旧学び!と美術

旧学び!と美術

「創造」という力
2011.12.26
旧学び!と美術 <Vol.48>
「創造」という力
天形 健(あまがた・けん)
今月のPhoto:思わずつられて笑ってしまいました。蚤の市のハンガーです。(アムステルダム)

今月のPhoto:思わずつられて笑ってしまいました。蚤の市のハンガーです。(アムステルダム)

 最近、思考回路が混乱しているように感じています。数ヶ月かかりましたが、出張等の移動時間に「ドグラ・マグラ」(夢野久作1935)をようやく読み終えたことが原因かもしれません。理解するのに骨が折れるほど複雑で、奇書と言われることが理解できる強烈な内容でした。読んだ人は精神に異常を来すとも書評にありましたから、私の思考回路がしばらく混乱するぐらいは普通なのかもしれません。
 「ドグラ・マグラ」との出会いはとても単純です。震災直後にガソリンが不足して、スタンドに行列している間に、以前から読みたいと思っていた芥川龍之介(1892-1927)の作品数編を読んでしまったため、次に何を読もうかと昨年購入した電子辞書の中で探しているときに、書名に惹かれて読み始めたのがきっかけでした。ですから、角川文庫の「ドグラ・マグラ」の表紙が米倉斉加年のイラストであることを知ったのも読み終える直前でしたし、推理小説の奇書であることも書評等から読後に知った次第です。情報がないままに読みつなぐうち、作者の思考や文体の異常性を感じ始め、単なる推理小説ではない面白さに引き込まれ、その怪奇性にも翻弄されながら、読みつなぐ電車や歯科医での待ち時間がいつの間にか楽しみになっている自分に気づきました。
 「ドグラ・マグラ」は映画にもなったそうですから、楽しみの一部は残しているような気分です。読み終えて形成されているイメージの視点は多様です。それだけに映像での表現は難しいと思うのですが、配役と状況設定への興味が強くありますので、近いうちに必ずDVDを探し出すでしょう。映画でも思考回路が混乱した方はいるのでしょうか。
 読み終えて、それまで鬼才と考えていた芥川龍之介が普通の人に思えるようになったほど、「ドグラ・マグラ」の内容は奇異であり、その作者の超常性に圧倒された感じでした。私の年齢とほぼ同じ年月を経ても、色褪せない「創造」の偉大さを感じさせられる傑作です。そして、それは夢野久作(1889-1936)の遺書であると感じています。彼はチャップリン(Charles Chaplin, 1889—1977)やヒトラー(Adolf Hitler, 1889–1945)と生年が同じです。大きな創造のうねりの中を生きていたのかもしれません。
 一方、美術の世界でも、当時は創造的な大作家たちが活躍していた時代です。

図−1

図−1

 夢野久作が生まれた数日あと(明治22年)にアレクサンドル・カバネル(Alexandre Cabanel, 1823-1889)が遠くフランスで没しています。カバネルは、ブグロー(William Adolphe Bouguereau, 1825—1905)とともに、当時のフランス美術界に君臨した存在だったようです。共通のテーマで描かれた二人の代表作「ヴィーナスの誕生」は、オルセー美術館で見ることができます。図−1はカバネルの、図−2はブグローの作品「ヴィーナスの誕生」です。オルセー美術館の1階奥の暗がりで、ブグローの「ヴィーナスの誕生」に見入る幼い少女がいました。何度見ても、誰が見ても、ヴィーナスの美しさとブグローの表現の巧みさに見惚れてしまう作品だと思います。

図−2

図−2

 にもかかわらず、二人の名前や作品は、「印象派」のマネ(Édouard Manet, 1832-1883、「美術資料」p11,100参照:秀学社)、モネ(Claude Monet, 1840-1926、「美術資料」p102参照:秀学社)、あるいはルノワール(Pierre-Auguste Renoir, 1841-1919、「美術資料」p103参照:秀学社)ほどに知る人は少ないのではないでしょうか。ブグローたちの時代直後に起きた「印象派」による絵画表現世界の大改革とは、それほど彼らの作品を希薄にし、「印象派」はその後の美術界にとって重要な影響を与えたということができるのかもしれません。
 ブグローは、描画力、表現性において、現代の私たちにも圧倒的な絵画的表現技術力を感じさせています。特に、彼の代表作「ヴィーナスの誕生」の美しさは、ヴィーナスや天使たちの裸体の美しさのみならず、水面の表現やホタテ貝の上にしっかりと足を置くヴィーナスの表現力などは、見飽きない描画の力を見せつけています。ボッティチェッリ(Sandro Botticelli, 1445-1510、「美術資料」p97参照:秀学社)、ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau, 1826-1898)の作品に比べても、けっして見劣るものではありません。むしろ、描画対象を自由自在に描いたという点においては、より優れた表現力をもっていたと言えるでしょう。
 ではなぜ、21世紀初頭の教科書や美術資料に「印象派」が多く掲載されるのでしょう。
 印象派の時代は、作家の個性重視と「創造」の力に明確に目覚めた時代であったと捉えることができます。その「創造」の力を後押しした要因として、カメラの発明やジャポニスムがよく言われますが、当時、金属製チューブに入り始めた絵の具(1840年代:秀学社「美術資料」p103参照)の利便性も見逃すことのできない表現環境の変化であったと思われます。ほとばしる印象派の画家たちのエネルギーが、間を置くことなく、あらかじめチューブからパレットに出しておくことができた絵の具を創造感覚の赴くままにキャンバス上に塗り重ねたであろうことは容易に想像できます。カメラは絵画の再現性を、日本美術は絵画の創造性を再考させ、そしてチューブ入り絵の具は創造環境を大きく変化させたのでしょう。
 しかし、ブグローやカバネルたちの19世紀絵画を見ていると、現代人が絵画に対して素朴に求めるアカデミズムの表現性を私は感じるようになりました。彼らの作品鑑賞をパリの美術館巡りの楽しみにお加え下さい。

【今回は、導入事例をお休みします】