学び!と共生社会

学び!と共生社会

ハンセン病と瀬戸内市
2023.10.26
学び!と共生社会 <Vol.45>
ハンセン病と瀬戸内市
大内 進(おおうち・すすむ)

はじめに

 この9月、香川県高松市に所用があり、その帰途に途中下車して岡山県瀬戸内市立美術館を訪問しました。瀬戸内市には、二つの国立のハンセン病療養所があります。筆者は、機会をとらえては、ハンセン病の療養所を訪問してきました。ところが、新型コロナウイルス感染拡大によって、療養所を直接訪問することが叶わなくなっていました。直接療養所を訪問することはできなくても、二つの療養所がある瀬戸内市内で何か情報が得られるのではないかと調べたところ、瀬戸内市立美術館で「木下晋展-生への祈り-」が開催中で、美術館のギャラリーでは、「ハンセン病問題啓発パネル展~長島の記憶を受け継ぐ~」が開催されていることを知りました。そこで、岡山駅から赤穂線とバスを乗り継いで、瀬戸内市立美術館に立ち寄ることにしたのでした。
 木下晋の作品は、「共生社会」とつながるテーマになっている作品が多く、「ハンセン病問題啓発パネル展」は、「ハンセン病問題と歴史を正しく理解し普及啓発し、ハンセン病回復者の真の名誉回復と偏見・差別のない社会になることを目指した取り組み」ということでした。そこで、今回は、美術館とギャラリーの展示から、ハンセン病と共生社会について考えてみることにしました。

美術館建物の写真 筆者撮影

瀬戸内市長島にある二つのハンセン病療養所

 岡山県瀬戸内市は、全国で唯一、二つの国立ハンセン病療養所を擁する自治体です。長島愛生園は1930(昭和5)年に日本初の国立ハンセン病療養所として、現在の瀬戸内市邑久町虫明の長島に開設されました。邑久光明園は、室戸台風により大きな被害を受けた大阪市内の第3区連合府県立外島保養院が再興される形で、1938(昭和13)年に、長島愛生園と同じ長島に開設され、今日に至っています。長島両園の入所者数は、ピーク時は3,000名にまで膨らみましたが、現在は約240名となり平均年齢は85歳を超えているということです(*1)
 ハンセン病によって神経障害や眼組織が侵襲されることはまれではありません。そのことによってさまざまな眼病変が引き起こされ、失明に至った人も少なくありませんでした。そうした状況から、多くの療養所には盲人会が組織され、視覚に障害がある人の福利厚生や点字の普及に取り組まれていました。一般に点字は両手の人差し指を使って触読しますが、指先の皮膚や神経が冒されていると指先を使うことができません。指を使って点字を触読するのが難しい人の中には、唇や舌を使って点字を読む技能(舌読)を習得している人もいました。唇や舌も指先と並んで敏感な部位なのです。
 ハンセン病で視覚活用が困難になった人の点字習得については、立花(2008)などの研究にまとめられているのですが(*2)、私も視覚障害教育に関する実際的な研究に取り組んでいたことから強い関心を持っていました。とくに、舌読を含めて点字を使える方は、高齢化に伴って少なくなりつつありましたので、自身でしっかり確認し、後世に伝えていく必要があると思っていました。そうした思いからいくつかの療養所を訪問してきたのですが、2015年5月に、長島にある二つの療養所を訪問することができました。舌読をされていた方に、直接お話を伺うこともできました。点字を読んだり書いたりするための様々な補助具も開発されていて療養所内に展示されていました。多くのことを学びました。

「木下晋展-生への祈り-」

 この特別展について、美術館の案内に次のように記されています。
 「1947年、富山県に生まれた木下晋氏は、鉛筆画家の第一人者といわれています。10Hから10Bまでの22段階の鉛筆を駆使して描くのは、ハンセン病回復者で詩人の桜井哲夫、「最後の瞽女(ごぜ)」と呼ばれた小林ハル、パーキンソン病に苦しむ妻など。病気や老い、孤独といった人間の内面世界を精密に鉛筆画で表現しています。今回は氏の代表作である合掌図の作品をはじめとして、強い祈りや希望、深い愛を感じることができる作品を多数ご紹介いたします。」(*3)
 桜井哲夫をモデルにした作品は、木下晋の画文集(*4)で見たことがありますが、原画に触れたのは初めてでした。
 桜井哲夫の姿は、「生」の意味を否応なく私たちに問いかけてきます。木下晋氏と桜井哲夫氏の出会いについては、「桜井哲夫について」という記事をお読みいただきたいのですが(*5)、木下の作品は、ハンセン病に対する、医学的、社会的、文化的対応の過誤から目をそらすことを決して許容しません。
 ハンセン病については、昭和6年(1931年)「癩予防法」が制定され、全国の療養所への隔離、強制収容が進められてきたこと、昭和28年(1953年)、「癩予防法」は「らい予防法」に改正されたものの、治療薬が普及しているにもかかわらず強制隔離を続け、退所規定が設けられなかったこと、そのため、ひとたび療養所に入所したら一生そこから出ることができない制度が引き続き堅持されてしまったこと、平成8年(1996年)に至って、ようやく「らい予防法」が廃止され、ハンセン病患者の隔離政策が終わったこと、などを私たちは知識として知っています(*6)
 しかし、「らい予防法」が廃止された平成8年に、ハンセン病に関する正しい知識の普及による差別や偏見の解消に努めることが、厚生事務次官通知などによって示されていたにもかかわらず、平成15年になってもハンセン病療養所の入所者がホテルの宿泊を拒否されるという事例が発生しました。一度社会に巣くってしまった誤った固定観念を払拭するのは容易ではありませんが、木下晋の「桜井哲夫」像は私たちの内面に入り込んで、改めてハンセン病に対する差別や偏見は決して過去のものではなく、共生社会の実現を目指している私たち一人一人にとって、現在の問題でもあるということを問いかけてきます。
 なお、展示会場には、日本文教出版発行の教科書2点が展示されていました。1点は『高校美術3』で、木下の制作風景と作品が掲載されています。もう1点は中学道徳『あすを生きる①』で、合掌図『鎮魂の祈り』が掲載されています。また、『中学社会公民的分野』でも、人権との関わりでハンセン病が取り上げられています。

