社会科のめざすもの
(小・中学校 社会)

社会科のめざすもの
(小・中学校 社会)

2050年の日本へ向けて ― 人口減少時代の成長戦略 ―
2011.03.20
社会科のめざすもの(小・中学校 社会) <Vol.05>
2050年の日本へ向けて ― 人口減少時代の成長戦略 ―
特集【Ⅰ】より
同志社大学大学院教授 林敏彦

shakai_mezasu05

1 はじめに

 1930年世界大恐慌の入り口で、ジョン・メイナード・ケインズは「わが孫たちの経済的可能性」と題するラジオ講演を行いました。その中でケインズは世に満ちる悲観論をいましめ、今は未曾有の大不況に目がくらんでいるが、100年後の将来を見通せば、経済問題は解決されているか、あるいは少なくとも解決のめどがたっている。そのとき人類は、創造のときより初めて、人類永遠の課題、すなわち「いかにして、賢明で、仲良く、良き人生を生きるか」という問題を考えているだろう、と言いました。
 いま私たちも失われた20年とか、少子高齢化社会とか、日本のGDPが中国に抜かれたとか、悲観論に押しつぶされそうになっています。でも、100年後はいざ知らず、50年後に今の中学生はそろそろ定年を迎えようとしているはずですが、どのような人生を過ごしてきているでしょうか。生涯続いた縮小社会の中で何一つ楽しいことはなかったと思い、自分の子どもの将来にも希望が持てないでいるでしょうか。それとも、新しい道を切りひらき、思う存分力を発揮できたと思っているでしょうか。あるいは、狭い日本を飛び出して世界の人々と競争できて満足だったと思っているでしょうか。
 ここでは、ケインズの予言には及ばないながら、少し長期的な視点から、日本社会や日本経済について考えてみたいと思います。

2 将来予測は難しい

 はじめに将来を予測してみましょう。これは大変難しい作業です。何十年も先を見通そうとすると、経済学の精緻な短期のマクロモデルも、マクロの生産関数も役に立ちません。50年前の日本人の平均寿命は、男65.3歳、女70.2歳でしたが、2010年にはそれぞれ79.6歳と86.4歳になりました。50年前に日本人の80%は町村部に住んでいましたが、いまでは市区部に住んでいる人が80%に達しています。50年前日本の家族は3世代同居の大家族が中心でしたが、今では核家族から、さらに小さな単身家族が増えてきています。女性が生涯に生む子どもの数を表す合計特殊出生率は、1960年には2.0人でしたが2008年には1.37人に下がりました。
 こうした社会の変化を予測することは難しいですが、技術の予測はさらに困難です。今でこそ当たり前になった携帯電話やインターネットは、30年前には影も形もありませんでした。有名な話があります。コンピューターの第一号機はとてつもなく大きな機械でした。ハーバードの物理学大学院生ハワード・エイケンに資金協力を求められたIBM会長トーマス・ワトソンは、1943年に「世界中でコンピューターの需要はまぁ5台ぐらいだろう」と不滅の予測を行いました。それでもIBMはエイケンに協力し、44年に第1号機「マークⅠ」が完成したのです。
 完成式典でエイケンがIBMへの謝辞を言い忘れたことでIBMはいったんコンピューターの開発から手を引きました。しかし、後にこの新しいテクノロジーの可能性を察知して、IBMはコンピューター・ビジネスに復帰し、そこから先のコンピューターの発展はすべての人の予想を上回って進みました。高さ2.4m、幅15.3mの巨大な電子計算機が、ノートパソコンになり、自動車や電化製品やスマートフォンに内蔵されるようになろうとは、1940年代には誰も予想できませんでした。
 コンピューターだけではありません。電気、自動車、航空機、エレクトロニクス、テレビ、電話、空調、高速道路、宇宙開発、インターネット、医療技術、石油、原子力など、20世紀の大発明は、少しずつ都市の形を変え、人々の暮らしの形を変え、ビジネスを変えてきました。ですから、まだ見ぬテクノロジーの出現まで含めて将来を予測することは、ほとんど不可能と言っていいかもしれません。

