学び!と歴史

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12月8日にどのように向き合ったのか ―戦後70年と開戦75年の間にみる世界―
2016.12.20
学び!と歴史 <Vol.106>
12月8日にどのように向き合ったのか ―戦後70年と開戦75年の間にみる世界―
大濱 徹也(おおはま・てつや)

 敗戦後70年が喧伝された2015年が終り、2016年は1941年12月8日の真珠湾攻撃による日米開戦から75年にあたり、米国では真珠湾攻撃75年の記念行事が開催されます。日本は、70年という節目の年、2015年に日本国憲法第9条が掲げた「非軍事憲法」ともいうべき戦後日本の基本法が「積極的平和主義」なる言説のもとに否定され、自衛隊が同盟国米国の「後方支援」を任務とすることが可能となりました。この「後方支援」は、新しい日米ガイドライン(防衛協力の指針)の英語版によれば、「logistic support」となっています。
 かくて平和協力業務(PKO)で2016年11月に南スーダンに派遣された自衛隊には、戦闘に巻き込まれた他国軍隊を「駆け付け警備」を名目に、支援する任務が付与されました。自衛隊が負わされた「積極的平和主義」による「後方支援」は、内戦下といわれる南スーダンにおいて、他国軍隊の支援を名目に武器を使用し、戦闘することとなったのです。いわば戦時における「後方支援」は、「logistic support」、「logistic―兵站」のことで、武器・弾薬・食糧の補給や兵士の輸送を任務となし、旧日本軍の兵科でいえば「輜重(しちょう)」に相当します。
 旧日本軍は、「輜重輸卒が兵隊ならば電信柱に花が咲く」「輜重輸卒が兵隊ならば蝶々トンボも鳥のうち」と揶揄、兵科に入らない存在とみなしていました。ここには、補給を軽視し、糧は敵に取れとした日本軍の戦略観が色こく投影されています。日本軍隊は、占領地住民から食糧をはじめ物資を徴発―略奪したがために、怨嗟の的となり、敗北したのです。
 自衛隊の任務は、旧日本軍が「軽蔑」した兵站を担い、米軍をはじめとする「同盟国」の作戦遂行を支えるわけです。近代戦は、戦線の拡大に相応する兵員と物資の輸送、兵站線の確保が作戦の死命を決定づけました。現代戦では、この兵站の確保が重要なだけに、敵の兵站を攻撃することが必須とみなされております。その意味では、「後方支援」である兵站を担う日本の自衛隊がまず攻撃対象にされることとなります。「後方支援」であるから「安全」という安倍首相の答弁は虚言、戯言なのです。
 このような現下の状況に想い廻らせたとき、私の頭に去来するのは、1941年12月8日のハワイ真珠湾の奇襲、対米・英宣戦布告の報に勇躍し雄叫びをあげ、「臣民」であり、「国民」であることを誇りとした日本人の姿です。日米開戦75年という日、12月8日は日本人にとり何であったかを確かめることは、戦後70年の2015年に日本が「非軍事憲法」をどのように処遇したかを問い質すためにも、現在あらためて確認すべき責務があるのではないでしょうか。

詩人にとっての12月8日

 詩人は言葉に生きる、生きねばならない存在です。日本の近代詩は欧米、特にフランスの詩壇に目を向け、その動向に倣うことで己の詩想をねりあげてきました。この方策は、古くは中国の詩を「漢詩」として、その創作を知識人の資格としてきた風潮につらなるものです。そこで、ヨーロッパの先端知を受け入れることに生命の火を燃やし続けた詩人の営みを読みとることで、日本の近代知なるものの在り処を問い質します。
 安西冬衛(1898-1965)は、日本植民地の大連で育ち、独自の心象風景を詩作した前衛詩人です。『軍艦茉莉』(1919年)での登場は衝撃的でした。

てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。(「春」)
彼女は西蔵の公主を夢にみた/寝床は花のやうによごれてゐた。(「犬」)

 この詩人が描いたエロチシズムは、12月8日という現実を目の当たりにし、「出陣の旦」(1941年)と語り、一挙に破砕されていきます。

「大本営陸海軍部発表『帝国陸海軍は本日未明西太平洋に於て米英軍と戦争状態に入れり』」
朝瞰紅を発して芙蓉の霊峰に映じ神国日本の眞姿将に東瀛に明け渡らんとする昭和十六年十二月八日の払暁、東京中央放送局の電波は、果然破邪顕正の神意の発動を儼として報じたのである。
鳴弦一旦。矢は既に放たれた。
我等は積年斯くあるを待望し、皇民一億又斯くあるを斉しく念願したのである。

 フランスの「前衛詩」に学んだ世界は、「我等は積年斯くあるを待望し」、と「出陣の旦」とともに飛散し、「大詔昭々 大道坦々/豁然としてこの道の開闢するところ/山川海嶽/帰一してことごとく/天皇の卒土/ああ/感激の十二月八日/乾坤、転じ来って再び咫尺にあり」「それ/生死を言はず/名利また埒外/必謹/ただ必殺の神気/凝って撃発すれば/真珠湾頭たちまち紅蓮の焔と天に冲し/ベンガル海上真紅の火と濤を焼いて/ために敵胆をして寒からしむ」(「軍神につづけ」1943年)との雄叫びにのみこまれていったのです。
 丸山 薫(1899-1974)は、「病める庭園」(1926年)で真昼の空虚感を鮮烈な映像として詩(うた)う言葉の魔術師、硬質な抒情を奏でた詩人でありました。

