学び!と美術

学び!と美術

生成系AI時代にこそ図画工作・美術が学びの核になる ~STEAMの“A”を読み解く~
2023.08.10
学び!と美術 <Vol.132>
生成系AI時代にこそ図画工作・美術が学びの核になる ~STEAMの“A”を読み解く~
東京大学大学院情報学環 教授 山内祐平

 情報化社会における学びのあり方を研究されている山内祐平先生に、STEAM教育や生成系AIと学校のあり方についてお話を伺いました。最近話題のChatGPTをはじめとする生成系AIは、さまざまな面で私たちの生活に大きな影響を与えることになりそうです。教育現場での学び方や働き方はどうなるでしょうか。

芸術は孤立した科目

――美術科教育学会でのご講演「STEAM教育・学際的な学習におけるアートの可能性」を拝聴しました。STEAMのA(Art)の役割をたいへん分かりやすく説明されてました。

 STEAM(スティーム)教育は日本でも最近は教育政策用語としてよく使われるようになりました。前身としてSTEM(ステム)教育、つまりScience(科学)・Technology(技術)・Engineering(工学)・Mathematics(数学)があって、理工学分野の教育の拡充と理工学を応用した職業への誘導が趣旨でした。日本でもよく「今からの時代は理系の教育をもっと」と言われてますよね。
 そしてSTEMに“A”が加えられたのですが、「リベラルアーツ」つまり教養を意味する場合と「芸術やデザイン」を指す場合があって、必ずしも定義が一致しているわけではありません。STEAMの“A”の位置付けは人の数だけあっていいと思います。でも、もちろん“A”のとらえ方次第で授業のあり方は大きく変わります。

――山内先生はアートをどのようにとらえられているのでしょうか。

 私は芸術系の教科は、今まで他の教科から孤立する傾向にあったと思っています。でも、今後を考えると、芸術が他の教科とどう共同していくかということが、とても大事なテーマだと考えています。
 アートは、現代の状況を批判的にとらえることができる独自の視点をもっています。それを生かせば、アートならではの新しいSTEAMの形ができると考えて、「体と触覚で考える遠隔コミュニケーション」というワークショップを行いました。
 今、メディアアートでは身体性を意識したり伴ったりした表現が自然になってきています。それに対して、現状の情報コミュニケーションは言語にものすごく依存している。
 ワークショップでは、触覚技術(ハプティクス)を使って、例えば遠隔地で寝ている人を、電話ではなく、遠隔で手を動かすと顔に何かが当たるようにして起こしたり、「ありがとう」「どういたしまして」をスポンジのふわふわした感じで伝えたりしました。それで、振り返りをすると、「既存の方法より触覚のほうが伝わることもある」とか「触覚による伝わり方は自分と相手の関係性によって異なることが分かった」という意見も出て、ワークショップを通じて、コミュニケーションとして今まで当たり前だと思っていた方法に対して「本当にそうなの?」というところに目を向けることができた。アートによって現状を相対化していく視点の獲得ができたかなと思います。