3 人口を手がかりに

 しかし、100年、200年といった歴史の流れは、そうした技術進歩ですら飲み込んで進んでいきます。したがって、超長期、超マクロの経済変動を予測する手がかりは、技術や政治体制や文明の変遷と密着し、またそれらを動かすもっと基礎的な条件に求めなければなりません。その基準の一つは人口の動きです。しかも、歴史的な経済発展を最もよく説明できる変数は人口なのです。
 長期の経済統計について、日本では一橋大学経済研究所の長期統計が最も有名ですが、イギリスに生まれ、グローニンゲン大学(オランダ)の歴史学教授を務めたアンガス・マジソン(1926~2010年)は、さらに大きなスケールで、西暦紀元1年から現代まで、世界のすべての地域について人口と実質GDPを推計するという偉業を成し遂げました。
 2010年4月24日マジソンが83歳で世を去ったときのニューヨークタイムズの追悼記事は、マジソンを「未来ではなく、過去を予測した経済史のパイオニア」とたたえました。マジソンはパキスタン、ガーナ、ブラジル、モンゴル、ギニア等の国々に滞在して経済発展条件を探索し、最後は20年ほどオランダのグローニンゲン大学の教授を務めました。数量経済史の専門家として、自らを「数字狂」と呼ぶマジソンは、2007年、一橋大学から名誉博士号を授与されています。ノーベル経済学賞が与えられなかったことが悔やまれる人の一人です。
 そのマジソンの主著は、紀元1年から2006年までの世界各地の実質GDPや人口の推定に基づき、経済発展の実態を明らかにしようとした『経済発展の等高線(Contours of the World Economy)で、彼はまた、自らが推計した歴史統計をホームページで公開し、最後までデータの修正を続けていました(http://www.ggdc.net/MADDISON/oriindex.htmico_link)。

4 一人当たりGDPと人口の関係

 そのマジソンが残した歴史統計をもとに、一人当たり実質GDPと人口との相関を見るためにある計算を試みてみました。こんな式を推定したのです。ln(一人当たり実質GDP)=α+β ln(人口)
 ここでlnは自然対数で、この式は対数変換された一人当たりGDPと対数変換された人口との間に、どのような相関が見られるかを検証しようとするものです。相関を見るだけならデータを対数変換する必要はありませんが、この式を使って推定すると、対数変換された人口の係数βが特別な意味を持ってきます。それは一人当たり実質GDPに対する人口の弾力性を表しています。つまり、人口の1%増加が何%の一人当たり実質GDPの上昇をもたらすかという弾力性です。結果をまとめると次の表のようでした。
shakai_mezasu05_2 データが得られている年だけを選んで推定したため、地域や国ごとに観測データ数は異なっています。たとえば、イギリスについては185年分のデータがありますが、東アジアについては63年分のデータしかありません。はじめに注目すべきは、この式のデータへの当てはまりの良さを示すR2(決定係数)の値です。表に掲げたすべての国と地域について、決定係数は0.6以上であり、南アメリカにいたっては0.99となっています。これは、南アメリカ地域の一人当たりGDPの歴史的変動のうち、99%は人口の変動で説明できるという意味です。
 次に注目すべきは、β(一人当たり実質GDPの人口弾力性)の値がすべて正となっていることです。つまり、すべての国・地域について、人口増加と一人当たりGDPの上昇は正の相関関係にあることが分かります。たとえば、西欧派生国はアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの4か国を指しますが、これらの国では、歴史的に人口が1%増加するごとに、一人当たりGDPは0.86%上昇してきました。
 この人口弾力性は、ドイツやイギリスに比べて、日本が最も高くなっています。日本の経済構造は、過去145年間、人口が1%増加すれば一人当たりGDPは1.8%上昇するという形をしていたのです。

5 45年後の予測

 次に、日本の人口の将来予測を見てみましょう。国立社会保障・人口問題研究所の予測では、2005年の1億2770万人をピークに減り始めた日本の人口は、2055年には9000万人になるといいます。それに伴って、人口の高齢化比率も上昇し、現在総人口の20%程度の高齢者の割合は、2055年頃には40%を超えると予測されています。
 高齢化のスピードは日本が他のどの国よりも早く、高齢化が労働供給、労働生産性、社会保障、財政赤字等に及ぼす影響については、既に政府をはじめ数多くの機関がシミュレーションを発表し、日本経済と財政の持続可能性に警鐘を鳴らしています。しかし、人口減少はさらに大きなインパクトを日本経済にもたらすのです。
shakai_mezasu05_3 つまり人口減少率はこれから45年間に30%に達します。この予測に、先に推計した人口弾力性を当てはめてみると、2055年の一人当たりGDPはいまより1.8×30=54%低くなるという結果が出ます。何とこれから先45年間にわたって、日本の一人当たりGDPはほぼ現在の半分になっていきそうなのです。
 一人当たり実質GDPが現在の半分だったのは、高度成長たけなわの1970年頃でした。つまり日本経済は、予測通り人口が減り続ければ、今から2055年にかけて歴史を逆行し、1970年頃に帰って行くと推定されてしまうのです。
 もちろんこの推定は、歴史的に人口が趨勢的に増加していた局面だけについて調べた結果を用いて、人口減少のインパクトを予測しようとしている点で無理があると言えます。人口増加局面と人口減少局面とが完全な対称をなすわけではないと考えられるからです。したがって、この推定方法には問題があるというのは確かです。ですが、方法を批判するだけで、事実が消えるものでもないでしょう。日本の過去150年もの長い期間には、政治体制も、生産技術も、国際関係も大きな変化を遂げ、戦争という異常状態も含まれていました。それらを乗り越えて日本経済が歴史上示してきた動きには、それだけの重みもあると言えるのではないでしょうか。少なくとも、いまのところ、この推定以上の迫力で将来を予測する議論を学者の論文にも政策論争にも私はまだ見たことがありません。

