学び!とシネマ

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禁じられた歌声
2015.12.25
学び!とシネマ <Vol.117>
禁じられた歌声
二井 康雄(ふたい・やすお)

(C)2014 Les Films du Worso (C)Dune Vision

 映画の舞台は、アフリカのマリ共和国の世界遺産ティンブクトゥの近くである。多くの家族が平和に暮らしている。この平和な場所が、イスラムの過激派に占拠される。過激派の兵士たちは、勝手にいろいろな法律を作り、住民の自由を束縛する。唄うこと、笑うこと、サッカーなどを禁止する。

(C)2014 Les Films du Worso (C)Dune Vision

 「禁じられた歌声」(レスぺ・配給、太秦・配給協力)は、今年の6月に開催されたフランス映画祭で上映された。いちはやく見て、深く心が震えた。世界のほんの一部の場所ではあるが、ここには、人間の尊厳、自由を束縛する現実があり、抑圧された人たちは、出来うる限りの抵抗を示そうとする。
 砂丘のある美しい街である。幼い少女のトヤ(レイラ・ワレット・モハメド)は、優しい父キダン(イブラヒム・アメド・アカ・ビノ)と、美しい母サティマ(トゥルゥ・キキ)と、牛を飼ったりして、貧しいけれど幸せに暮らしている。そこに、イスラムの過激派の兵士たちがやってくる。自由を束縛された人たちは、ささやかな抵抗を試みる。兵士の難癖に、堂々と抗議する女性がいる。隠れて音楽を奏でる。少年たちは、ボールがないのにサッカーをしているふりをする。例外は、心を病んだ女性で、顔を隠すこともなく派手なドレスで街なかを歩き回る。弾圧が増していく。ある女性は、禁止された手袋をしただけで、ムチ打ちの刑を受ける。痛みをこらえて女性は、苦しい声で唄い始める。

(C)2014 Les Films du Worso (C)Dune Vision

 トヤの一家は街はずれに避難しているが、兵士がひっきりなしにやってくる。一家が飼っている牛の一頭が、川で漁をしている漁師の網をひっかけたことから、牛は漁師に殺されてしまう。銃を手にしたキダンは、妻サティマの説得を押さえて、漁師のもとに向かう。漁師と言い争ううちに、キダンの銃が暴発し、漁師が亡くなる。キダンは逮捕され、侵略してきた兵士たちによって裁かれようとする。
 ごく一部ではあるけれど、いまの世界の現実を、的確に、静謐に描ききった作品と思う。ジハード(聖戦)の名のもとに、殺戮を続ける兵士たちを、ことさら悪と決めつけていない。
 兵士たちとて人間である。同じイスラム教信者に禁止したサッカーの話題で盛り上がることさえある。暴力を否定し、愛と祈りを説く信者には、一言も逆らえない。
 この映画は、多くの問いを突きつける。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、そのルーツは同じである。なぜ、いま、このような状況なのか。人間の自由とは、尊厳とは?
 監督は、モーリタニアに生まれて、幼い頃にマリに住み、モスクワで映画の勉強をしたアブデラマン・シサコという。現在はフランスで活動していて、本作はフランスとモーリタニアの合作となる。作られたのは、2014年。フランスのパリで、無差別、同時多発テロが起こった、ほぼ1年前である。監督は、2012年に小さな新聞記事を見た。イスラムの過激派に占領されたマリのある村で、結婚しないまま、子供を産んだ男女が、投石による公開処刑を受けた、という記事だ。監督は言う。「映画には不条理にあらがう力があり、何が正しいのかを理解する助けにもなる」と。監督は、映画のもたらす力を信じている。
 誰にも、私たちが笑い、唄うことを禁じることはできないと思う。見ていて、厳しく辛い状況の映画だが、寓意に満ちた、美しい映像表現である。その表現は、他者を愛すること、赦すことの意味を的確に伝えている。銃を手にしたキダンに、妻のサティマは言う。「武器は要らない、話し合うべき」と。

2015年12月26日(土)よりユーロスペースico_linkほか全国順次ロードショー!

『禁じられた歌声』公式Webサイトico_link

監督:アブデラマン・シサコ
脚本:アブデラマン・シサコ、ケッセン・タール
撮影:ソフィアーヌ・エル・ファ二
出演:イブラヒム・アメド・アカ・ピノ、アベル・ジャフリ、トゥルゥ・キキ、ファトウマタ・ディアワラ、イチェム・ヤクビ
2014年/フランス・モーリタニア映画/97分
原題:TIMBUKTU
提供・配給:レスペ
配給協力・宣伝:太秦
宣伝協力:テレザ
(C)2014 Les Films du Worso (C)Dune Vision