学び!と歴史

学び!と歴史

民衆という存在
2016.08.08
学び!と歴史 <Vol.101>
民衆という存在
「主權者」が主權者になるということ 5
大濱 徹也(おおはま・てつや)

承前

 前田多門は、『公民の書』(1936年)において、市政、町村政を担う地方自治における民衆の権限につき、「範囲は小さく、力に限りがあるにしても」、「国政以上に充実」したものなのだと位置づけ、その民衆像に言及しています。

議会は貴衆両院で法律案を可決したからとて、すぐそれで法律としての国家意思は発生しない。必ず御裁可を俟つて効力が完成するのである。然るに地方自治の場合では、市会の議決、町村会の議決はその議決の瞬間にその自治体の意思として完全に成立する。その内には無論国家の監督上の許可認可を要するものがあらう。さやうな事項はそれぞれ許可認可がない内は実行は出来ぬものゝ(例へば起債)、然し地方自治体の意思そのものは、議決の瞬間に立派に成立したのであつて、敢て監督官庁の行為を俟つまでもない。範囲は小さく、力に限りがあるにしても、民衆的権限は国政以上に充実して居ると言へるのである。
(民衆は)一見迂愚軽躁と見えるかも知れない。然し長い眼で見れば、その判断はおのづから帰趨する所があつて、決して忽がせにはなし得ないものがある。アブラハム・リンカーンの言に「一部の人間を長い間欺くことは出来る、全部の者を短い間欺くことは到底出来ない」といふのがある。さすがは峻傑、うまい事を言つたものだと思ふ。民衆の判断はこれである。これを除外して正しい政治は出来ない。して見ると、民衆の一般の投票によつて選出される代議士が、常に民衆の声を代表して国政に参加する重要性がはつきりする。仮令世の中がどんなに変つても、この仕組みは決して変はるべきものではない

民衆によせる眼差し

 こうした民衆によせる眼差しは、「立憲政治か独裁政治か」(1935年)で「究極の監督者は民衆の声に帰す。知識は専門家に、然し智慧は民衆に属すべき理である」となし、テクノクラートとしての官僚の営みも、その智慧の部分は民衆の声に帰するとみなしていたのです。民衆の声に耳を傾けない政治はありえないと認識していました。
 いわば『一票の力』(1935年)は「どんな善政の姿を取つても、それが民衆の意思と連絡のない時は、長きに亘つて正しい政治は行はれるものではない」との確信にささえられた提言でした。この思いは、民衆が公民として、「自分達が協力して公共事業を作り上げれば、それは結局自分達のお互ひに享有する楽土が現出するのであつて、公共生活は重苦しい厄介なものではなく、各人が寄り合つて楽しい生活を共にするためのものであることを銘記すべきである」となし、「人は公民となって初めて人生の尊貴を味ふことができる」という信念によるものです。
 ここには、秩序形成能力を身につけた民衆の意思こそが地方自治体の運営を可能にするとの指摘にみられますように、現在主張されている地方分権論を先取りした主張が読みとれます。昨今の議論には、civicsの認識が欠落しているため、秩序形成能力が問われていることに眼がとどかず、市民たる者の責任と義務が稀薄ではないでしょうか。
 まさに『公民の書』は、縦の関係が強調される時代に対峙し、互いに横に手をつなぎ合う横の平等人同士の協力を覚醒することで、時代の閉塞感を打開していく公民の道を説き、民衆の秩序形成能力への期待を表明した作品といえましょう。

連帯協力への途

 ここで提示された横の平等人同士の連帯協力を可能とする公民という観念には、世界との連帯、今で言えば国際的な連携を問いかける発想が読みとれます。ここには第一次大戦後の1923(大正12)年から1926年までジュネーブの国際労働委員会における日本政府代表を務めた経験がうかがえます。ちなみに労働総同盟の鈴木文治が労働者代表として国際労働会議に出席できるように政府を動かしたのは前田の力が大です。
 前田は、「吾々が一日の生存を完うするためにも、それは吾々の周囲に聯なる、知れる、また知らざる、見える、また見えざる無数の人々と持ちつ持たれつして居るのである」となし、生産と消費の関係が生みだす「経済の理法」にささえられて社会は動いていること、当世風に言えば国際化に言及します。いわば自然的な関係に支えられた「隣保相佑」の秩序は、「経済の理法」と「社会の約束」に支配される共同体に変わり、公民にはその社会を形成していく力の担い手となることが期待される。その力は一国から世界へと及ぶものとみなされたのです。
 このような「世界の日本」になるためには、「国際正義の実現のため各人は協力を吝むべきではない。それはこの世に生を享けた吾々人類の、心懸くべき大きな公民道であると信ずる」となし、「国際平和の建設の為に」「国際正義と世界平和に対して、より多く建設的な貢献をなす心懸けを養」ねばなりません。まさにcivicsとしての公民道には、各地の人々と国際正義と言うことにおいて、いかに連帯を作っていけるか、そうした意味における世界平和への目線が託くされていました。
 いわば前田が提起した公民への期待は、上から押さえつける権力的関係性ではなく、下から公民が互いに協力し合って生活を作り上げていく、社会の秩序を形成していくという、横の連帯という概念で説かれたわけです。この思いこそは「国内のcivicsにとどまらず、国際間の平和もやはり同一の公民道精神によって支持されるべきだ」との問いかけにほかなりません。
 昭和十年代に提示された問いかけは現在まさに市民たる者に求められるものではないでしょうか。昨今声高に喧伝されている「市民自治」とか「世界市民」なる言説にみられる「市民」には、己の要求をのみ主張し、市民が負うべき責務、互いが同心協力し、自らの秩序を構築していくために求められることは何かを問い質す眼が欠落しているのではないでしょうか。それだけに前田が敗戦時にcivicsに言及した思いを現在まさに想起すべきです。