6 日本の進むべき道は?

 では、人口減少と縮小経済を前提にするとすれば、私たちは何を考えればよいでしょうか。直ちに出てくるのは、だから人口減少のスピードを抑えなければならない、そのためにはフランスやスウェーデンのように少子対策を十分に行うべきだ、という主張でしょう。しかし、この考え方は歴史的趨勢から見れば怪しいものです。フランスもスウェーデンも、19世紀に何度か人口減少を経験していますが、フランスの人口は20世紀になってからは第1次大戦と第2次大戦時を除いて増加を続けており、スウェーデンでは20世紀の間中ただの1年も人口が前年より減少した年はないのです。
 少子対策が充実していると言われるフランスでは、子どもの2人に1人は結婚していない両親のもとに生まれています。婚姻届を出すか出さないかで夫婦や子どもの権利が影響されないように、法律や社会制度ができあがっているのです。日本で民法が改正され、非嫡出子とか婚外子とかいう言葉が死語になるまで、これから先何年かかるでしょう。あるいは、家族のあり方を含めて、日本社会は現在の家族観を変えない方がいいという意見もあるでしょう。その国の人口動態に社会関係支出を増加してどれだけの効果があるかは、よく言って未知だとしか言いようがありません。だとすれば、やはり日本の人口減少は止まらないかもしれません。そうして、平時にかなり長期にわたって人口が減少する国は、大げさに言うと世界史上で日本が初めてなのです。仮に人口政策が効を奏して減少幅を30%から20%に押さえられたとしても、一人当たり実質GDPはやはり4割程度縮小してしまう計算となります。
 だったら日本は移民を積極的に受け入れるしかないでしょうか。確かにアメリカは、これから50年ほどの間、人口が増え続けると国連が予測しています。増加の主な理由は、移民です。しかし日本は、「移民法」という法律を持たない世界でほとんど唯一の国なのです。外国人の出入りを管理する出入国管理法はあります。ですが、移民法がないために「移民」の法的な定義さえ定められていません。また国連が提唱した「全ての移住労働者及びその家族の構成員の権利の保護に関する国際条約」に、ほとんどの先進国と同様、日本は署名も批准もしていないのです。さらに、ある研究によれば、日本の高齢化を補正するために移民を受け入れ続ければ、100年後に日本人のDNAを持った人がいなくなるともいいます。それでは困ると考える人もいるでしょう。
 だったら、経済で豊になる道はあきらめて、経済発展の目標をGDPから国民の幸福度に切り替えるべきだと主張する人もいます。これは、「イースタリンの逆説」に沿う考え方です。イースタリンは、人口学と経済学の専門家ですが、「一国内では所得の高い人ほど幸福度は高いが、国民の平均的所得が増大しても国民全体の幸福度は必ずしも上昇しない」ことを先進国の事例について発見しました(1974年の論文「経済成長は人間の運命を変えるか」)。専門的にはこの主張をめぐって議論があります、日本に関する限り、一人当たり実質GDPが増加しても国民の生活満足度は横ばいという状態が10年以上も続いています。経済的に豊かになっても幸福度は上がらないというのでは、私たちは何だかひどく無駄なことをしてきたような気がします。
 でも、国民の生活満足度という指標は、アンケート調査で得られた国民の主観的判断を示しています。客観的指標としては、教育、健康、所得などを取り入れた国連の人間開発指数によるランキングがありますが、それによると日本はここ数年10位以内に入っています。最近ニューズウィーク誌が発表した、同様な総合ランキングでも、日本の位置は200か国中第9位、人口5000万人以上の大国の中では、第1位なのです。つまり、国民の生活満足度あるいは幸福感という主観指標と、客観指標との間にはかなりのずれがあるのです。
 実は、日本人は、世界一の医療環境にめぐまれ、健康、教育、経済活力などを合わせた総合指標でも第1位であるにもかかわらず、主観的には幸福感を持てないでいるのです。日本の所得分配の不平等度はOECD諸国の中位なのに、日本は所得分配がどの国よりも平等だと思っている人が多い。日本ほど通信ネットワークの安全度が高い国はないのに、日本人はプライバシー侵害やネット被害をどの国民よりも心配しています。
 これは要するに「墜落の恐怖」(バーバラ・エーレンライク『「中流」という階級』)ではないでしょうか。私たち日本人は、既に手に入れた生活水準が失われはしないかとおびえているとしか思えません。GDPで中国に追い抜かれ(実は購買力平価で換算すれば、日本が中国に抜かれたのは2001年なのだが)、国際化において韓国にリードされ、高福祉社会では北欧モデルにかなわず、ヨーロッパのしたたかな外交も、アメリカの市場原理主義も根付かず、高齢社会の到来で動きがとれないでいる。このままでは、日本は歴史の中に消えていくのではないか、と心配しているのです。

