社会科FAX情報
(小学校 社会)

社会科FAX情報
(小学校 社会)

桜前線・紅葉前線 ほか
2010.01.18
社会科FAX情報(小学校 社会) <No.77>
桜前線・紅葉前線 ほか

北日本や山岳地からは紅葉便りが届くようになり,秋の深まりを感じるこの頃です。
今年は新型インフルエンザの流行により,冬でもないのに,学級閉鎖も各地でみられます。先生方の学校ではいかがでしょうか。手洗いやうがいによる予防が大切なようです。どうぞ教職員・児童の皆さんに徹底をはかられますよう,お節介を申し上げます。
FAX情報77号をお届けいたします。学習指導のお役に立てば幸いです。

■桜前線・紅葉前線

 5年下巻37ページに「南からくるさくらだより」の囲み記事があり,桜の開花時期を示す地図が掲載されています。この地図は,全国各地の開花情報をもとに,同じ日付の地点を線でつないだもので,36ページの気温や降水量の地図と同様,「等値線図」とよばれる種類の地図です。
 この地図から,土地によって季節の訪れが少しずつずれることがわかるだけでなく,大きく言って,南から咲きはじめ,しだいに北に移っていくことが読み取れます。すなわち,桜の開花は,気温の上昇に促されるということがわかります。この開花等値線(等期日線)は,桜前線あるいはお花見前線ともよばれ,毎年,開花時期になると,新聞やテレビなどでこのことばを用いた報道があります。
 教師用指導書指導計画編81ページには,「かえでの紅葉時期」の地図を掲載していますが,これは,秋の深まりの地域差を示す資料で,桜前線同様,紅葉前線ということばを用いた報道がなされます。紅葉は,桜の開花とは逆に,気温の低下が必要条件です。落葉樹は,秋になって朝夕の気温が一定以下に下がると,樹種により,葉緑素の分解過程で赤色の色素が合成されたり,共存しながらもめだたなかった黄色の色素が,葉緑素の減少によってめだつようになったりするのです。
 なお,気候のようすの学習に際しては,単に気温や降水量の季節変化をとらえるだけで終わらせず,自分たちのくらしや産業と結びつけて考えさせることがたいせつです。そうでないと,社会科で気候を学ぶ意味がありません。37ページ掲載の資料は,どちらも,自分たちの生活と結びつけて考えるためのヒントを提供するものです。

■海水の淡水化

 5年下巻51ページに「海水を真水に変える工場がつくられているところもあるそうです」とあります。これは,那覇から北東へ20キロ足らずの北谷町にある海水淡水化センターなど,いくつかの施設があることを指しています。
 沖縄県には,水源として頼れるような河川はありません。降水量は年平均約2037mmで,全国平均を上回っていますが,人口密度が高いため,年間一人当たりでは全国平均の半分程度です。このため頻繁に渇水が生じており,最もひどかった1981~82年の渇水のときには,326日間にわたる給水制限が実施されました。一方,本土復帰以来,人口の増加,経済の発展,観光客の増加などのため,水需要は年々増加する傾向にあります。このため,日本で最初の大規模海水淡水化施設を建設することが決まりました。1997年に完成した施設では,1日あたり,那覇市で使用される水量の40パーセント近くにあたる4万トンの水をつくることができます。県内にはほかに,南・北大東,渡名喜,波照間,粟国島に海淡施設がありますが,生産水量は1日200~400トン程度と,小規模なものです。現在,日本最大の淡水化施設は,福岡県にあり,ここでは1日に5万トンの水をつくることが可能です。
 淡水化にはいくつかの方法がありますが,上記センターでは,水は通すが塩分を通しにくい「半透膜」とよばれる膜を使う,逆浸透法を採用しています。この方法は,ほかの方法よりコストは安いのですが,それでも1トン当たり170円かかり,これは,陸水102円に比べて約1.7倍です。このため,施設は常時稼働しているわけではなく,ダムの貯水量をみて,不足分を補うために運転します。雨水を利用した,節水型社会の実現が望まれます。(参考:沖縄県企業局Webページ,1997年7月1日「沖縄タイムス」)

■引き揚げ船

 6年上巻109ページに「日本へ引きあげてきた人たち」の写真が掲載されています。教師用指導書には,写真自体についての解説がなされておりませんので,ここに補いをさせていただきます。
 この写真は毎日新聞社から入手したもので,写真の表題には「17ヵ月の抑留生活に耐えてシベリアから帰国した人々」と記されています。1946年12月8日,太平洋戦争終結時にシベリアに抑留された日本兵ら2555人を乗せた引き揚げ第1船,大久丸が京都府の舞鶴港に入港した折の写真です。いかにも厚ぼったいコートと毛皮の帽子から,寒地からの帰国であることが見て取れます。
1947年にはソ連からの引き揚げはピークを迎え,約20万人が83隻の船によって運ばれ,舞鶴港の地を踏みました。ソ連への抑留者は推定57万5000人,炭坑や鉱山,第2シベリア鉄道の建設に投入され,飢えや寒さのために命を落とした方も数多くいました。
 2008年9月7日,終戦後,海外の居住地や抑留地などから帰国させる引き揚げ事業の最終船が,舞鶴港に入港して,50周年を迎えました。このことを記念して,「岸壁の母」などとよばれた家族らが引き揚げを待ち続けていたことを伝える案内板が,舞鶴市の五条海岸に設置され,除幕式が行われました。
(参考:昭和毎日ico_link

お詫びと訂正
6上教科書中に下記の誤りがございました。お詫びして訂正させていただきます。
●p.91の7行目:「大戦後」を「大戦の終わりごろ」とします。