社会科のめざすもの
(小・中学校 社会)

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「逃げ得は許さない!?」― 公訴時効制度は何のために ―
2010.11.30
社会科のめざすもの(小・中学校 社会) <Vol.04>
「逃げ得は許さない!?」― 公訴時効制度は何のために ―
生活の法律手帳【第1回】 より
松田聰子(まつだ・さとこ) 桃山学院大学教授

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このシリーズでは、私たちの生活や話題になっている法律について取り上げ、法律の核心部分から掘り下げて、コンパクトにわかりやすく解説していきます。
第1回は、今年4月に大きく変わった公訴時効制度について取り上げます。

1 はじめに

 公訴時効とは、犯罪行為の後一定期間が経つと検察官の公訴(起訴)ができなくなる制度である。
 今年4月27日、国会は、人を死亡させた犯罪の公訴時効を廃止または時効期間を延長する法律案を可決し、即日公布・施行した。

人を死亡させた犯罪

【時効廃止】
死刑が定められているもの

殺人罪
強盗殺人罪
強盗致死罪など

【時効期間延長】
懲役又は禁錮が定められているもの

強姦致死罪
傷害致死罪
危険運転致死罪など

 明治13年の治罪法以来130年間続いてきたわが国の公訴時効制度は、大きく変わることになった。人を殺した者は、その犯罪行為が法改正前のものであっても(遡及適用)、永遠に、捜査や起訴の対象から逃れることはできなくなった。
 公訴時効は何のためにあるのか。また、一部ではあれ公訴時効はなぜ廃止されたのだろうか。

2 公訴時効の趣旨

 (1)表「公訴時効の趣旨」は、公訴時効制度を説明する「学説」であるが、一般人からみれば、どの説明にもそれなりの合理性があるように思える。
 表3を補足すると、犯人は、逃走しながら(後悔の念や逮捕の不安を抱きながら)新しい社会生活を送っている可能性があり、一定の時間が経ったあとで、その社会的関係を根底からくつがえしてまで起訴するのは妥当ではないということである。

 (2)公訴時効制度の趣旨について、どの説明が正しいというわけではなく総合的に考慮されるものであろう。公訴時効の期間を1年、5年、10年、15年…と区切っていくのも、犯罪の種類に応じてこれらを総合的に勘案した結果ということができる。

  1. 時間の経過にともない、証拠が散逸したり証人の記憶が薄れたりして、有罪を立証するのに必要な証拠や、被告人・弁護人の防御に必要な証拠が得られなくなり、公正な裁判が維持できなくなるから
  2. 時間の経過にともない、犯人に対する社会一般の処罰感情が薄れ、処罰の必要性や有用性が弱まるから
  3. 犯人が処罰されずに暮らしているなかで形成されたさまざまな事実状態は尊重する必要があるから
  4. 永遠に捜査を続けることは、捜査員の配置や,捜査資料の保管場所の確保など、人的・物的な資源の面から困難であるから

3 平成16年の改正

 (1)公訴時効の期間はすでに、平成16年に、大幅に延長された経緯がある。現行刑事訴訟法の制定以後初めての期間変更であった。殺人罪を例にとれば、平成16年改正によって、15年の時効期間が25年に変更され、そして、今年の改正によって時効そのものがなくなった。激変といっていい。

 (2)平成16年の改正で公訴時効の期間が延長されたのは、1.被害者や遺族の平均寿命がのびたことなどから、被害者や社会の処罰感情が薄らぐ度合いが低くなっていること、2.新しい捜査技術が開発されて、犯罪発生後相当期間を経過しても、有力な証拠を得ることができるようになったことから、凶悪・重大な犯罪について今までの最長15年という公訴時効期間では短すぎるという判断があったからである。

 (3)それでは、平成16年から今年(平成22年)までの間に、時効制度を再度見直さなければならない新たな事情が発生したのであろうか。
 今年の改正について、法務大臣は、「被害者の遺族の方々を中心として、殺人等の人を死亡させた犯罪について見直しを求める声が高まっており」、この種の犯罪においては「時間の経過による処罰感情の希薄化等、公訴時効制度の趣旨が必ずしも当てはまらなくなっている」と述べて、被害者遺族団体を中心とする公訴時効撤廃運動の高まりがその背景にあることを示した。
 人を死亡させた犯罪について、被害者遺族の処罰感情が薄らぐことはなく、公訴時効制度を維持する理由はもはや見いだせないし、当然のことながら、犯人が捕まることなくのうのうと生活している事実を認めるなどということは、その処罰感情からすれば許されないということであろう。

4「逃げ得は許さない!?」

 (1)「逃げ得は許さない」という感情は、公訴時効制度と対立する。それでは、時効を廃止した場合、証拠の散逸(表1)と捜査資源の確保(表4)という問題は、どう理解すればいいのだろうか。
 公訴時効廃止に反対してきた日本弁護士連合会は、公訴時効を廃止すれば、証拠の散逸によって被告人の防御権行使が困難になり、また、捜査資源の公平な分配も維持できなくなることを強く懸念するとともに、被害者とその家族の処罰感情は別の方法で救済すべきとの意見書を出している。
 こうした懸念に対して、証拠の散逸についていえば、有罪を立証するに足る証拠がなければ検察は起訴しないだけの話であるから、今までの最長25年の時効期間と時効廃止との間に大きな違いはないし、また、捜査資源の確保についても、永遠の捜査は事実上ありえないと反論される。
 「最長25年(改正後30年)」と「永遠」との間に大きな差異がないのであれば、「最長25年/30年」ではいけないのか。やはり、「逃げ得は許さない」という市民感情はそれほど強いのであろうか。

 (2)今回の改正で、殺人罪や強盗殺人罪・強盗致死罪の公訴時効はなくなり、一方で、強姦致死罪の公訴時効は15年から30年に、危険運転致死罪は10年から20年に延長された。強姦致死や危険運転致死で家族を失った遺族の、「逃げ得は許さない」という思いは、殺人や強盗致死で家族を失った遺族のそれとどう違うのだろうか。
 公訴時効制度自体を全廃せよとの意見は、さすがにない。したがって、どの犯罪にどの程度の公訴時効期間を設けるかは、処罰の必要性と公訴時効制度の趣旨とを天秤にかけて、国会が合理的に判断するほかない。その際、処罰感情の程度や事実状態の尊重という要素が天秤から消えることはないだろう。
 公訴時効制度が短い間に激変し、しかも、今回の改正は、時効進行中の事件にも適用される、いわゆる遡及適用を認めるものであった。平成16年の改正は遡及適用されなかったのに、である。それもあわせて考えると、公訴時効制度は何のためにあるか、なお頭をかかえてしまう。

松田 聰子(まつだ さとこ) 
専攻分野/憲法 
研究テーマ/平等原則と司法審査基準、法女性学理論
地方自治体の情報公開や男女平等に関する審議会等の委員など多彩な活動をしている。
日本文教出版『中学社会公民的分野』教科書著者