小学校 道徳

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自分事の学びをデザインする道徳授業実践~ICTによる相互参照可能な道徳日記の活用~「すれちがい」(第5学年)
2023.11.07
小学校 道徳 <No.051>
自分事の学びをデザインする道徳授業実践~ICTによる相互参照可能な道徳日記の活用~「すれちがい」(第5学年)
兵庫教育大学附属小学校 教諭 中野浩瑞

1.はじめに

 道徳科の授業では、特に自分事の学びが重要視されている。「自己の生き方についての考えを深める」道徳科においては当然のことと言えよう。しかし、実際の授業では、導入場面で生き生きと自分の経験を語っていた子ども達が、教材の内容に入り対話を進める中で、いつの間にか「他人事で考えてしまっていないか?」と感じる場面が少なくない。この理由の一つとして、導入時に自分の生活経験とつながっていたもの(自分の経験を想起できていたもの)が、教材に描かれている事象や話し合いの話題と切り離されてしまうことが考えられる。つまり、導入で扱う話題と展開における話題にズレが生じていることが問題なのである。「自己の生き方についての考えを深める」道徳科では、教材での話し合いが自分たちの生活や生き方とつながっているということを実感し、自分事の学びを実現することを大切にすること、そこに意識を向けるべきである。そこで今回は、「導入と教材内の話し合いをつなぎ、自分事の学びをデザインする」ことができるようにするための“ICT活用”を取り入れた実践を紹介する。

 具体的な方法・手順を、以下に記す。

授業日までに、教材の内容に似たテーマを設定し、家庭学習や、朝学習などの時間に道徳日記を書く。(授業外でも相互参照を可能にするため、ロイロノート等の相互交流が可能な授業支援ソフトを用いる。)
友達が書いた日記を、家庭学習や朝学習などの時間に読み合う。(道徳の次の授業で活用するために行うというよりも、“互いのことを知るため”といったような、学級づくりの目的で交流する理由を伝えると、主体的に取り組む姿につながりやすい。)
日記の中から、共有したいものを教師が選出し、導入時に提示する。
日記の内容と教材の内容の往還を意識しながら授業を展開する。

2.主題設定について

 本授業では主題を「相手をわかろうとすることの意義」と設定した。多様な個性や考えが存在する社会の中で豊かな人間関係を築くためには、自分と異なる意見を互いに認め合い、理解を深めていくことが必要である。しかし、相手の過ちや失敗によって不快な思いをしたときに、異なる意見や立場の相手を理解しようと歩み寄ることは簡単ではない。なぜなら、人は自分が正しいと断定的に考え、一面的に物事を捉えたり、自分の立場を守るため、相手の考えや過ちを一方的に非難したりするなどの自己本位な言動に陥りやすい弱さをもっているからである。ここで大切なことは、自分も同じ過ちを犯してしまうかもしれないという自覚をもち、謙虚になることである。そうすることで、決めつけや思い込みといった偏った見方から抜け出すことができる。そして、視野が広がり、相手の心の内部にまで意識を向け、相手のことをわかろうとする気持ちが醸成されていくのである。そういった[相互理解、寛容]の捉えのもと、ねらいを「相手をわかろうとすることの意義について考え、謙虚な心をもち広い心で異なる意見や立場を尊重する道徳的実践意欲と態度を養う」とした。

3.教材について

 本時で扱う教材「すれちがい」は、ピアノ教室に一緒に行く約束をしたよし子とえり子が、些細なことからすれ違いを起こしてしまい、仲違いしてしまう話である。本教材は、二人の視点から話が描かれていて、読み手側からは二人のすれ違いが客観的に捉えやすい構造になっており、よし子の「許したくない」という気持ちと、えり子の「不快な思いはしているが、謝ろう」とする気持ちの双方から考えやすくなっている。物事を断定的に捉え、寛容になれない人間的な弱さと、わかろうと相手へ意識を向ける意義について考えることができ、主題に迫ることに適した教材だと言える。

4.実践報告

(1)主題名(内容項目)

「相手をわかろうとすることの意義」 B[相互理解、寛容]

(2)本時のねらい

 些細なことから互いにすれ違う二人の姿を通して、相手の過ちや失敗で不快な思いをした時でも、相手をわかろうとすることの意義について考え、謙虚な心をもち広い心で異なる立場や意見を尊重する実践意欲と態度を養う。

(3)展開例

学習活動
(○主な発問 ・予想される児童の反応)

