学び!と美術

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「おえかき」から学力を伸ばす ~フィリピン貧困地域カシグラハン調査報告:第2回~
2017.01.10
学び!と美術 <Vol.53>
「おえかき」から学力を伸ばす ~フィリピン貧困地域カシグラハン調査報告:第2回~
奥村 高明(おくむら・たかあき)

1.はじめに

 本稿は、以前紹介したフィリピン貧困地域カシグラハン調査報告の第2回です(※1)。今回の訪問の目的は、ランダム化比較試験(※2)の対象クラスにおける「おえかきプログラム」の実施状況視察と、担当するNPOソルト・パヤタス(※3)のコーディネーター研修会です。その概要を報告します。

2.「おえかきプログラム」とは

 「おえかきプログラム」は、簡単に言えば日本の図画工作の教科書に載っているような絵の題材群です(※4)。日本の図画工作の題材は「対象を見てただ絵をかく」「特定のテーマを与えてその通りにつくる」というものではありません。絵をかく場合も、必ず子どもが何か考えたり、工夫したりする必要があります。それは、絵の出来映えよりも、その子の学力を伸ばすことを目的とし、学習者中心の活動が題材として組み立てられているからです。今回のカシグラハンのプロジェクトも、学習プログラムによって学力を伸ばせるかどうかを調査の目的としています。そこで学力伸長を明確にした日本の図画工作を取り入れることになったというわけです。
 同時に、それは先生や友だち同士の相互作用を含むことも意味しています。図画工作のプログラムでは、授業の導入やまとめをシンプルにして、できるだけ主体者である子どもの活動時間を確保するように構成されています(※5)。子どもは活動中に、自ら情報を収集し、それを自分の表現に活用します。このとき頼りになるのはまわりの友だちの活動で、重要な情報源となっています。また、先生の指導や支援も、直接関わる子だけでなく、他の子どもの活動に影響を与えています。「おえかきプログラム」は、一人一人の学力伸長を目指すと同時に、友だちや先生などの活動が相互に関わり合うことによって子どもの学力を伸ばそうとするプログラムと言えるかもしれません。

3.研修会の概要

 しかし、このプログラムの特徴が、そのまま実施上の課題となりました。
 まず、カシグラハンのフィリピン人コーディネーターにとって、題材そのものが「難しい」のです。確かに日本の図画工作に慣れていない人にとって、子ども自身が思考し、判断する表現活動は難解に感じるでしょう(※6)。また、コーディネーターは教育に携わった経験のない人がほとんどです。表現活動を通して子どもが学力を発揮する〈理解〉はあるのですが、具体的な〈指導〉となると不安です。一応「コーディネーター心得(※7)」として指導上の配慮事項を示しましたが、その冒頭にある「子どもを簡単にほめないこと」に戸惑っていたようです。また、コーディネーター自身が子どもの学習活動の資源であることも分かっていませんでした。
 そこで、今回の研修会を実施することになったのです。目的は「おえかきプログラム」の特徴を理解するとともに、コーディネーターの不安を取り除くことです。まずコーディネーターに、いくつかの「おえかきプログラム」をやってもらい、子どもが力を発揮している感覚を味わってもらいました。その上で指導のポイントや「コーディネーター心得」をおさえました。さらに、視察した授業から子どもの事例を取り上げ、コーデネーターの理解促進を図りました。本稿では、その1つP君の事例を紹介しましょう。

4.P君の事例

(1)題材「魔法のタネ」

 「魔法のタネから、飛行機やお城などいろんなものが生まれてくるよ!」。タネというきっかけから、形や色を工夫しながら、想像力を働かせてかく題材です。

(2)場面1

写真1

写真2

 写真1を見てください。P君(写真左下)の隣(写真左上)にいる女の子が、タネから出てきた植物の花、葉、茎、雲などを「複数の色のクレヨン」を使って表しています。「想像力を働かせる」という目的は達成していませんが「色を工夫する」ことはできています。そこで、これを「コーディネーター心得1:まず、子どもの事実を認める」事例としてとらえ、一緒に視察したNPOの日本人コーディネーターに「いろいろな色を使ってるんだね」と伝えてもらいました(※8)。
 着目したいのは、この時P君が、この様子をじっと見つめていることです。タネから花や木などの植物が出てくる絵をかいている子どもは多く、P君もその1人でした(写真2)。この時点では比較的単純に植物をかいているだけです。P君は、色の工夫を取り入れるのでしょうか?

(3)場面2

写真3

 写真3を見てください。P君は、色ではなく、花の形を変えました。ただ、その形は特徴的です。花をかく子どもの多くは、それまでP君が描いているような類型的な花の形(写真2)でした。雪の結晶のような形はP君だけです。そこで、これを「新しい花の形をつくりだしている姿」としてとらえ、P君を賞賛することにしました。使うのは「コーディネーター心得4:ほめるときは自分の感情を素直に伝える」です。「この形、好きだなぁ」と伝えてもらいました。

(4)場面3

写真4

 その後、活動は終了し、私たちは集めたスケッチブックを点検しました。学習目標のうち「想像力を働かせる」ことには課題が残りました。しかし複数の色を組み合わせたり、面として塗ったりする子どもたちが多くいました。これまで、クレヨンは、単色で用いられることがほとんどでしたから「形や色を工夫する」ことについては概ね達成したと言えるでしょう(※9)。

