学び!と歴史

学び!と歴史

地域再生に問われる器とは(2)
2014.12.25
学び!と歴史 <Vol.83>
地域再生に問われる器とは(2)
―佐藤清臣にみる亡びの譜―
大濱 徹也(おおはま・てつや)

承前

 佐藤清臣は、村落再生の器として、古橋源六郎暉皃(てるのり)の意を受け、神社を中心とする村づくりに励み、「敬神村」「敬神郡」の建設をめざしました。しかし、その歩みは、松方財政下の民心荒廃に翻弄され、土地の特産を活かす物産開発の方途を見いだせないまま、神祇信仰をことさらに説き、民心の結集をめざすものとなっていきます。
 しかし不況下で流亡していく民の心は、諸教派を一元的に管理した大教院の下で始められた大教宣布を担った教導職による国民教化体制が破綻し、1882年(明治15)に神宮教、大社教、扶桑教、実行教、大成教、神習教、御嶽教、黒住教等の八派が宗派として認められ(一宗特立)、各派の布教が展開していくなかで、民衆を基盤とした講社による御嶽教等の教派に取りこまれていきます。このような状況下、神祇を典礼として村に根づかせ、神社を中心とする村づくりをめざす暉皃・清臣の構想は危機にたたされたのです。

奔流する人心

 清臣は、後に「教派神道」と位置づけられた諸教派が展開していく奔流に呑込まれる民の在り方を糾弾してやみません。そこには、窮乏化の人心が丸山講や御嶽講にとらわれ、救済をまつ姿が描かれています。清臣は、それらの布教者を無学文盲の徒を罵り、そこに救済を求める人びとを愚民、無頼の徒と蔑み、現世利益を求めた「常世虫」の再来と、危機感を募らせております。

近来八教に別れしより神道は八派の私有物の如く大道は糊口の資の如く成下り、無学の教職無稽の説を以て愚夫愚婦を蟲惑し詐欺百端或は神符神水と称して病者に水を飲ましめ或は毉(くすし)の方角を指し其所行へとして乞盗の醜態ならざるは無し、就中人心に行政に妨害の甚きは丸山御嶽の両教也、
御嶽の如きも其徒或教正大講義訓導試補など我郡内なるは多く目中一丁の文字無き者或不品行或無籍無頼の輩、たまたま籍あるも杣木挽等我賜はり持たる辞令は更也、郵便はがき一枚読むこと不能者、神道御嶽教「或教正大講義訓導試補訓導」など書る旗、甚しきは神道御嶽講一心行者などの幟をかつぎまわり火渡り中坐(なかざ)などの祈祷に夫婦の不和も睦くなり啞も言ふことを得、聾も聞くこと得、貧者も富み、老人も壮になる、みなこの御祈祷のおかげ也、と愚民等迎送して謂ふまにまに無頼の奸民従て利を射んと所在を煽動すること古昔の常世虫(※1)に異ならず、如斯大道を汚し、聖勅に違ふ無稽無法の言行よりして神道教導職はすへて乞食の如く蔑視せらる故にたまたま謹て大道を説くも乞食まめざうの話の如く相成候、念ひてここに至れば慷慨悲奮寝食を忘る、既に宗教視せらるるだに慨嘆に堪ざるに今またここにいたる、此弊を正さずんば何そ天下の信を得ん、天下の信を得されば宣教を勤るも徒に無功に属するのみならず何ぞ大道を汚し聖勅に違ふの罪を免んや

 ここには、徳川王国に代わる天皇の国として新国家の樹立をめざし、「敬神愛国」「天理人道」「皇上奉戴、朝旨遵守」の三条教則に基づく天皇の道を説く大道に代わり、明日をも知れぬ人心が現世の利益を説く教えに取りこまれていく様相が読みとれます。清臣は、このような時勢を常世虫の再来とみなし、危機感を募らせたのです。

孤寥の内に

 かくて佐藤清臣は、このような時代閉塞がもたらした危機感にうながされ、神祇による村づくりに己の身を投じます。この神祇は、暉皃・清臣にとり、皇統連綿・天壌無窮たる国体を体現する世界にほかなりません。それは、神道八教にみられる宗教ではなく、国家の典礼とみなされていました。まさに清臣は、このような神祇を精神の器となし、村の再生をはかろうとしたのです。そのために村々を巡回し、神祇を説き聞かせもします。ここに明治末年の地方改良運動では神社を中心とした村との評価をえることとなります。
 しかし神社を中心とする村づくりは、暉皃がめざした地の利を活かす富村富国への道をして、敬神愛国という精神主義という隘路に墜ちこんで行くことでもありました。晩年の清臣は、「何事も世におくれたりほととぎす初音も人のこと伝にして」「秋かぜにとくちらましをはずかしの杜の木かげに残るもみじ葉」と詠ったように、若き日よりめざしてきた世界が虚ろであるとの思いにとらわれていきます。そこには、神祇が精神の器としたとき富村から富国への道が開けると説き聞かせながら、民心と乖離していく己の姿があり、亡び行く者たる己をみていました。
 このような清臣の姿は、皇統連綿・天壌無窮なる日本、この美しい日本という神話をあるがままに信じて生きたがため、日本を相対化して問い質す目をもたない日本人の原像ともいえましょう。それだけに現在求められる精神の器は、あるがままの日本への信仰、「美しい国日本」なる言説によりそうのではなく、日々の暮らしの営みをささえる世界から己の場を問い質せる世界を公共財としていくことではないでしょうか。この営みは、地域協同体から個を析出分離していくのではなく、個の連帯を可能とするなかに、個が負うべき責務を確認するなかに連帯と自立を可能とする精神に担われる協同体への眼ではないでしょうか。
 先の所信表明演説は、古橋暉皃を話題としておりますが、どれだけ暉皃の苦闘を理解してのことでしょうか。そこには、「美しい国」を言挙げすることで、あるがままの歴史への信仰にとらわれ、他者の存在に目が及ばないものの姿があります。それだけに、彷徨の果に稲橋に安住し、孤寥の内に老いた清臣に重ねて時代の闇を凝視したく思います。

 

※1:常世虫は、日本書紀巻24皇極天皇3年秋7月の記事、虫を「常世神」として祭れば富を長寿を得るとした「常世虫」の信仰が広まったこと。この常世虫は蚕。