◇指導上の留意点 ☆評価


自分たちの道徳日記に書かれた内容(経験)を見て感想を伝え合う。
(テーマ:ごめんねと言われたけれども許せなかった経験ってある?)
○友達の日記に書いている経験に共感できるかな。
・友達の具体例に共感する姿
・日記に書かれていない新たな具体例を想起する姿
・したことのない経験に驚く姿
○学習テーマを設定する。

◇事前に家庭学習で書いた道徳日記(ロイロノート)を見せながら、共感できる内容の日記はどれかを問うことで自身の道徳的価値観の自覚を促すとともに、一人ひとりが具体的場面を想起し自分事として教材の内容の話し合いに臨むことができるようにする。

学習テーマ:人はいつでもわかり合うことは必要なのだろうか



(前段)

○この話の問題はどこだろう。
・お互い悪くないのにすれ違っているところ。
・よし子が、謝ろうとしてくれているえり子の話を聞こうとしないところ。
○よし子はなぜ、謝ろうとしてきたえり子の話を聞こうとしなかったのだろう。
・自分のことばかり考えているから。
・余裕がないから。
・相手が悪いと思っているから。
・自分が正しいと思っているから。
・自分のことしか考えていないから。
○話を聞こうとできないよし子と、不快な思いをしても謝ろうとしたえり子の違いは何だろう。
・余裕があるかないかの違い。
・相手の思いを大事にしようとしているかしていないかの考え方の違い。
・許す心があるかないかの違い。

◇互いにすれ違い、すれ違う理由には目を向けようとしないとった教材に含まれる道徳的問題に焦点化できるようにするために、図を使って人物がしたことや状況等を時系列に沿って表し、教材理解を促す。
◇よし子に対する共感的発問を子どもに投げかけることで、相手に対して寛容になれない人間的な弱さに共感できるようにする。
◇事前に書いた道徳日記にある具体例を数個選び黒板に提示する。展開の中で、教材の事例と子どもたちの具体的な経験の往還を意識しながら問うことで、価値理解を深めていく一助とする。

☆相手を許すことができないよし子の思いと,不快な思いをしつつも謝ろうとしたえり子の思いを考える際に,自分との関わりで捉えようとしていたか。



(後段)

◎仲よくしなくてもいいと思う相手にだったらわかろうとしなくてもいいのではないだろうか。
・自分から歩み寄ることでそこから共通点が見つかり、仲よくできるかもしれない。
・仲よくなれなくても、新しいことに気づくかもしれない。

◇相互理解の意義を深く考えることができるようにするために、相互理解が必要ではない場合も認め得る状況設定と比較する。
◇表出した考えに対して、「なぜ」と問い返すことで、子どもたちが感じている相手をわかろうとすることのよさの根拠を表出し、自覚することができるようにする。また、人間的弱さの部分にも着目するよう促すことで、弱さを乗り越えていく強さについて考えられるようにする。


○人はいつでも相手をわかり合うことは大切なのだろうか。
・わかり合うことは大切だけど、必ずしもわかり合える必要はないと思った。でもわかろうとすることはどんな時でも大切だと思う。

◇学習テーマについての考えを問うことで、授業を通して変容した自らの考えを明確にもち自己の生き方につなげられるようにする。
☆学習テーマについて自分なりの考えをもち、友達と対話する中で多面的・多角的な見方をしようとしていたか。

5.授業記録

【導入】
自分たちの道徳日記(ロイロノートに記述したものを複数印刷して黒板に掲示したもの)に書かれたそれぞれの経験を見て感想を伝え合う。
(日記のテーマ:「ごめんね」と言われたけれども許せなかった経験って、ある?)
※事前に友達が書いたものを家庭学習で読む活動を行い、クラス全員の経験を共有している。

