが地続きにあって、アニメーションをつくることが人と人をつないでいるように感じられて、自分はこういう場を求めていたんだと気づいたんです。

コマドリアニメテーブル

 それがきっかけで、次第に作品制作からワークショップ実践に活動の主軸を移すようになったんですが、10年間ほどそれを続けるうちに、来場した人しか体験ができないワークショップという形式に、普及の面で限界を感じるようになりました。そんな折、ちょうど文化庁の「メディア芸術クリエイター育成支援事業」の募集が始まって、当時考えていた「アニメーションと教育をつなぐ」というコンセプトのアートプロジェクトを提案して、それが運良く採択されて開発したアプリが、KOMA KOMAの最初のバージョンです。

――「アニメーションと教育をつなぐ」ということでしたが、そのときの教育というのは学校教育をイメージされていたのでしょうか。

 生涯教育のような、もっと広いイメージでした。アニメーションというと、普通は娯楽として受け止められると思うんですが、アニメーションをつくること自体にはさまざまな「学び」がある、ということを提案したかったんです。だから正確には「アニメーションと学びをつなぐ」と言ったほうが適切かもしれませんね。
 ただ、当時の漠然とした野望みたいなものとして、文字の読み書きと同じように、アニメーションをつくることを、すべての人が表現のベースとして学べるようになったら面白いだろうとは思っていました。もし小学校の授業で全員がアニメーションづくりを体験するようになれば、日本の義務教育を受けた人たちは、みんな一度はアニメーションをつくることになりますよね。そんなことを考えていた気はします。
 だから今回、KOMA KOMAをウェブアプリにする話をいただいたとき、日本文教出版という、教科書会社がもつであろう学校に普及させるノウハウに対する期待はありました。

自分でアニメーションの面白さを見つけてほしい

――布山さんがワークショップをされるときに大切にしていることはどんなことですか。

 自分が先生になって教える、という形にはあまりしないようにしています。場だけを提供して、あとは子どもたちに自分でアニメーションの面白さを発見してほしいんです。
 実際、ワークショップでは教えるというより子どもから学ぶことのほうが多いと思っています。子どもたちと接していると、アニメーションにはこういう可能性があったのか、と気づかされるような表現と出会うことがよくあります。たとえば、たった4枚の絵で人類の進化を表現しちゃう子がいたり、カメラをモニターに向けてフィードバックする映像をコマ撮りする子がいたり。素直にすごいなあと思う。はじめから「アニメーションとはこういうものです。」と言ってつくり方を教えたら、そういう表現はなかなか生まれないと思うんです。

カメラで画面を撮影する子

 アニメーションをつくろうとするときに、自分の好きなテレビアニメを模倣することも否定はしませんが、もっといろいろな可能性のある自由な表現だということに気づいてもらいたい。KOMA KOMAが機能的にずっとミニマムなままなのも、自由に使っていい道具としてデザインしているからです。「あなたが工夫すればいくらでも面白くなるけど、工夫しなければ何も始まらないツールだよ。」というメッセージを、アプリに忍ばせているわけです。そういうツールを使ってもらうことで、自然と「アニメーションは自由であっていいんだ。」と気づいてもらえるのが理想です。

「動きの造形遊び」のように考える

 それと大切にしたいのが、鑑賞の時間ですね。完成作品だけでなく、製作途中の映像を確かめてみる鑑賞の時間も大事だと思っています。コマ撮りアニメでは、目の前でいじっているモノと、動かしてみた映像とのギャップがあるほど面白かったりするのですが、まずはそんな驚きを感じてほしい。そしてその動きの意味が、みんなの解釈によって「あんな動きに見える」「こんな動きに見える」というように、作者の意図を越えてどんどん広がっていくのが、鑑賞の面白さ。いわば「動きの見立て遊び」ですね。
 もちろん意図的に動かして意図通りに伝わる、ということにも意味はあります。でも、それはどちらかといえば表現の技術的なこと。専門的にアニメーションを学ぶのであれば必要なことですが、図画工作や美術の教育では、意図しなかった動きや、うまくいかない表現も含めて楽しむ方が、表現へのやる気を後押しすると思うんです。できるだけ偶然性を楽しむ、ということを大切にしたいです。
 あと注意したいのが「コマをたくさん撮ってすごい」というほめ言葉。根気よく頑張った子の努力をほめたい気持ちは分かるんですが、それだけが物差しになると、少ないコマ数で面白い表現をしようとする子が軽んじられてしまいます。表現の価値は、コマ数という量の多さで評価されるべきではないでしょう。少ないコマ数の制約の中で、自分なりに工夫して動きの表現を追求するアニメーションの奥深さに、先生たちにも気づいてもらいたいです。

――「偶然性を楽しむ」とか「自分で面白さを発見する」というのは、「造形遊び」と考え方が似ているように感じました。

 まず1コマ撮影してみて、変化したことを基にして次のコマの展開を決めるというプロセスは、たしかに造形遊びに近いと思います。KOMA KOMAによるアニメーション制作は、いわば「動きの造形遊び」なんですね。
 ちょっと専門的な話になりますが、アニメーションの動きのつくり方は大きく2つあります。まず動きの中の重要なポーズをかいてから間を埋めていく「ポーズ・トゥー・ポーズ」。分業による商業アニメは基本こちらです。一方、KOMA KOMAのようなコマ撮りアニメーションでは、頭から順に撮っていく「ストレート・アヘッド」になります。どちらがいいとか正しいということはないんですが、基本的に前者は計画的で、後者は即興的になりやすい。そして私としてはやはり、即興性のほうが好きなんですね。
 だから子どもたちにアニメーションを教えるときにも、はじめにストーリーを考えさせて、きっちり絵コンテをかいてから撮影するといった、プロの制作工程を真似た指導はあまりしません。それよりも最初は即興的な「動きの造形遊び」を入り口として、そこから少しずつ「動きを見る目」や、動きをつくる奥深さを理解していく。そんな流れがいいと思ってます。KOMA KOMAというツールは、そうした流れの入り口のところの体験を後押しすることに特化して、デザインしているわけです。

