学び!と道徳

学び!と道徳

教材は心をこめて「語る!」ことが大切なのです
2016.09.30
学び!と道徳 <Vol.02>
教材は心をこめて「語る!」ことが大切なのです
大原 龍一(おおはら・りゅういち)

 「学び!と道徳」第2号を掲載させていただきます。
 ただ今この原稿は「松山市」で執筆しています。松山市は、今年度の「全国小学校道徳教育研究大会」(全小道研全国大会)開催地です。11月10日(木)に松山市立久枝小学校、潮見小学校で公開授業と学年別分科会、11日(金)に会場を移して課題別分科会、講演等が行われます。全小道研にかかわっていた者として多くの皆様のご参加を期待しております。(詳しくは、全国小学校道徳教育研究会のホームページをご覧ください(※注1)。今年度より大会参加申し込みがインターネット申し込みとなりました。)
 実は、私、この2月に会場校となる潮見小学校で授業を3コマやらせていただきました。後の号で触れたいと思っています。

1.これからの道徳は、アクティブ・ラーニング…!?

 次期学習指導要領改訂の目玉は「アクティブ・ラーニング」です。当然道徳科においてもそれが強く求められます。他教科においては、自主的、主体的な学習ということで、今までも問題解決的学習、体験的学習ということでやってきたのでなんとなくイメージがつきやすいのですが、道徳科においては今一つ明確になりません。「考える、議論する」ということが盛んに言われていますが、今までも考えさせたり、議論させたりはしてきました。
 中教審のワーキンググループ部会報告によりますと、子どもたちの「主体的・対話的で深い学び」をアクティブ・ラーニングの視点にすると記されてあります。このことについて、教育課程企画特別部会では、

(1)習得した知識や考え方を活用した「見方、考え方」を働かせながら、問いを見出して解決したり、自己の考えを形成し表したり、思いを基に構想、創造したりすることに向かう「深い学び」が実現できているか。
(2)子ども同士の協働、教員や地域の人との対話、先哲の考え方を手掛かりに考えること等を通じ、自らの考えを広げ深める「対話的な学び」が実現できているか。
(3)学ぶことに興味や関心を持ち、自己のキャリア形成の方向性と関連づけながら、見通しを持って粘り強く取組み自らの学習活動を振り返って次につなげる「主体的な学び」が実現できているか。

 これらの学びを促す道徳の時間の創造は今までも取り組んできたことですが、より一層アクティブ・ラーニングの視点を生かそうということと捉えたいと思います。要は具体的な授業構想を上記3つの視点から問い直そう、そして、授業もこの3つの視点から評価しようということが大切となります。具体的な道徳授業について、この3視点から考察する機会も、今後もってみようと考えています。

2.道徳科におけるアクティブ・ラーニング、それは「教材提示」から始まる!

 私は、道徳科におけるアクティブ・ラーニングの根底に「教材提示の工夫」を据えたいと考えています。上記3つの視点を重視した授業づくりの前提となるアクティブ・ラーニングです。
 全小道研大先輩の荻原武雄先生はその著書「あたたかい道徳授業をつくる(※注2)」において「資料提示(道徳科においては、教材提示)に心を込める」とおっしゃっています。教材に深く浸れば浸るほど子どもたち一人一人がもつ豊かな思いが心の中で躍動し始めるのです。そして、子どもたちの側に立って考え、子どもたちも教師も心が躍るような教材提示の工夫に全力を傾けることが必要なのです。教材提示は道徳の授業の極めて重要なポイントであり、この成否が道徳の授業の成果の鍵であるとおっしゃっています。思いを基に構想、創造したりすることに向かう「深い学び」、自らの考えを広げ深める「対話的な学び」(教材との対話的な学びをも含む)や「主体的な学び」も教材提示によって大きく左右されるのではないでしょうか。
 そのためには、何度も言いますが、教材は心をこめて「語る」ことが大切なのです。