T 道徳日記で書いてくれたものの中から、みんなが共感してくれそうなものを持ってきたよ。紹介させてね。
C いいよ。
C 読んだ、読んだ。

教師が事前に選出した道徳日記の写真を黒板に貼り、共有する。
共有した日記は以下の6枚である。

1枚ずつ提示しながら、共感したことや、似たような経験を引き出せるよう子どもたちと対話をしていった。その後、学習テーマづくりに進んだ。

T こうやってみんな許せなかったことを書いてくれたんだけど、○○さんは、今振り返った時に、「今度からは許して仲よくしたいです」って書いているね。こんなふうに、許せない経験でも可能ならばわかり合ったらよかったな、と思ったことある?
C うん。
C わかり合うことって大切。
T そうなんだ。なんで? どんどんしゃべっていいよ。
C 人が思っていることがわかるから。
C わかり合うことで、今はわからんけど、「この子はこんな子なんや」ってわかってくるから。
T それがわかったらどんないいことがあるの?
C わかり合っていったら、「こういうことが好きやからこういうプレゼントあげようかなぁ」とか、相手の好きなもの嫌いなものがわかるから、そのために行動できる。
C 人間関係がつながってくる。
C わかり合うことで、友達ができる。
T 友達が増える、人間関係がよくなるってことね。
C わかり合うことで何か人の気持ちがわかって、その人はこう言われたら傷つくなとかがわかるから、傷つけることが減っていく。傷つけにくい。
T なんとなく言おうとしてることわかる?
C わかる。
T じゃあさ、人はいつでもわかり合うことって必要なの?
C ときには。
C いつでもかはわからない。
T なるほどね。では今日はこれをテーマにしていこうか。
T 学習テーマ「人はいつでもわかり合うことは必要なのだろうか。」と黒板に書く。
C 先生、ちなみに○○さんは日記でみんなと違うこと書いていたよ。ぼくも、許せないってなったことはないけど、それと同じで、○○さんは「寝たら全部忘れてしまう」って。
C そうそう。許せなかったことないっていうのがあったね。
C あったあった。

(考察)

子どもたちは導入時、わかり合うことの良さを良好な人間関係のためと捉えていた。そのような現時点での捉えを揺さぶり、考えを深めるために上記の学習テーマを設定した。当たり前のことと思っていたことをあらためて問われ、「いつでもかはわからない。」と発言したことから、深く考えていなかった自己に気付き、これからの学習への意欲を高めていた。
友達の日記の内容に共感し、似た経験を生き生きと語ったり、教師が黒板に提示したもの以外の興味をもった日記について、子どもの側から投げかけがあったりする場面があった。このことから、子どもたちは自分たちの生活につながる事柄や、まだ経験していなくともこれから経験する可能性がある事柄には非常に高い興味関心をもち、自分事として学びを形成していくことが分かった。