世界とつながる実感を得る

――「動きを見る目」というのは、面白いですね。確かにアニメーションづくりをしていると、身の回りのものがどう動いているのか見る目も変わってきそうです。

 「動きを見る目」は、身の回りの動きに関心をもつようになると解像度が上がります。そして、もっと解像度を上げるためには、知識も必要になる。私はアニメーションというのは、アートとサイエンスをつなぐものだと思っているんです。たとえば猫の動きをアニメーションでリアルに表現したければ、猫の習性や骨格といった科学的な知識も必要になってきます。アニメーションをつくることが、そういう勉強のきっかけになればいいなと。
 でも最近ではAIがアニメーションを自動生成するようになってきて、そのうち猫のアニメーションも簡単に生成できるようになるはずです。そういうAIの表現に違和感がなければ、きっとそれで満足してしまって、わざわざ科学的知識を調べようとは思わないでしょう。違和感に気づくためにも「動きを見る目」は大事だと思います。
 今後はアニメーションの表面的な質の高さ――例えば絵が整っているとか、動きが滑らかとか、ストーリーで言えば起承転結がはっきりしていてオチがあるとか、そういう「プロっぽい」表現は、AIを活用すれば誰でも簡単にできるようになるでしょう。だからこそ、これからの図画工作や美術の教育では、先生が表面的な質の高さに目を奪われないように気をつけて、もっと根本的な、表現を通して世界を理解することや、世界とつながる実感を経験させることに、注力すべきだと思います。
 アニメーションづくりで「世界とつながる」というのは、人間だけじゃなくさまざまなモノともつながりを感じるという意味です。何かが動くときの感じ――私はそれを「動感」と言っていますが、コマ撮りで動感の表現に没頭しているとき、私たちは動かす対象と自分の身体を重ねて、一体化しているような感覚になる。それがアニメーションになって「動いた!」という喜びは、自分の身体が世界とつながったという実感なんだと思っています。「アニメーションは絵空事だから」といって、自分が日常的に経験している世界の身体性と切り離してしまえば、世界に対して背を向けた表現になりかねません。私としては、あくまでも世界とつながりながら、アニメーションの表現を楽しんでほしいんです。

――「KOMA KOMA×日文」の開発では、どんなことを意識されましたか。

 まずは、iPad版のKOMA KOMAでやってきたことを維持して壊さないことですね。KOMA KOMAは、とにかく手軽に、アニメーションづくりへの敷居をできるだけ下げることがねらいだったので、今回それがウェブアプリになったことで、インストールしなくてもすぐ使えるというメリットは、とても大きいと思っています。
 ただ、ウェブアプリはネットにつながっていないと使えません。学校によっては、ネットワークが不安定な教室もあるだろうと考え、一度ネットにつなぐと、アプリが端末に一時的にダウンロードされて、ネットが切れても使える仕様にしました。ただそうすると、ウェブブラウザの少ないメモリ容量しか使えないので、コマ数の上限を99コマにしています。コマ数が少なすぎるという意見も聞きますが、それは表現の工夫を促す制約として、ポジティブに受け止めてもらえるとうれしいです。
 あとは今回、色の設計もユニバーサルデザインを意識して改善しました。特別支援教育の専門家である大内進先生のご助言をいただいています。すそ野を広げるという観点から、いろいろな人にとって、より使いやすいツールになることは、私としてもありがいことです。

――多くの人を惹きつける「KOMA KOMA」の魅力とは、どんなものでしょう?

 アニメーションをつくることを表す「アニメイト」という言葉には、元気づけるとか活気づけるという意味があります。アニメーションをつくることは、文字通り人々を元気づけ、活気づけてくれるのです。KOMA KOMAの意義は、そうしたアニメーションのもつ潜在的なパワーに、誰でも手軽に触れられるようにしたことだと思います。「KOMA KOMA×日文」に150万もアクセスがあったのも、きっとそんなアニメーションづくりの魅力に、たくさんの人たちが気づいたからでしょう。

――今後の展望などをお聞かせください。

 今は画像だけじゃなく、音も一緒にコマ撮りできるアプリ「KOMA OTO」を開発しています。目の見える人も見えない人も、一緒に楽しめるアプリです。これからはインクルージョンも念頭において、さまざまな人たちが共にアニメーションづくりを楽しめるようなツールや教材を開発していきたいと思っています。

「KOMA KOMA×日文」は、以下のサイトからどなたでもご活用いただけます。
https://www21.nichibun-g.co.jp/komakoma/

「KOMA KOMA×日文」を含めた、令和6年度版「図画工作」で使用できるQRコンテンツに関しては、こちらからご覧ください。
https://www.nichibun-g.co.jp/r6es_textbooks/zuko/qr/

布山タルト(ふやま・たると)
アニメーション研究者・東京藝術大学大学院教授。
岐阜県のIAMASでメディアアートの研究・教育に従事した後、フリーの映像作家として活動。2000年代以降は国内外で多数のワークショップを実践し、昨今は初等中等教育におけるアニメーション教育やインクルーシブ教育のためのツール開発等に取り組む。2012年公開の『KOMA KOMA for iPad』は累計400万ダウンロードを超える。2021年に日本文教出版と共同でWEBアプリの『KOMA KOMA×日文』をリリース。日本アニメーション学会事務局長。日本アニメーション協会理事。一般社団法人日本アニメーション教育ネットワーク理事。『アニメーションブートキャンプ』ディレクター。博士(学術)。