学び!と美術

学び!と美術

メタ認知を鍛える図画工作・美術
2015.01.13
学び!と美術 <Vol.29>
メタ認知を鍛える図画工作・美術
奥村 高明(おくむら・たかあき)

 以前、<Vol.25>「子どもの見方」で、「つくっている」ものと「子ども」は一体で、「作品はその子自身だ」という話をしました。今回は、そこから、もう少し話を進めてみたいと思います。

もう一人の「リトル自分」

 「子どもたちはつくっている作品と一体化する」それは、その通りなのだろうと思います。あたかも自分をつくり出しているように作品をつくります。大人もそういうところがあります。料理や工作など、つくっているときは夢中です。ときには子どもの持っているブロックを取り上げて、自分のものをつくっています…あぁ、大人げない。

 でも、いつも「つくっている作品と自分は一つ」ではないのです。人は、つくりながら、すっと体を引いて、自分の作品を見る瞬間があるのです。それは、自分のつくっている作品から、一度自分を外すような行為です。筆者の調べる限りでは、幼児も行う行為です。例えば、写真のA子ちゃんがそうです。段ボールの家の壁に、色セロハンの洗濯物を干していたのですが、1mくらい後ずさりして、その状態でじっと洗濯物を見つめます。その直後に、この子は色を取り換え始めました(※1)。つくっている作品と距離をとる。自分の体を引く。この行為には、どのような意味があるのでしょうか。
 まず、子どもたちは夢中になって、作品をつくります。つくっている作品になりきり、作品の中で遊ぶようにつくります。このとき、作品は間違いなく「自分」でしょう。では、作品から体を引いて、作品を見つめる自分は? それも自分です。ただし、作品と一体の自分ではありません。そこから距離をとった自分です。おそらく、「色はこれでいいかな」「形はもっとかっこよくならないかな」と考えているはずです。自分の作品を冷静に見つめている「もう一人の自分」、サッカー日本代表の本田選手に倣って言えば「リトル自分」です(※2)。図示するとこうなるでしょう。

 子どもが自覚しているかどうかは別として、これは「メタ認知」の一種ではないでしょうか。「メタ」とは、高次の、超えた、後ろの、などの意味で、「メタ認知」は「認知を(超えて)認知する」こと、いわば「もう一人の自分が、自分の思考や行動を把握したり、認識したりする」ということです。これを遂行できる能力が「メタ認知能力」です。
 子どものつくる作品は、学習課題という意味では計算問題や文章題と同じです。でも、それらとは異なり、作品は立派な「自分」として成立しています。その作品から体を外すことは、まさに「自分」から「もう一人の自分」が生まれた瞬間です。そして、作品を見つめる行為は、「もう一人の自分」が今の「自分」ついて考える姿にほかならないでしょう。

メタ認知が働きやすい図画工作・美術

 現在、「メタ認知」は、クリティカル・シンキング、リフレクションなどと並んで、育てたい力として着目されています。それは世界が多様で複雑になり、文化的なすれ違いに満ちているという意味で切実な課題です。単純な判断をしてしまうと、致命的なトラブルを起こしかねません。冷静に自己を見つめるまなざしが求められているのです。ただ「言うは易く行うは難し」、自分の思考や行動のモニタリングは簡単ではありません。
 図画工作や美術では、目の前に「作品という自分」と、それを見つめる「もう一人の自分」がいます。「メタ認知」は働きやすいでしょう。「メタ認知能力」を鍛える図画工作・美術、それは楽しく、かつ実効性のある学習活動だと思うのです。

 

※1:このような体を引く場面は、ベテランの先生がとらえるのが得意です。なぜなら、その次に、それまでとは違うことを始めることが多いからです。ベテランの児童理解のポイントの一つですね。
※2:2014ユーキャン新語・流行語大賞(現代用語の基礎知識選)の候補50語にサッカー界から「リトル本田」が選出されています。これは、日本代表FW本田圭佑選手が、1月にACミランへ移籍した際の入団会見で「心の中のリトル・ホンダに聞きました。そうしたら『ACミランでプレーしたい』と答えた。それが決断した理由です」とコメントしたことに由来しています。これはマンチェスター・UのFWロビン・ファン・ペルシー選手の入団会見の引用と言われています。