学び!と美術

学び!と美術

これからの美術鑑賞~「文脈」と鑑賞教育
2015.05.11
学び!と美術 <Vol.33>
これからの美術鑑賞~「文脈」と鑑賞教育
奥村 高明(おくむら・たかあき)

浅草 飴細工 アメシン
(代表 手塚新理)
飴細工の金魚、大きさ7cm

 日本の鑑賞教育は、形や色などの物理的な手掛かりをもとに、主題や意図など作品の内容を考えるのが主流です。でも、形や色と主題の行き来だけでは「もったいないなぁ」と思います。作品を成立させるために不可欠な要素「文脈」(※1)を用いれば、鑑賞活動をより探究的な活動にすることができるからです。

 「文脈」は、例えば、作品にまつわる知識や物語、美術や社会に関する問題、時代性や歴史などです。形や色のように作品から直接は確認できず、主題のように作家が表しているものでもありません。今回は、「文脈」の代表選手「美術館」を取り上げてみます。

美術館

 美術館は、作品を美術品にするための代表的な仕組みです。「美術館には本物がある」「美術館には名品がある」。私たちは、美術館が信頼できる審美眼によって選ばれたものを展示していると思っています。もちろん、それはその通りで、美術館は日々努力しているのですが、それは「美術館に幼児の作品を紛れ込ませても、多くの人々は高名な作家の名作として見てしまう」というシステムでもあるのです(※2)。

壁や空間

 美術館の白い壁面や広い空間も、作品を立派に見せる仕組みです(※3)。それは、美術品を他の要素から切り離し、できるだけ単独に味わうために考え出された方法です。デザインに詳しい人ならお分かりでしょう。よく見せようとするモノがあれば、周りのものをどかして、白か黒い布の上にポツンとおけば、それだけで立派に見えてくるはずです。美術館の壁や空間はそのような働きをしていて、その上で私たちは鑑賞しているのです。

展覧会

 展覧会は、作品をよりドラマチックに味わう仕組みです。学芸員は作品が十分に味わえるようにストーリー性を考えて展示室を構成していきます。人の導線、視線の動き、展示場所やライティングなど、慎重に検討しています。その結果、私たちは順路を追って進めば、学芸員の提示する「美術の物語」を効率よく追体験することができるわけです。それは、「ありのままに作品に出会う」というよりも、「展覧会という方法を通して作品に出会っている」と言えるでしょう。

美術品

 作品自体も美しく見えるように「加工」されることがあります。例えば、ミロのビーナスなどの有名な古代ギリシャ彫刻は、つくられた当時、色鮮やかに着色されていました(※4)。でも時間が立つと色は落ち、真っ白の大理石像になります。そこに「白が高貴な理想の色」という考えが加わり、僅かに残っていた色の痕跡でさえ削り落とされたのです。大英博物館で実際に起こったことです(※5)。私たちは、その「まなざし」を未だに引き継いでいるかもしれません。現代作家のLéo Caillardはギリシャ・ローマ風の白い彫刻にTシャツやジーンズをはかせていますが、その通俗的な姿は、逆に私たち自身の白い大理石彫刻に対する「信仰」に気づかせてくれるでしょう(※6)。

 美術館、壁や空間、展覧会、美術品などは、いずれも私たちの「まなざし」を構成する重要な「文脈」です(※7)。探究的な美術鑑賞を通して、これに気づくことは可能でしょう(※8)。本稿の例で言えば「美術館には素晴らしい本物がある」と信じて疑わない姿勢や、「美術館=美の神殿」という意識を問い直すことができるはずです。今、求められている、クリティカル・シンキングやメタ認知の育成などにも役立つように思います(※9)。発達や習熟度にもよりますが、「風景とは」「自己とは」「女性とは」「子どもとは」など、様々な文脈に着目した鑑賞教育に挑戦してみてはどうでしょうか(※10)。

 

※1:テート美術館「アートへの扉」を参照。ロンドン・テートギャラリー編 奥村高明・長田謙一監訳「美術館活用術 鑑賞教育の手引き」2012美術出版社
※2:美術館の制度性については100年前から批判されている。大聖堂、メディア、商業施設等、今も美術館の存在は、作家や研究者、美術館自身などから問い続けられている。
※3:近代的な美術館として誕生したMoMA(1929年開館)は、無菌室やホワイト・キューブなどと呼ばれ、批判の対象となった。「今もって絶対的な権威」「それ自体がひとつの表現だ」などの指摘もある。
※4:近年の図鑑や絵本などの復元画は、パルテノン宮殿も、大理石の像も「極彩色」である。
※5:「NHKスペシャル 知られざる大英博物館 第2集 古代ギリシャ “白い”文明の真実」NHKエンタープライズ 2015
※6:http://www.leocaillard.com/
※7:私たちは、文化的な生き物であるがゆえ、文脈という仕組みから逃れることはできない。
※8:普段の美術鑑賞で、このようなことを問題にするのは無粋だろう。ただ、経験的にギャラリーツアーなどで鑑賞者が自ら「展示室の作品の配置における学芸員の意図」や「美術館の設置と自然環境の関係」について語り始めることがある。
※9:指導者側が「文脈」に無自覚なまま「作品との純粋な出会い」や「ありのままの自然な対話」を求め続けても、この要求には応えられない。中学校学習指導要領には「自分の価値意識をもって批評し合う」とあり、解説書では「自分の価値意識をもって批評するためには,自分の中に対象に対する価値を明確にもつことが前提」「鑑賞は単に知識や作品の価値を学ぶだけの学習ではなく,知識なども活用しながら自分の中に作品に対する新しい価値をつくりだす学習である」とある。「いくつかの鑑賞の視点を設定」して、探究的な学習の開発を行う実践も求められている。
※10:アートカードを用いた美術館づくりや、キッズ・オークションなどがこれにあたる。オークションについては大分県立別府青山・別府翔青高等学校岩佐まゆみ先生が公的な美術館と収集の問題に関わった興味深い実践を行っている。