ハンセン病問題啓発パネル展~長島の記憶を受け継ぐ~

 ハンセン病問題啓発パネル展は、6月22日の「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」に重ねるなどして、全国各地でも開催されています。
 今回の瀬戸内市のハンセン病問題啓発パネル展は、「木下晋氏の絵画作品の展覧会に合わせて、ハンセン病回復者とその背景にある偏見・差別の歴史を回想させ、来場者のハンセン病問題に対する興味・関心の高まりをそのまま啓発の入口とし、広く市民がハンセン病問題を知るきっかけづくりをする」(*7)ということと、「出張カフェや関連図書及び資料の設置、ハンセン病問題に関する動画などの放映をするとともに、期間中にSNSを活用した情報発信イベントを実施し、長島への誘客促進によるハンセン病問題の啓発に寄与すること」(*7)を目的とするとされていました。
 国による患者隔離政策など法制度の変遷やハンセン病問題に関するパネル、国立療養所・邑久光明園と長島愛生園両園での暮らしぶりを紹介するパネルの展示、入所者の生活用具等の展示、ハンセン病に関する動画の放映及び関連書籍の貸出しなどは、各地で行われているパネル展と同様にハンセン病問題について理解を深める展示でした。
 しかし、二つの療養所と共にある瀬戸内市立美術館の展示は、それだけではなく、パネル展の目的の後半に「長島への誘客促進によるハンセン病問題の啓発に寄与する」とあるように、二つの療養所のある長島の将来像を問いかける未来志向的な要素も含んだ展示になっていました。

ハンセン病問題啓発パネル展チラシ
※クリック or タップでPDFが開きます。

まとめ

 瀬戸内市長が会長を務める「ハンセン病療養所の将来構想をすすめる会・岡山」は、2011(平成23)年3月に二つの療養所それぞれの将来構想を策定し、2018(平成30)年1月に「世界遺産登録へ向けての取り組み」を含む4つの施策を将来構想に追加記載しています(*8)。同月、NPO法人ハンセン病療養所世界遺産登録推進協議会が設立されてその実働組織として活動を開始しているということです(*9)
 この3年間で、長島愛生園歴史館には海外の方々が約150名来館されていることを知りました。長島2園の歴史だけでは、地域の歴史や2園との関係の変化、入所者の思い、人権が尊重される共生社会の実現などについて、日本国内のみならず、海外の方々に知ってもらい、共に考えることは大きな意味を持ちます。
 「木下晋展-生への祈り-」と「ハンセン病問題啓発パネル展~長島の記憶を受け継ぐ~」の二つの展示から、ハンセン病患者隔離の歴史を「人権」の問題としてだけではなく、二つの療養所と共に未来志向で偏見・差別のない共生社会を構築していこうとする瀬戸内市の強い意思が感じられました。

*1:瀬戸内市 長島愛生園・邑久光明園の将来構想と将来構想をすすめる会・岡山
https://www.city.setouchi.lg.jp/uploaded/attachment/100774.pdf
*2:立花明彦 長島愛生園におけるハンセン病視覚障害者と点字習得
静岡県立大学短期大学部研究紀要 第22号 2008 年
https://oshika.u-shizuoka-ken.ac.jp/media/20090428185145674427682.pdf
*3:瀬戸内市立美術館展示予定(2023年度)「木下晋展 生への祈り」
https://www.city.setouchi.lg.jp/site/museum/123167.html#kinoshita
*4:木下晋『木下晋 画文集祈りの心』 求龍堂,2013
*5:People / ハンセン病に向き合う人びと 木下晋
https://leprosy.jp/people/kinoshita/
*6:厚生労働省 ハンセン病に関する情報ページ
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/hansen/index.html
*7:瀬戸内市 お知らせ「令和5年度法務省委託事業 ハンセン病問題啓発パネル展~長島の記憶を受け継ぐ~を開催します」
https://www.city.setouchi.lg.jp/uploaded/attachment/116693.pdf
*8:瀬戸内市 ハンセン病療養所の将来構想(平成30年1月一部改正)
https://www.city.setouchi.lg.jp/soshiki/75/1544.html
*9:NPO法人ハンセン病療養所世界遺産登録推進協議会
https://www.hansen-wh.jp/