7 未来へ通じる3つの道

 そう感じている日本人が多い中で、価値観の転換を唱えるだけで将来に希望がよみがえるとは思われません。やはりある程度の経済成長、新陳代謝、新たな挑戦と躍動が社会に満ちていかなければ人々の喜びは実現できないでしょう。
 そのために、私は道は3つしかないと考えています。第1は、日本の企業や労働者が国境を超えた活動を広げる「超国籍経済」への展開です。円高も手伝って既に日本企業は海外への展開を広げています。海外現地法人を持つ企業は8000社以上ありますが、この数は東京から福岡までの証券取引所の一部・二部に上場する会社2千数百社の4倍近くに達します。対外投資からの収益や海外からの賃金・俸給に関する国際収支、すなわち所得収支は、既に貿易収支を上回る黒字を記録しています。対外進出を遂げた製造企業は、国内本社の常勤雇用者を増やしています。
 この傾向は今後も続くと予想されますが、その利点を企業も労働者も政府も認識する必要があります。これから思う存分自分の力を試したいと思う人は、外国人との交流や交渉から尻込みしていてはいけません。国内試合ばかりを続けていては、日本チームがワールドカップで勝てるようにはなれません。一人一人の選手も外国でプレーし、チームも国際試合を重ねていくことこそ、日本のサッカーがワールドカップで活躍できるようになるために必要だ。今ではそのことを疑う人はいないでしょう。
 第2は、やはりそれでも国内に残らなければならない企業や人材は多数います。減少するとは言え、英・独・仏よりも大きな人口の衣・食・住をまかない、英・独と同じ人口密度の国土を活用し、教育・医療・介護サービスを確保し、芸術・文化、エンターテインメント、精神的豊かさを提供するのは産業と政府の大きな役割です。この分野では、これまで以上にサービス産業の生産性を向上させ、国外からも積極的に競争を導入して、日本の消費者の満足度を高めていく必要があります。
 そして第3は、超国籍経済と国内経済とのリンクを強固にしていくことでしょう。たとえば、高等教育は、固定された文化装置や企業環境の中でしか力を発揮できないひ弱な人間を育てるのではなく、グローバルに必要とされる人材の育成に注力すべきでしょう。国内の高齢者市場で鍛えられた製品やサービスや仕組みは、高齢化レースで後続のヨーロッパ、アジアの市場に輸出できるでしょう。さらに、移動できない国内資源の価値を見いだしてくれるのは外国からの観光客です。風景、文物、技術のみならず、地域に住んでいる人々の気質や感性、道徳観ですら海外からの評価対象となります。
 テレビでは明治時代を題材にした歴史ドラマが人気を博しています。私たちが、明治維新につながる政治的大転換を可能にした坂本龍馬や、日本の近代化に死力を尽くした明治のリーダーたちのストーリーにあこがれるのは、それだけ今の社会が閉塞感を強めているからかもしれません。でも、明治維新当時、日本の人口は3500万人でした。今から半世紀後に人口が9000万人になったとしても、日本には明治初期の3倍は世の中を変える力が備わっていると考えるべきではないでしょうか。

林 敏彦(はやし としひこ) 
 1943年生まれ。66年、京都大学経済学部卒、大阪大学大学院修士課程を経て、72年スタンフォード大学大学院経済学研究科Ph.D. 大阪大学教授、放送大学教授などを経て10年から現職。電気通信審議会委員、スタンフォード日本センター理事長などを歴任。現在、スタンフォード日本センター客員教授、公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構研究統括も兼務する。
 日本文教出版『中学社会公民的分野』教科書著者