学び!とシネマ

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幸せをつかむ歌
2016.03.03
学び!とシネマ <Vol.120>
幸せをつかむ歌
二井 康雄(ふたい・やすお)

 まことに身勝手な母親である。幼い子どもが3人もいるのに、ロック歌手を夢見て、リンダ(メリル・ストリープ)は家庭を捨てる。リンダは、リッキーという男名前を名乗り、ロサンゼルスの場末のバーでロックを唄っている。バンド名は、リッキー&ザ・フラッシュ。かつてのヒット曲にオリジナルを交えて、パワフルな演奏、ボーカルを聴かせている。熱心なファンがいるが、小さなライブハウスだからリッキーの生活は楽ではない。リッキーは、近くの食料品店でアルバイトをしながらの一人暮らし。バンド仲間のグレッグ(リック・スプリングフィールド)と仲良しだが、一緒に住んでいるわけではない。インディアナポリスに残してきた子どもたちは、もう、とっくに成人している。

 ある日、リッキーのもとに別れた夫のピート(ケヴィン・クライン)から電話が入る。すでに嫁いだ娘ジュリー(エイミー・ガマー)が離婚したという。事業に成功したピートは、モーリーン(オードラ・マクドナルド)と再婚、いまは幸せな生活である。ピートは、ジュリーを慰め、元気づけることが出来るのは実の母親だけと考え、リッキーにインディアナポリスに来るよう、申し出る。家族を捨てた立場のリッキーは、ジュリーの結婚式にも出なかった。片時でも子どものことは忘れないリッキーだが、いまさら子どもの許に戻れる身ではない、と思う。重い胸の内のまま、リッキーはインディアナポリスに向かう。
 「幸せをつかむ歌」(ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント配給)は、ざっとこのような映画である。ロックという音楽は、普段それほど聴くことはないが、歌詞に込められた意味は奥が深く、幅の広い音楽と思っている。映画のなかで、リッキーとその仲間たちは、ドラマの展開にうまく合ったロックを聴かせる。その選曲が見事である。
 冒頭は、リック・スプリングフィールドのベスト盤にも入っている、トム・ぺリーの「アメリカン・ガール」である。リッキー役のメリル・ストリープが熱のこもった歌唱を聴かせる。息子ジョシュ(セバスチャン・スタン)の結婚式の案内が届くシーンでは、リッキーたちの演奏ではないが、ローリング・ストーンズの名曲「黒く塗れ」が流れる。また、スタンの結婚式に出かける費用がなく、バンド仲間のグレッグが、ご自慢のギブソンのギターを売り払った後で唄われるのは、ドビー・グレイの「ドリフト・アウェイ」。これは、まことにパワフルで、メリル・ストリープの歌が素晴らしい。そのほか、ブルース・スプリングスティーンの「マイ・ラブ・ウィル・ノット・レット・ユー・ダウン」、レディ・ガガの「バッド・ロマンス」、ピンクの「ゲット・ザ・パーティ・スターテッド」などなど。どの曲がどのシーンで唄われるか、ぜひ、ご注目ください。
 リッキーたちのバンド演奏は、吹き替えではなく、実際に演奏しているとのこと。もちろん、メリル・ストリープがギターを弾き、唄う。巧いものである。メリル・ストリープは、ファッション雑誌の鬼のような編集長(「プラダを着た悪魔」)役をはじめ、ミュージカル作品では実際に唄ったり(「マンマ・ミーア!」)、実在した料理研究家そっくりのしゃべりかたをしたり(「ジュリー&ジュリア)」、イギリスの元女性首相に扮したり(「マーガレット・サッチャー 鉄の女」)。その芸域の広さと演技の巧さは現役最高の女優だと思う。メリル・ストリープの出た映画を見るだけで、アメリカの雑誌業界のことや、スウェーデンのグループのアバのヒット曲、料理の世界、イギリスの政治の話などにつき合える。

 本作では、母と娘の葛藤も描かれるが、その和解もある。生みの母と育ての母との議論も飛び出す。ラブストーリーでもあり、音楽映画としても見どころ、聴きどころ満載である。映画は、決して堅苦しいものばかりではない。見て楽しく、色々な知識を獲得できる映画も多い。まさに映画は、人生のためになる「教師」役でもある。
 来日公演も何度かあるリック・スプリングフィールドは、オーストラリア生まれのロック・ミュージシャンで、自伝や小説も書く才人。巧すぎる演技のメリル・ストリープの良き理解者といった役どころを、そつなくこなす。監督は、傑作の「羊たちの沈黙」を撮ったジョナサン・デミ。老獪、手だれの演出。楽しんで、涙がホロリ。ことにラスト近くは、畳みかけるように、すてきなエピソードが連続する。
 この映画でメリル・ストリープのことを、いいなあと思われたら、ほかの作品もぜひ見てください。裏切られることはないはず。この一本と聞かれると困るが、個人的に好きなのは、2002年に作られた、時空を超えた3つの話が交差する「めぐりあう時間たち」。メリル・ストリープの出るエピソードでは、ヘルマン・ヘッセの詩に、リヒャルト・シュトラウスが曲をつけた、「4つの最後の歌」から「眠りにつくとき」が流れる。お勧めです。

2016年3月5日(土)、Bunkamuraル・シネマico_linkヒューマントラストシネマ有楽町ico_linkほか全国順次公開!

■『幸せをつかむ歌』

監督:ジョナサン・デミ
脚本・製作:ディアブロ・コディ
出演:メリル・ストリープ、ケビン・クライン、メイミー・ガマー、リック・スプリングフィールド セバスチャン・スタン 他
2015年/アメリカ/101分
原題:RICKI AND THE FLASH
映倫:G
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント