学び!と美術

学び!と美術

ホントは厳しい図画工作・美術
2014.12.10
学び!と美術 <Vol.28>
ホントは厳しい図画工作・美術
奥村 高明(おくむら・たかあき)

 教育課程改訂の時期が近付くと、「美術や図画工作は楽しい」「子どもたちが大好きな時間が少ないのはいけない」などの発言が増えます(※1)。でも、本当に楽しいのでしょうか?子どもの姿から考えてみましょう。

1.図画工作・美術は厳しい!

「100gの世界」

 まず、子どもは、自分で主題を見つけなければなりません。題材は先生が決めるとしても、そこから「何を」描くのかは子ども自身が決めることです(※2)。例えば、「運動会」が題材だとしても、どの場面を描くのかは、その子が決めなければなりません。また、そこには「その子らしさ」も求められます。参考作品として提示された作品や、友達と同じ作品はつくれません。「与えられた条件から、他者と異なる自分の課題を発見する」。それは決して容易なことではないでしょう。

 次に、自分の思いついたことを、「どこに」「どのように」描くかという「問題の解決」が求められます。でも、材料や方法などの資源は、すべてが正しい顔をして目の前に広がっています。そこから、「クレヨンと絵の具どちらにするか」「色はどうするのか」「箱をどう組み立てるのか」「何と何を接着するのか」など、自分が必要だと思うものを選択し、決めることになります。

 しかも、状況は、一瞬たりとも同じではありません。例えば、絵に色を一筆入れただけで画面の動きや表情は変化します。次々と立ち現われる問題を把握し、そこから、色の選択、線の決定など、場面に応じて細やかな手を打たねばなりません。その過程では、周りの友達の発言や様子、製作の過程から情報を取り出し、それを作品の実現に生かすというコミュニケーション力も必要です。

 何より、途中でやめることができません。最後までやり遂げない限り、作品という「自己」は実現しないのです(※3)。「この問題は分かりません」とあきらめることはできません。自分で決めたゴールまで、やり遂げる責任を果たしてはじめて作品は完成するのです。ある企業関係者が「うちは美大生を喜んで採用する。なぜなら、彼らに仕事を任せると最後までやり遂げる。しかも、自分の水準を下げない。」と言っていました。分かるような気がします。

2.厳しいけど楽しい?

 このように、図画工作や美術で子どもたちが行っているのは、決して楽なことではありません。自分で課題を見つけ、自分で発想し、材料や方法を組み合わせ、技能を発揮しながら、オリジナルな作品をつくりあげるという大変厳しいことをやっています(※4)。先生の提示した問題を、先生の提示した方法で解いて、みんな同じ答えになることの方が本質的には楽でしょう(※5)。
 でも、子どもたちは図画工作・美術で「楽しい」表情をします。それは、能力が活性化しているのを実感しているから、あるいは自分らしさが実現できたからだろうと思います。その表情を見て、大人は図画工作・美術を「楽しい時間」と一括りにするのでしょう(※6)。
 それは、形の観察力に優れ、微妙な色の差異に気付き、論理的に方法や構成を組み立てている子どもに失礼な話ではないでしょうか。ホントは「厳しい」活動を「楽しく」やっている子どもの姿や、思考力や実践力を育んでいる子どもの力を、もっと具体的に語るべきだと思うのです。

 

※1:この手の意見は「そんなに楽しいなら学校にいらない、外でやればいい」という反論に答えられません。
※2:Vol.27で述べたように、場面や構図などまで先生が決めているのは題材とは言えないでしょう。
※3:このことについては、Vol.25で詳しく述べました。
※4:小学校4年生ぐらいから、そのことに気付くので図画工作嫌いが増えていきます。それは、当たり前で、悪いことではないのです。それを単純に「描き方が分からないから教え込む」とか「図画工作はいらない」ではいけないと思います。
※5:「できる・できない」という選別される厳しさはあるでしょう。
※6:「絵が好きだから繊細」とか、「図画工作や美術で感受性が豊かになる」など、曖昧な言説も多い。