ワークショップ「体と触覚で考える遠隔コミュニケーション」 活動の様子

試行錯誤が許される贅沢な時間

――「芸術という教科が孤立している」と言われました。われわれも現場の先生と話す中で「図画工作って何を学べるの?」という話をよく耳にします。

 つくってみて初めて分かることがあって、それが、図画工作の一番強いところだと思うんですよね。
 工学系でモックアップ(模型)をつくる場合、仕様を決めて機能を組み込んでいきます。アートの場合は目標に向けて一直線ではなく行きつ戻りつ作品をつくります。図画工作でもプロセスの中で新たな問い返しが生まれて、その気付きをアウトプットすることで他の教科とつながっていくことができる。さっきのワークショップの例でいえば、「触覚による伝わり方は自分と相手の関係性によって異なる」ということに気付けたら、もう教科を越境し始めているんですよね。そこからは、例えば、国語の先生が引き取ってコミュニケーションについて考えてもいいし、社会科の先生が情報通信社会について学ぶほうにもっていってもいいわけです。そうやってつなげるじゃないですか。
 試行錯誤の中で何かをつくり出す。その贅沢が許されている教科が図画工作だと思います。その強みを生かしてつなげていくことが、これからの子どもたちの教育にとても必要なことだと思います。
 そのためには、やっぱり実践が必要です。日本の先生は忙しすぎるという大きな問題がありますが、ただみんなやる気はあって、国際的に見てもレベルは高いと思うんです。だから図画工作と他の教科を越境するような実践が増えてくれば、「面白そうだから私もやってみたい」という先生も増えるんじゃないでしょうか。
 だから、そこを是非、教科書をつくっている日文さんが意識していただけると(笑)、だいぶ変わっていくんじゃないかなって気がしますね。

――ですね(笑)。教科書には「未来にこんな学校があればいいな」というのを想像して、試行錯誤しながら身近な材料でつくって提案するという題材があります。

 それはいいですね。図画工作の先生と他の教科の先生が自然に連携するといいですね。

アートの本質は「生きることのとらえ直し」

 他の教科でプロジェクト学習すると、現実の社会課題に直結した「これを解決しましょう」みたいな感じになると思うんです。それは悪いことではありません。だけど、あまり現実の課題ばかり突きつけられると、子どもはしんどいじゃないですか。確かに将来的に子どもが解いていかないといけない課題ではあるのだろうけど、環境問題や地域紛争ばかりがずらっと並んでいたら「もう、かんべんしてよ、先生」ってことになりますよ。
 もうちょっと、つくりだすことが楽しくて、前向きになれる夢のあるプロジェクトがあってもいい。図画工作で、とりあえず未来について自由に想像して、「こういうのがあったらいいな」っていうのを積極的にやるところから始めて、「でも、実際のところどうなの」っていうところを他の教科へ落とし込んでいくというやり方はあるのかなと思うんですよね。
 今まではどちらかというと、そういうプロジェクト型の学習みたいなものは、他の教科が主導して、図画工作はお手伝いみたいなところがあったかもしれない。
 大事なのは、STEAMでは「アートと現代的課題との架橋」すなわち「人間が生きることのとらえ直し」ができるというところです。そもそも、なんで人はアートをやるのかっていうと、作品を売りたいっていうよりも、自分のモヤモヤ、生きることに対するなんだか分からない思いをとらえ直すために、絵をかいたり音楽や詩をつくったりしてるんじゃないかと思うんですね。だから、「とらえ直す」という次元に達すると、もはやそれはアートの本質なんだと思うんですよ。そう考えると、アート、“A”はSTEMに隷属しなくて、主体性を担保できる。だって、ずっと私たち人間はアートによって生きることをとらえ直してきたんだから。

他の知とつながるための「振り返り」

――アートの重要な役割として「感覚から思考へ」ということをおっしゃっていました。このあたりは授業へどう落とし込んでいけばよいでしょうか。

 図画工作の時間、明らかに子どもたちは楽しんでいて、ある種の「感覚」を得ていることは間違いないと思います。そこで終わらせることなく、方向性をもった「思考」へ展開させるところが、これからの図画工作の教育ですごく大事になってくる。
 感じるだけで終わるんじゃなくて、それをなんらかのアウトプット、さっきのワークショップの例だと「コミュニケーションって、こんなやり方があったんだな」と考えるところまでいけるような授業をたくさんして、他の教科とつなげていってもらうということがとても大事。やっぱり「感覚から思考への展開」っていうことを、授業の中にどんどん取り入れていく必要があると思います。

――図画工作の振り返りは言語じゃないといけないのかという議論もありますが。

 どんなに短くても振り返りの時間はとったほうがいいですし、時間をとれないのであれば何かに書いて、壁に貼って共有するというのもいいと思います。ある作品を自分でつくったときに「何を考えたのか」「何を感じたのか」をあらためて考えて言葉にすることが次につながる新しいブレイクスルーを生み出すのだと思います。
 それは、図画工作で学んだ感覚的な意味のネットワークみたいなものを、他の知と接続するためのインターフェース部分になるんですよ。それを図画工作の授業で用意してあげることは、子どもたちが培ってきた意味ネットワークを、将来、成長してから他の知につなげていくときにとても重要なんです。図画工作的には絶対やったほうがいい。