静かな午さがりの縁さきに/父は肥って風船玉のやうに籐椅子にのっかり/母は半ば老いて その傍に毛糸を編む/いま春のぎょうぎょうしも来て啼かない/この富裕に病んだもの懶い風景を/誰がさっきから泣かしてゐるのだ
オトウサンヲキリコロセ/オトウサンヲキリコロセ
それは築山の奥に咲いてゐる/黄色い薔薇の葩びらをむしりとりながら/またしても泪に濡れて叫ぶ/ここには見えない憂欝の顫へごゑであった
オトウサンナンカキリコロセ/オカアサンナンカキリコロセ/ミンナキリコロセ

 この詩人は、「空虚感」が補填されたのかのように、12月8日の感激を一身に浴び、「日の本とともに」(『軍神につづけ』1943年)と雄叫びをあげております。

こぞのかの日/大詔くだりししゞまの刻ぞ/わが肇国のこのかたより/ももちの刻にもためしなき一刻/すぎしこの年/われら戦ふさなかの現実ぞ/ともに一億が生涯の中/幾十年にもまさる一年/仇国ら未だ亡びずとても/われら戦ひ 戦ひて捷つ未来こそ/わが国史の上/幾百年をこぞる光陰なれ/みたみわれら/この耀ける御代に生れ遇ひて/一日の感激を火と燃やさむ/一年のくらしを石と耐へむ/一生のこころを鉄と鍛へむ/草莽われら/光栄ある生涯を戦ひ抜きて/わが短きいのちを百年の力と化さむ/わが生くるいまの歓喜を孫子につたへて/日の本とともに永遠にあらむ

 この雄叫びは、『つよい日本』(1944年)で「航空体操」「けふも雲間に」「ぼくの初陣」「ぼくらは海鷲」等々の陸軍少年飛行兵の讃歌となります。現代のけだるい闇を詩うことで、人間の生のあやうさに眼を向けた詩人はどこにいったのでしょうか。
 三好達治(1900-1964)は、抒情詩人として、日本近代詩の劈頭をかざる人物と評価されているようです。その詩人は、抒情詩ならぬ、「臣民」として、『捷報いたる』(1942年)等々と国家を寿ぐ詩を奏でることで時代に伴走して生きた一人です。

くにつあたはらへよとこそ/一億の臣らのみちはきはまりにたり/十二月八日/捷報臻る/アメリカ太平洋艦隊は全滅せり/昨夜香港陥つ/汝愚かなる傀儡よ/馬来(マライ)の奸黠/新嘉坡落つ/この夕べ/ジュンブル家老差配ウインストン・チャーチル氏への私信/化け銀杏/一陽来/第一戦勝祝日/あたうちて/落下傘部隊/九つの真珠のみ名/三たび大詔奉戴日を迎ふ/陽春の三月の天/春宵偶感/アメリカはいづれの方よ

 「ジュンブル家老差配ウインストン・チャーチル氏」と愚弄した詩人は、ここには無残な破碎した言葉しかありませんが、戦後は戦争などどこ吹く風と戦火に生きる場を失った人々を何もなかったかのごとく「涙をぬぐって働かう」(『砂の砦』1946年)と鼓舞してやみません。戦争は自然災害でしかないようです。ここに詩魂が読みとれましょうか。

みんなで希望をとりもどして涙をぬぐって働かう/忘れがたい悲しみは忘れがたいままにしておかう/苦しい心は苦しいままに/けれどもその心を今日は一たび寛がう/みんなで元気をとりもどして涙をぬぐって働かう
最も悪い運命の颱風の眼はすぎ去った/最も悪い熱病の時はすぎ去った/すべての悪い時は今日はもう彼方に去った。

時代に向き合う場とは

 詩人、近代知を纏うその姿には、日本近代における知の受容の形相があるのではないでしょうか。日本の近代は、欧米の先端知を一身に纏うことで己の場を誇示してきました。詩人の相貌は、言葉で生きる存在であるがために、その空虚さを曝したにすぎません。その相貌は、日本の学問思想の根なし草につらなり、状況に合わせて乱舞する世界、流れに併走していく世界を生み育てたと言えましょう。それだけに時代に向き合い己の場を問い語る知の在り方が問われるのではないでしょうか。そのような時、私の心に谺してくるのはM、ピカートの問いかけです。

もしも人間が、沈黙からも教えの言葉からも、正しい行いをなすことを聴き容れない場合には、事件が、歴史そのものが、人間を教える役割を引きうけるのである。もはや言葉によって人間のもとに達することの出来なくなった真理は、そのとき、事件によって自己を明らかにしようとする。(『沈黙の世界』1969年)

 阪神淡路、東北大震災、原発災害、関東・東北豪雨、熊本地震、北海道を襲った台風10号等々、昨今日本を襲う自然の相貌に向き合う時、このピカートのことばが想起されます。12月8日にみられた脆い知、先端知の上澄みに踊らされるのではない、私の場は己の眼で歴史に問い質すことで手にし得るのではないでしょうか。危い時代の風潮だけに空虚な言葉の乱舞に踊らされることのない私の場を確保したいものです。
 なお安倍総理は、日米の同盟関係を誇示するために、75年記念式典が営まれる真珠湾を12月末に訪問、オバマ大統領とともにアリゾナ記念館で犠牲者に献花するそうです。犠牲者を悼み、死者の声に耳を傾けた時、12月8日を讃えた詩人の声が人間安倍晋三にはどのよう響いたかを聞きたいのですが、いかがなものでしょうか。その心には詩人の声に共鳴する世界で生きているのではないでしょうか。

 

参考文献

  • 阿部猛『近代詩の敗北』大原新生社 1980年、『近代日本の戦争と詩人』同成社 2005年
  • マックス・ピカート『沈黙の世界』みすず書房 1964年