教材を読んだ後の感想から問題点に焦点化した後、よし子とえり子の違いについて話をしていく場面。

T この話はみんなの感想でもあったけど、よし子さんとえり子さん両方イライラしているよね。同じように見えるんだけど、先生は大きな違いを見つけた。みんなはわかるかな。よし子さんとえり子さんの違いは何だろう。
C えり子さんはよし子さんに1度謝ろうとしている。
C でも、よし子さんはそれを聞こうとしない。
T そう、話を聞こうとしなくて、えり子さんはイライラしているのに、謝ろうすることができたんだよね。ここわかる?
C わかる。
T お互い、同じようにイライラしているのに。なぜだろう?
C よし子さんはえり子さんが家に帰ってからゲームしたり漫画読んだりしていたと考えたからじゃないかな。
C 勝手に思い込んでいたってこと?
C うん。自分がゲームしていたからとか漫画やっていたかなとか思い込んでいたら、話を聞こうともできなくならない?
T なるほど。
C 事情があったから、えり子さんは謝ることができた。えり子さんにも急にお使いを頼まれたっていう事情があったから遅れたって。
C それでレジが混雑していたこともあったから。
C 事情があったら許せる。事情があったら謝れる。
T ○○さんが言っていること、わかる? そんな感じ?
C うん。
C 事情によるかなあと思っていて、○○が言ったように、ゲームとかだったら許せないけど、急にできた用事とか、仕方ない事情があったら許せる。
C よし子さんはずっと思い込んでいたから。事情がもし、何かいい事して遅れたとかやったら許せるかもしれないけど、でもよし子さんは既に思い込んでしまっているから。だから話すら聞いてくれない。
T ということは思い込み、相手が悪いと思い込んでいるって言うのが問題か。で、自分は悪くないっていう思いが、「相手が悪い」という思い込みにつながるということだね。
T これ、プラスの感情、マイナスの感情?
C マイナスの感情。
T マイナスの感情は黒板に何色で書いておく?
C 青色。
T では、青丸つけとくね。
C えーっと、よし子さんの、「自分からピアノ教室に誘っておいて電話もかけてこないし、広場へも来ないなんて。」って、それは思い込みやなぁ。
T 今、思い込みのことをつないでくれたんだ。
T この中で(日記)思い込んでしまっているなーって話はあるかな?
C ○○ちゃんのがそう。
T これか。友達がびっくりさせたけど相手が悪いと思い込んでいるかもしれへん、ってやつね。
C あーなるほど。友達はほんま仲よくなりたくてやっているかもしれへんけど、でも自分は嫌な気持ちして、相手が悪いって思いこんでいるってことか。
T あぁ、似た経験あるんだ。
T なるほど。よし子さんの気持ちはわかってきたね。では、えり子さんの方はなぜ謝ることができた?
T 特にこの○○さんとか○○さんの書いた日記はえり子さんの思いに近いんじゃない? なんで謝ることできたんだろう。
C また自分が悪いって思っているから謝ろうと思った。
C 自分が悪かったから。
C 自分も悪いかなって思っているから謝れたのかな。
T 自分も悪いと思えているんだ。
C ちゃんと自覚している。
C よし子さんは全部えり子さんの責任にしていたけど、えり子さんはそうしてない。
C 全責任はえり子さんにある。
T よし子さんは、全責任を相手に押し付けたんだ。
C 1番最後によし子さんが、えり子さんの話を聞いてくれたら「あぁそういうことがあったんかって許す感情」が出てくんねんけどそれを聞こうともしないから出てこないねん。
T 聞こうともしないというのも問題なんだ。
C この今の問題さ、○○さんのアイスの話と似てる。この「許せなかった」のことにつながってると思う。このアイス事件は全部お父さんが悪いって思い込んでいるから。
C わかる。
T じゃあ、みんなの生活でも思い込みって結構あるんだね。先生もドッキリとしちゃった。
T でも、思い込んでてもいいんじゃない? 話聞かなくてもいいんじゃない?
C ダメでしょ。あかんでしょ。
T 即答されました。悲しい。何でだろう。
C なんかさ。仲が悪くなってさ、二度と口をきかなくなったりする。
C ぼく、よし子さんの悪いとこばっか頭にあるわ、よし子さんの悪いところめっちゃ感じちゃう。
C ぼくはそこまで悪いと思わへん。
C これまでの話を聞いてたけど、なんだかえり子さんも怒ってる気持ちあるけど、よし子さんとまだ仲よくしたい気持ちもあったから、謝れたんじゃない?
C 確かに。
C 教科書を見てたら、えり子さんの1つだけ悪いところ見つけた。「私から後で電話することにした」って約束したのに、それを守れなかった。
C 勝手に思うだけじゃなくて、相手に言わないといけない。
C なんか後で分かってくれるやろうって思うんじゃなくて、ちゃんと自分で言わないといけない。言わないと伝わらない。
C 話聞こうとしないと仲よくなれないから、やっぱ自分から聞くのも大事っていうことだな。
T 話を聞いたら、必ずわかり合えるの?
C そうとも限らん。
T わかろうとしたら、わかり合える?
T 色々話をしたそうだね。ペアで話をしてみようか。

(ペア活動)

C この人の疑問が解決できなければ、多分わかり合うことはできない。
T では、これは解決できないんだ。
T わかろうとするとわかり合おうとするっていう言葉がここまで出てきてるんだけど、この言葉の意味の違いわかる? わかる、わかり合う、どっちが先?
C わかろうとして、わかり合う。
T あってる?そんな感じ?
C うん。
T わかろうとする。まぁ話を聞こうとするっていうことだね。その後わかり合う。か。他に話をしていた人で何かある?
C わかり合える時はわかり合えて、わかり合えない時はなんかまだ怒ってる感じ。
T わかろうとはできるけど、結果としてわかり合えない時もあるってことだね。例えばわかり合えないことって、どんなこと?
C ここのペアで言ってたんだけど、外国って家に土足であがったりするやん。そんなふうに文化が違ったりしたらわかり合えないかもしれない。
T ああ。文化の違いとかやったら受け入れられないことがあるかもしれないということか。
T 今日から土足で家入っていいよって言われたらどう?
C やったります。
T なるほど、あなたはわかるけど、あなたはわかり合えないってことか。面白い。このクラスの中でもそれぞれあるんだね。
C 剣とか銃を持っていっていいとか。
T それも文化の違いであるね。
C ぼくはわかり合えるけど。
C 前に授業でやった個性みたいなことでも言えるかも。家族の個性っていうか。家族によっては例えば私の家は目玉焼きに醤油かけるけど、友達の家ではマヨネーズみたいな。
C 砂糖大さじ2。
T めっちゃ細かいね。さすが料理家。
T 個性によってもわかりあえないこともあるってこと?
C うん。
C 先に自分が謝ろうとしても、相手が聞かなかったらわかりあえないし、相手に伝わらなかったら意味ない。
C だからまずわかろうとしないと意味がない。
T こういう→ってこと?(板書に矢印を書き込む。)