 私も最近各地の学校で飛び入り授業をさせていただく機会をもっています。初めて出合った子どもたちと道徳の授業をする緊張感は何ともいえないものがあります。もちろん子どもたちの実態やクラスの雰囲気など事前に情報は何も得ておりません。しかし、授業はそれなりの水準以上をクリアすることが出来ます。なぜでしょう…?
 それは、「教材提示」です。教材提示で子どもたちを教材の世界に誘うことが出来ればほぼ授業のねらいは達成できます。教材提示で子どもたちの心が躍っていれば、躍動していれば当然のことながら子どもたちはよく考え、議論の深まりが見られる授業となってくるのです。
 そして、私は言いたい。教材提示の工夫にはこれからの道徳の授業においてもっともっと創意・工夫を凝らしていただきたい。道徳の教材は提示後の話し合いのための単なるテキストではないのです。一つの「作品」と心得ていただきたい。読めばいいというものではなく、朗読の域にまで近づける努力を教師はするべきだと考えます。そんな道徳の時間を子どもたちは好きになり、待ち焦がれるものとなるでしょう。楽しく魅力ある道徳の時間であれば自然と子どもたちの(道徳の)学力=道徳性は身につき高まるはずです。
 道徳科におけるアクティブ・ラーニング、それは教材提示から始まる。誰も言わないので、私が一人声高に主張し続けたいと考えています。

3.忘れられない資料提示、「泣いた赤おに」

 もう7、8年前になります。若い2年目の先生が市の研究会・道徳部会で「泣いた赤おに」の研究授業をすることになりました。学年は2年生です。感動的な資料なので、感動的な資料提示が求められます。問題はどのようにすれば子どもたちに感動を呼び起こさせることが出来るか、です。山形県・高畠町の浜田広介記念館(※注3)で聴いた朗読はまさに圧巻でした。淡々とした語りから深い感動の世界に引き込まれました。それはまさにプロの技です。一般の教員には難しいです。その域に達するには何十年とかかります。
 その若い女性教員に助言しました。資料を暗記して子どもたちに語ろう、そして、少し身振り手振りを入れて一人芝居風にやってみよう、と。もちろんBGMも忘れないで。しかし、最後のクライマックスが難しい。青おにの手紙を読んで「戸に手をかけて顔を押し付けてしくしくと涙を流して泣く」場面です。彼女は「私、実際にこの情景を赤おにになったつもりで泣いてみます。」と提案してきました。やってみるとそれなりに様(さま)になっています。それから彼女の気合いの入れ方が変わってきました。授業づくりへの執念というか気迫が並々ならぬものへと変わってきました。
 当日の授業では子どもたちも最初のあたりでは担任の一人芝居に慣れないせいかくすくす笑う子もいましたが、終盤のクライマックスまでくると全員の子どもが「泣いた赤おに」の世界に完全に引き込まれてしまいました。提示が終わった後もその世界に浸り込み、結局その後の学習活動も資料の世界に入り込んだまま流れていきました。
 赤おにを通して自己を見つめ、自己の生き方についての考えを深める授業が進められました。もちろん、まだ2年目の先生なので不十分な点は多々ありましたが、総じてよい授業、感動的な授業でした。ある面、相当の経験者でも到達できない授業であった、というのが率直に感じたところでした。

 

※注1 全国小学校道徳教育研究会 http://zenshoudouken.com/
※注2 「小学校 あたたかい道徳授業をつくる」荻原武雄著(2007/9 明治図書出版)
※注3 「まほろば・童話の里 浜田広介記念館」 http://hirosuke-kinenkan.jp/
浜田広介は、山形県高鼻町出身の童話作家で「日本のアンデルセン」とも呼ばれています。日本の児童文学の先駆け的存在で、作家人生50余年の間に、約1000編もの童話や童謡を世に送り出しました。代表作品として「泣いた赤おに」「りゅうの目のなみだ」「よぶこどり」「むくどりの夢」などがあります。(ホームページより)