図画工作の授業における「感覚から思考へ」(山内先生への取材を基に編集部作成)

写真:日本文教出版 令和2年度版教科書『図画工作5・6下』p.46-47「ドーリーム・プロジェクト(一部)」

「感覚から思考へ」は人間にしかできない

 これはちょっとお話ししたほうがいいと思っていて。みなさんご存知のとおり、世間は生成系AIで大騒ぎです。
 ChatGPTは、みんなが書いたものを切り貼りして読書感想文を生成できますが、「わたし」のつくった作品の感想は書けないんですよ、だってつくってないから。「自分がこういうものをつくりました」「それに対して私はこう思いました」って文章は自分の感覚、自分の経験から生まれてきた言葉ですよね。それは、AIでは生み出すことができない。
 図画工作でも、きれいな絵をかくだけだったらAIの画像生成を使ってできちゃうわけで(笑)。要するに、形式的に記号を操作して、きれいな作文や絵ができればいいっていう時代は終わりつつあります。これからは、形式的に記号が操作できるだけでは、教育としては不十分ってことになるんじゃないでしょうか。
 これからAIが台頭するからこそ大事にしなきゃいけないことって、「人間の人間らしい部分」、まさにこの「感覚から思考へ展開していく」ってところです。物事の後ろ側にある感覚とか意味みたいなものを、子どもたち一人ひとりが可視化できるようになるということがとても大事になってくる。活動を通じて感覚と思考をつなげていって、その意味が統合されるというところが、図画工作や美術で一番大事なところなんだろうなという気がします。
 そういう意味でも、具体的な経験をもって、この過程を後押しできる図画工作は、今後のカリキュラムの核になりうるポテンシャルを秘めています。とても大事なポジションにあると思いますよ。

ブルーからホワイト、そしてカラフルへ

――大人の意識改革も、大事ですよね。

 せっかく現場の先生がすごくいい授業をしても、保護者の方に伝わらないということもあります。結局、受験に通らないんですよねって言われちゃう。まだまだ大学に行って就職したら一生安泰、というようなイメージも強いですからね。社会全体の意識が変わるには、わりと時間がかかるかもしれない。でも先生方にはぜひその先のことを意識してほしいですね。
 ホワイトカラーはAIの影響を確実に受けます、この10年くらいで。これはもう避けては通れない。だってAIが医師国家試験に通っちゃうレベルなんですから。もちろん間違いもあるけど、学習量を増やせば、どんどん完璧に近づいていく。そこで勝負する時代はもう終わるんだと思うんです。
 大量のホワイトカラーが雇用を支える時代は終わる。でもそれは昔、大量のブルーカラーが雇用を支える時代が終わって、大量のホワイトカラーが発生したのと同じように、大量のホワイトカラーの時代が終わって……何か別の色、何色になるかは分からないんですけど。一人ひとりの個性を生かしてより人間的な仕事がAIと共存する、カラフルな色になるといいですね。

山内祐平(やまうち・ゆうへい)
東京大学大学院情報学環 教授。
大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程中退後、茨城大学人文学部助教授を経て現職。博士(人間科学)。情報化社会における学びのあり方とそれを支える学習環境のデザインについてプロジェクト型の研究を展開している。情報学環・福武ホールの学習環境デザインに対して2008年度グッドデザイン賞受賞。主な著書に『学習環境のイノベーション』(単著、東京大学出版会)、『ワークショップデザイン論 ―創ることで学ぶ』(共著、慶応大学出版会)、『デジタル教材の教育学』(編著、東京大学出版会)、『学びの空間が大学を変える』(共著、ボイックス)などがある。

※令和2年度版小学校図画工作科内容解説資料として扱われます。