中学校 道徳

中学校 道徳

生徒を信じて待つ道徳授業(第2学年)
2025.07.14
中学校 道徳 <No.006>
生徒を信じて待つ道徳授業(第2学年)
京都府京都市立伏見中学校 教諭 藤原有佐

1.はじめに

 この実践事例は、日本文教出版主催の道徳セミナーで使用する授業映像用に取り組んだものです。道徳の授業の撮影依頼を初めて受けたのが春の終わる頃でした。新しい学校に赴任してすぐでしたが、経験したことのないことに挑戦したい!と考えている私にはとてもありがたいお話で、何よりも、日本文教出版のセミナーで自分の授業を使ってもらえることが光栄でした。また、セミナーで付属学校などではなく一般の公立中学校の映像は使われたことがないと聞き、「生徒にも自分にも初めての経験になる!」と、興奮した気持ちで準備を進めました。
 選んだ教材は「足袋の季節」。自分が好きな教材を選びましたが、誰かに見てもらうことを想定しての指導案作成に苦労しました。導入から終末までを、50分間に収めることが難しく、これまで「書くこと」も大切にしていた授業展開を「話すこと」を中心にして、長文の教材は朝の会で事前に読んでおくという手法を取り入れました。
 授業を撮影していただいたのは9月末で、その時期には生徒たちとも関係づくりができていたので、ペアワークやグループワークなど、生徒はいつも通りの様子で授業に参加してくれました。目の前の生徒とはまだ半年の関わりでしたが、授業者を信頼して、安心して発言してくれる雰囲気が醸成されつつあることが分かり、うれしかったです。
 その後、冬に2回開催されたセミナーに登壇させていただきました。セミナーでは反省ばかりの時間となりましたが、この実践事例の執筆まで約1年間をかけて、1つの道徳教材に触れられたこと、多くの方々にご助言をいただきながら、研さんに励めたことに感謝しています。

2.教材について

 貧しい老婆から釣銭をごまかし良心の痛みに悩む主人公「私」は、後年、謝罪に訪れますが、老婆はすでに亡くなっていました。「私」が貧困と寒さに耐えきれず、釣銭で足袋が買えると考えた罪と後悔、そして謝って楽になろうと思っていた自分の弱さを糧に、「おばあさんにもらった心」を人生に前向きに生かしてきた姿勢に学ばせたいです。なお、1920年代の話であるため、20銭ほどの「足袋」の価値や、極寒の小樽の街について生徒に理解させる必要があると考えました。

3.実践事例

(1)教材名

「足袋の季節」(『中学道徳 あすを生きる2』日本文教出版)

(2)主題名

強く気高く生きる(内容項目:D-(22)よりよく生きる喜び)

(3)本時のねらい

 人間の内面にある弱さや醜さに向き合って自分を奮い立たせ、強さや気高さに変えることで自己を肯定して生きていけることの自覚を通して、人間として生きる喜びを見いだそうとする態度をつちかう。

(4)展開例


学習活動

主な発問と予想される生徒の反応
(○基本発問 ★中心発問 ・生徒の反応)

指導上の支援・留意点
(○留意点)

授業まで(朝読書の時間)に教材を読む時間をとる。



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1 「私」の当時の生活状況を考える

○「私」は日々どのような生活をしていたのだろう。
・貧しくつらい。冬なのに足袋が買えない。
・散髪代とお風呂代しか払えないほどの生活。
【めあて】弱さを受け入れ、気高く生きることについて考えよう。

○あらすじを確認する。
○足袋や極冬の小樽の街の写真などを提示することで臨場感を高める。



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2 教材「足袋の季節」の内容について考える

〇おばあさんに「50銭玉だったね?」と聞かれ思わず「うん。」と答えてしまった「私」は、どんな気持ちだったのだろう。 ペア
・足袋が買えるが、おばあさんにうそをついていいのか。
・おばあさんはわざと50銭玉と言い、私を励ましてくれているのだろうか。
・おばあさんは50銭玉と間違えているのだろうか。

○下宿先のおばが給料のほとんどを取ってしまうことに目を向ける生徒もいるが、多くは、中心の問題である釣銭のごまかしに注目する。主人公が思わず「うん。」と答えてしまうことの背景にある、貧しさや寒さをしっかり捉えさせる。

〇おばあさんにお金を返そうと思いながらもそれが果たせないでいるとき、「私」はどんな気持ちだったのだろう。 ペア
・おばあさんは私を励まして渡してくれたんだ。
・貧しいおばあさんにお金を返さないでいいのか。
・正直にお釣りが多かったことを言わなくてはと悩んでいる。

○思わず釣銭をごまかしたこと、「足袋が買える」という心に負けて謝りに行けなかったこと、おばあさんが自分を励ましてくれたと都合よく考えていたこと、謝れば許されると考えていたことに、「私」の心の弱さがあった。こうした人間の弱さ、醜さは誰にでもあることを自覚させる。

★「私」を、泣けて泣けてどうしようもなくさせたのは何だろう。 個人小集団
・謝る機会を失ってしまった後悔の気持ち。
・犯してしまった罪をどう償っていいのかわからない絶望感。
・いつか謝れば許してもらえると思っていた自分に対する情けなさ。

○「私」が橋の上で自分の弱さと向き合って乗り越えようとしたことをおさえ、「乗り越えていく」ことの意義や意味を考えさせる。
○「『私』は何を後悔したのだろう。」と補助発問をしてもよい。

3 「私」の考えを自分の生き方に生かす

〇過ちや失敗に気づいたとき、どう行動することが必要なのだろう。 ペア全体
・弱さから自分を奮い立たせ、強く生きようとすること。
・過ちや失敗を次につなげ、これからどう生きるかを前向きに考えること。

○おばあさんの死は絶対で、二度と許しを請うことはできなくなった。仕方なかったと考えずに、「おばあさんがくれた心を誰かに差し上げなければ」という「私」の心に深く共感させる。




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4 学習を振り返る

〇自分の経験を踏まえて、感想を書こう。 個人

4.板書例

5.まとめ

 自分の授業を誰かに見られる、見てもらえる機会を大事にしなければならないと感じました。今回、自分の授業映像を見て、多くの発見がありました。指導案だけでなく、自分の話し方、教室内での立ち位置、生徒との距離、間の取り方など、授業そのものを俯瞰することがとても大切です。多くのことを伝えたいと思っている授業者には「生徒を信じて、黙って待つ」ことが難しく、だからこそそれができるように努めなければならないと反省しています。
 そして、どんな授業も日々の生徒との関わりとつながっているということも再認識できました。生徒と関わってきた時間だけが重要なのではなく、どれだけ本気で向き合っているのか、その思いの深さが生徒たちに安心感を与え、自己開示できる空間づくりにつながります。
 熟考された指導案と、そこに授業者と生徒との思いが重なって、生徒の記憶に残る素敵な道徳授業が成立するのだと思いました。