学び!と道徳

学び!と道徳

【新連載スタート】「語る!」道徳教育の基本はここにあり
2016.09.20
学び!と道徳 <Vol.01>
【新連載スタート】「語る!」道徳教育の基本はここにあり
大原 龍一(おおはら・りゅういち)

1.はじめに

 はじめまして。このたび、「学び!と道徳」を担当させていただくことになりました大原龍一です。
 道徳の教科化(特別の、新しい枠組みによる)が教育界における大きな話題の1つになっている昨今、現場の皆様に少しでもお役に立てるような記事や情報を提供し、道徳教育の振興にいくばくか寄与したいと思っています。頑張ります。
 よろしくお願いいたします。

2.道徳教育の基本は「語る」

 さて、いきなり道徳の教科化云々から始めるのも気分的に「重い」ので、普段私が考えていることをいくつか紹介させていただこうかと思います。
 今回は「語る」をテーマにしたいと思います。道徳教育を貫く基本的なスタンスとして、私は「語る」ことを位置づけているからです。もちろん、週一時間の道徳の時間の指導においても「語る」ことを重視しています。

(1)「語る」ということ

 「語」という漢字を二つに分けてみました。「吾(われ:自分)」+「言(う)」となります(実は、これは道徳の大先輩から教わったことです)。ですから、自分が自らを心から話すこと。これが話すこと。これが語るということになります。これは、「(1)自分のことを言う➡語る」でもありますし、「(2)自分のこととして、自分のものとして(自己の内面できちんと咀嚼して)言う➡語る」ことももちろん、「(3)相手に分かりやすく自分の主張や考えを話す➡語る」でもあるわけです。まさに道徳の基礎・基本ではないでしょうか。
 広辞苑を引いてみますと、「①事柄や考えを言葉で順序立てて相手に伝える。②筋のある一連の話をする。③節や抑揚をつけてよむ。朗読するように述べる。④親しくする。うちとけて付き合う。⑤内部事情や意味などをおのずからに示す。」とあります。よく見てみると、上記「(1)(2)(3)」と同様、これらも道徳教育ならびに道徳の授業を行う上での基本姿勢であると私は考えます。

(2)教師は、まず自分を「語る」

 道徳教育を効果的に推進していく上で最も留意しなければならないことは、教師と子どもとの豊かな人間関係を醸成することだと考えます。小学校学習指導要領解説「道徳編」においても、教師と児童・生徒との人間関係を深めることの必要性・重要性が以下説かれています。

 教師と児童の人間関係においては,教師に対する児童の尊敬と,児童に対する教師の教育的愛情,そして相互の信頼が基本になる。したがって,教師には児童を尊重し受容する態度及び児童の成長を願う教育的愛情が不可欠である。また,教師自身がよりよく生きようとする姿勢をもつことによって,自己を常に向上させようとしている児童の強い共感を呼び,それが信頼関係の強化につながる。これらのためにも,教師と児童が共に語り合うことのできる場を日常から設定し,児童を理解する有効な機会となるようにしていくことが大切である。(小学校学習指導要領解説「道徳P.113」下線部:大原)

 そのため、私は自分を子ども(今は、学生)に語るようにしています。自分について語り、自らの胸襟を開き「どうぞいらっしゃい」と迎え入れる姿勢が子どもたちの共感を呼ぶと考えています。しかし、どうしても自分をさらけ出すことにもなり恥ずかしい限りではありますが「私はこうやって生きてきた」ということを語っています。そうすると、子どもたちも徐々に断片的ではありますが自分のことを話すようになってきます。このことは、小学生のみならず大人である大学生にも通じることです。大学の授業を開始するに当たって、最初にオリエンテーションとして自己紹介がてら「私」について語ります。豊かな人間関係の醸成とは実はこのような積み重ねによってつくられてくるのだと思っています。
 大学での自己紹介の内容は、●私の生い立ち ●私の学校生活(小中高等学校) ●大学生活と教員志望 ●教師になってから ●管理職になってから ●私と家族 ●趣味や特技 等をP・Pでかつての写真等を提示しながら語ります。学生は興味をもって聞いてくれます。実はこのP・P画面は、校長の時に6年生の総合的な学習の時間に「将来の自分について」という学習で6年生に話した(語った)時の資料が基本となっています。子どもたちも興味をもってよく聞いてくれていました。

(3)道徳の時間では、子どもが自分を「語る」

 道徳の時間においては「資料・教材」が大きな割合を占めます。資料のない道徳の時間の指導はあり得ません。そこでは、「資料勉強する」のではなく、「資料【人としての生き方】を勉強する」のです。主人公に投影して自分を語らせるのです。知っていることや聞いたこと、見たことをそのまま話すのではなく、それらをもとに自分の生き方について語り合う時間が道徳の時間なのです。そして、その中から「よりよい生き方」を自ら探し出すことが学習のねらいとなるのです。教師は、子どもたちが「自らの生き方の軸を見つける」お手伝いをすることとなります。
 「知識」「見識」という言葉があります。知識とは字のごとく知っていることです。知っていることに基づいて自分なりの考えや思い、見解を持つことが大切です。そうでなければ単なる「物知り」にすぎません。知識➡見識に引き上げるところに人間的な成長がみられるのではないでしょうか。道徳の時間もそんな時間にしたいものです。子どもたちや先生が互いに語り合って、高め合う時間に。
 もう一歩。肝が据わった「胆識(たんしき)」もほしいところですが。

(4)資料・教材は教師が「語る」

 道徳の時間は「資料(教材)提示で決まる」と言われます。質の高い資料を用意することはもちろんですが、その資料をどのようにして子どもたちに提示するかが道徳の授業においては非常に重要な要素となってきます。
 私自身恥ずかしい限りではありますが本当にこのことを実感として理解したのは、50も半ばを過ぎた頃でした。耳にはしていましたが、実際の授業(校長になってからも自校を中心として授業実践をしていました)を通してその意味するところを自らのものとして実感し、理解しました。子どもたちの反応が明らかに異なるのですから。そして、資料提示後の授業展開も今までとは比べものにならないほど質の高いものになります。若い教員が道徳の授業で苦労していました。徹底して資料提示を練習させました。結果、授業が見違えるほどステキになりました。単に話合いのテキストを読むのではないのです。
 私は「資料を読む」のではなく「語る」と言っています。学習指導案にもそのように記すようにしています。資料(教材)を何回も何回も読み、自分のハートに落とし込み、自らの心の言葉として子どもたちに語ることによりその心が子ども一人一人に伝わっていくのではないでしょうか。そして、「間」と「余韻」を大切にしながら「節や抑揚をつけてよむ。朗読するように(広辞苑)」語ることです。まるで1つの作品のように子どもたちの心にプレゼントしたいものです。心の玉手箱として。

3.次回にむけて

 次回は、もう少し「資料・教材を語る」についてこだわってみたいと思います。もう一つは、アクティブ・ラーニングです。しばらくは道徳授業の進め方になるでしょうか。
 また、よろしくお願いいたします。

 

※本原稿は、当サイトの機関誌・教育情報「まなびとプラス」vol.9でもお読みいただけます。