(考察)

初めは道徳日記や自分たちの経験と教材の話合いをつなぐための働きかけを教師から積極的に行っていた。それらを重ねることで、生活経験とのつながりがあることへの気づきが芽生えている様子があり、子どもからも「今の話は日記の○○と似ている。」という声が上っていた。そのことから、子どもは教材の内容についての話し合いをしつつも自分たちの経験と重ねたり、つなげたりしながら話を進めていた。つまり、教材の話をもとに自己の生き方へ内省的な視点を向けて考えることで、話し合いの内容が自分事となり自己の生き方についての考えを深めることにつながっていた。
子どもたちは、よし子とえり子の違いからわかり合う時に必要な寛容の心や謙虚さ(思いこみをせず、そのためには自分が悪いかもしれないという思いをもつことも大切だということ)について自分たちの経験と重ねながら話をしていた。そして話を進めるうちに、「そもそも話を聞こうとしなければ意味がない。」と発言があったように、自然と主題「わかろうとすること」について考える文脈が生まれていた。

【中心発問】

◎ もし初めから仲よくならなくていいと思う相手とか、この人とは人間関係がよくならなくてもいい、っていう相手だったら、わかろうとしなくていいのではないだろうか?
C いやいや、必要。
C 最初は仲がよくないけど、仲をどんどんよくするために必要。
T あーって言っているけど何に言ってるの?
C 可能性にかけるみたいな。
C 可能性あるのに、挑戦しないのはおかしいやろ、みたいな感じ。
T なんで? わかろうとしたら大親友になるの?
C 大親友とかはならなくてもいいんだけど……。
C もしかしたら話してみたら、気があったりするかもしれへんから外見とかそういうので判断したら仲良しになれるかもしれないのになられへんじゃん。だからダメ。
C ぼくと○○君みたいに「可愛いもの好き」みたいなことが話したらわかるかもしれん。
C やっぱりもっと友達とか増やしたい子もおるだろうし、例えば中野先生とか実習の先生とかと仲よくなるときにやっぱりなんかこの人こうやなぁって分かっていくと仲よくなれる。趣味とか好きなものが合わないとしても、またそこから同じ趣味を見つけていけばいいし、好きじゃなくても体験してみたいとぼくは思う。
C なんかさー、新しい挑戦もできる。
C 仮に好みとかが違うかったとしても、違うものに触れて、新しいことに踏み出せるかもしれへんてこと。可能性広がる。
C そう、それがわかろうとするにつながるってこと。
C やってみたらなんかめっちゃ楽しかったっていうような。友達がハーモニカをやってて、それをやってみたらめっちゃ楽しかったっていうのがぼくもある。
T ○○さんは、その時に、まずわかろうとしたってこと?
C YouTubeとかでも同じのありそう。それをやって挑戦してみようみたいな。
C 流行が広がる。
C やりたいこととか。
C 自分の趣味になって、自分の趣味が広がる。
C 自分の個性が周りに広がる。
C 周りに個性が広がっていく可能性がある。
T みんなでも結局これが人間関係につながるみたいなこと言ってるね。
T でもさっきあったようにわかり合えないことってあるよね。仮に絶対にわかり合えないってとき。その場合はどうする?
C それでもいる!!
C 例えばAくんは中遊びが好きで、B君は外遊びが好きとして、それをわかろうとするんやったら、最初はこの遊びにしよう、その後はこの遊びにしようってどっちの思いも大事にしていってあげるとわかり合えていくんじゃないかな。
C そう。どっちも大事にしたらいい。
C 仮に意見が合わなくてもどっちもしたらいいんじゃん。
C そうそう。
T それは分かった。今のはわかり合える可能性があるかもしれないって思っているパターンでしょ? でも、絶対にわかり合えないって仮にわかってたらわかろうとしなくていいんじゃないの?
C 違う。
C やっぱりわかり合おうと思わなければ友達減っていくんです。そういう感じ。
T 今は自分の周りにあるものがどんどん減っていくって感じかな?わかり合おうとしないと。
C うん。クラスのみんながどんどんこっちに寄っていく感じ。(自分から離れているジェスチャーで表現する。)
C 友達が減るから。自分の個性を変えるんじゃなくて、例えば、さっきのA君が外遊び好きで、B君が中遊び好きの例やけど、それが違うなってなったらどちらかに合わせるのではなくて、また違う遊びを見つけたらいい。
C あぁ。三つ目の。
T 個性は変えなくていい。つまり合わせなくても良いってこと?
C そう。
C 一個から二個、二個から三個、三個から四個、にしたらいいねん。
T なんだかかっこいい名言ができたな。
C 名言かざろう。
T 「なかったら作るねん。」 by 5年1組。
T 一から二個、二個から三個にしてあげるってことね。
T じゃあ、最後テーマについてペアで話をして終わろうか。