写真5

 さて、P君はどうだったでしょうか。写真4が最終的な姿です。最上部の花(写真5)を見てください。P君は、茎をさらに伸ばし、写真3でつくりだした花の形を、1つ1つの花びらの色を変えて表しています。「色を組み合わせて1つのものをかく」という表現は、これまでの彼のスケッチブックにはありませんでした(※10)。また、花弁がハラハラと落ちている表現も加わっています。彼にとって「新しい表現」がつくりだされたと考えてよいでしょう。
 また、P君は、最上部に雲と鳥をかき加えています。まわりに雲や鳥をかいた子どもはいたので、それを取り入れたのかもしれませんが、絵の全体を一つの空間としてまとめたかのようにも見えます。また、雲は笑顔です。それはかき終わったときのPくんの表情にも似て、自らの活動を喜び、その思いを温めているように感じられました。
 結果的に、この絵はP君の発揮した学力の変化が、絵の下部、中部、上部、最上部と一目で分かります(※11)。また、大人目線ではありますが、作品としても十分に完成しています。あるコーディネーターはこの作品を見て「一枚の絵に子どもの成長が見える」と発言しました。それは、コーディネーターとして、子どもの作品から子どもの成長を理解した素直な実感だと思います。
 P君の変化の背景には様々な要因があるでしょう。おそらくコーディネーターの指示や、子どもへの声かけ、子ども同士の情報交換、何より彼自身の学力などが絡み合った現象であったと思われます。

5.おわりに

 子どもの学力について、本稿の事例はあくまでも個別的、一時的です。たった一回の実践をもとに「おえかきプログラム」に学力伸長の効果があるとか、継続的で汎用性があるとかとは決して言えません。それは、今回の調査が終了し、統計的なデータがそろって初めて言えることです。もしかすると「おえかきプログラム」には効果がないかもしれないのです(※12)。
 ただ、今回の研修会を通して「一つの題材の中で子どもの発揮する学力が変化すること」「友だちや先生が資源となって連鎖し合うこと」などついてはコーディネーターと確認できたように思います。もし、コーディネーターが、子どもの姿や作品などから「子どもが伸びること」を実感し、その仕事に魅力や自信を感じてもらえたら当初の目的は達成できたと言えるでしょう。カシグラハンNPOの今後に注目したいと思います。

 

※1:学び!と美術<Vol.43>「フィリピンの貧困地域における鑑賞教育の可能性」
この原稿を執筆した時点では鑑賞教育を想定していましたが、その後「おえかき」にしぼったプログラムに変更しました。
※2:ランダム化比較試験は、東京大学大学院経済学研究科の澤田康幸先生、慶應義塾大学総合政策学部の中室牧子先生、一橋大学経済学研究科の真野裕吉先生が中心になって進めています。最初に各学年からまんべんなく調査対象児童を選び、その中からランダムにプログラムを実施するグループと実施しないグループに分けます。ランダムに分けたので、2つのグループの平均的な性質(例えば、本人の学力や父親の教育年数、世帯の資産、兄弟姉妹の数など)は似通っています。違うのはプログラム実施の有無なので、プログラム実施後にグループ間で学力などに統計的に有為な差が発生すれば、それはプログラム実施によるものだと考えられます。今回は「親と子に教育プログラムを実施するグループ」「子どもに学習プログラムを実施するグループ」「何も実施しないグループ」の三つのプログラムを実施しています。本稿で取り上げるのは1年生の「おえかきプログラム」です。
※3:特定非営利活動法人ソルト・パヤタス(以下、ソルト)は、フィリピン・ケソン市パヤタス地区とその周辺の貧困地区で、人々が、望む未来を自らで描き、自らの力で実現していけるよう、子どもと女性を中心に教育と収入向上の支援を行う団体です。http://www.saltpayatas.com/
※4:なぜ「おえかき」だけなのかは、カシグラハンの学校のシステムや学習環境によるものです。残念ですが粘土遊びや工作が存分に出来る状況にはありません。ある意味、日本の図画工作が工作や粘土など幅広い題材で実施できるのは、それができる環境や文化が担保されているという一種の贅沢さにあると言えるでしょう。
※5:子どもたち一人一人が自分の力を発揮できるように道具や材料を提供したり、一人一人の状況をとらえて支援したりする指導のポイントについては、学び!と美術<Vol.47>「図画工作の授業(2)~指導案の書き方」を参照してください。
※6:もう1つの側面として、絵や工作は本来的に難しいことがあげられます。子どもたちは見るからに楽しく絵や工作をやっていますが、それは、自分の能力を十全に発揮することが楽しいのであって、活動そのものがたやすく、単純に楽しいのではありません。詳しくは、学び!と美術<Vol.28>「ホントは厳しい図画工作・美術」
※7:資料「コーディネーター心得」(PDF:769KB)
※8:このような言葉かけを「誘導」ととらえるか「承認」ととらえるかという問題は重要です。「誘導」にならないように配慮することは言うまでもありませんが、「誘導」か「承認」かの分かれ目は「子どもの主体性が成立しているかどうか」によるでしょう。子どもの主体性が確保されていれば、先生の言葉かけを無視することもありますし、逆に取り入れることもあります。この問題は「子どもの主体性が保障されている指導計画なのかどうか」から判断する必要があると思います。
※9:色を多用する活動は、活動時間の3分の2程度で起きていました。授業の後半に、色に関しての「活動の爆発」が起きたと思われます。「活動の爆発」については、前掲註5参照。
※10:女の子の情報を取り入れたのかもしれませんが、それは証明できません。
※11:絵が上に伸びていくように描かれるという題材の特性のせいでもあります。子どもの変化がわかりやすい題材だと思います。
※12:子どもの保護者から我が子が「ずいぶん色を選ぶようになった」という報告はあるようです。しかし、これに飛びつくことはできません。それが「おえかきプログラム」に寄与するかどうかは証明できませんし、単に発達によるものかもしれないのです。乏しいエビデンスや少人数のアンケート調査結果から「多くを」語ることについては、慎重でありたいと思います。