(ペアでテーマ「いつでもわかり合うことは必要か。」について話す。

(考察)

中心発問として「もし初めから仲よくならなくていいと思う相手や、この人と人間関係はよくならなくていいという相手だったらわかろうとしなくていいのではないだろうか?」と投げかけた。これは、子どもたちの「わかろうとすることが大切だ」という価値観に対して別の状況設定を比較材料として出すことで、価値観を揺さぶり、わかろうとすること(相互理解)について深く考え直すことを意図したものである。子どもたちは、「わかろうとしなくても良いことも認められるような状況であっても、わかろうとすることが大切だ」と言い切り、その理由を一生懸命自分たちなりの言葉で表現していた。結果として下線部のように主題に設定した「わかろうとすることの意味」を自分たちで見出すことにつながっていた。

6.板書例

7.授業への工夫など

(1)教材の問題を自分事として考えるために、事前に教材に似た場面を道徳日記に書く工夫
 教材内での話し合いを自分事として考えていくことができれば、より実生活に結び付いた学びになり、生き方について考えを深めていくことにつながる。しかし、子どもたちの中には、教材から具体的な経験を想起できない子どもがいる。結果、どうしても抽象的な話し合いに終始してしまう場合がある。そうすると教材から離れて自己を見つめ考えることができない。そこで、事前に道徳日記として、相手をわかろうとすることができなかった経験を書く活動を設定する。また、友達が書いた日記の内容を事前に共有しておく。そうすることで、教材に出合ったときに具体的な場面が想起され、教材の内容を自分事として考え、主体的に話し合っていく手がかりにしたい。

(2)価値理解を深めるため、子どもたちが想起した具体的場面である個別の状況下を展開内で問う工夫
 道徳的価値の捉え方は、立場や状況により変わることがある。このことから、教材内の一事例のみで考えるよりも、いろいろな状況下で考える方が、様々な見方で道徳的価値を捉えることができるため、価値理解が深まる。事前に日記に書かれた子どもたちの経験は教材とは異なる様々な状況が描かれている。教材内の出来事から主題に関わる話し合いをする際に、導入で活用した子どもの道徳日記を数枚掲示し、比較しながら違いを問うていくことで、価値理解が深まる対話ができるようにした。
 これは、導入と展開を自分事での学びでつなぐ一つの手立てとなり得ると考える。

8.考察

本実践は自分事の学びをデザインしていくために、道徳日記を活用した。教材と似た場面を授業前に個人で想起したこと、また友達の日記内容を共有しておくことで授業内の話し合いの際には日記内容と教材の話し合いを結びつけることができていた。それは授業内の子どもの発言と主体的に話し合いに参加する姿から見取ることができた。また、道徳科の授業では、道徳的価値に関する話し合い(意義や意味)になればなるほど話が抽象化する傾向になり、話し合いが噛み合わなくなることが課題としてある。今回の手立てに用いた道徳日記では、[相互理解、寛容]に関わる具体的な場面を多数共有していたことで、抽象的な話し合いの際の理解の助けになっていた。
今回は授業内の話し合いと自分たちの経験を往還させる実践として、道徳日記を用いた初めての試みであった。そのため、教師から「今の話し合いはみんなの日記と重なることがある?」などといった働きかけを多く行った。授業内で次第に子どもから日記の内容とつなぐ場面も出ていたものの、中心発問以降は日記内容とつなぐ姿は見られなかった。これは子どもたちの中に学び方として積み上がっていないことが理由として挙げられる。継続的に手立てとして取り入れることで、子どもたちは教材での話し合いを生活経験と結びつける学び方を学んでいくだろう。そして次第に「道徳科の学びは自分たちの生き方につながっているのだ。」と実感し、道徳科を学ぶ意義を高く感じる子どもたちの姿につながっていくだろう。今後もこの取り組みを継続していきたい。