学び!と歴史

学び!と歴史

ルイス・フロイスが見た日本 2
2009.07.18
学び!と歴史 <Vol.29>
ルイス・フロイスが見た日本 2
日本人西洋人、外見と信仰の違い
大濱 徹也(おおはま・てつや)

前号(Vol.28)に続き、「ルイス・フロイスが見た日本」をお送りします。

男の相貌

ルイス・フロイス像

1)ヨーロッパ人は概して身長が高く体格が良い。日本人は概して身長も体格もわれわれに劣っている。

 日欧の差異は身長や容貌に見出せます。ローマを訪れた遣欧少年使節は、身長が中位よりもやや低く、これが日本人の「本性」で、長大になることはないと紹介されていました。こうした日本人の身体は、16世紀の宣教師のみならず、19世紀後半、明治維新後の1878(明治11)年に来日したイギリス人のイザベラ・バードが横浜上陸後の初印象として、街頭で出会った日本人を小柄で、醜くしなびており、がに股、猫背で、胸がくぼみ、貧相と認めているように、西洋人に対する肉体的劣等感を抱かせたものにほかなりません。ちなみに1900年の北清事変に出兵した日本兵は列国軍隊の中で最も小さな兵隊でした。日本人が西洋人なみの体格にいくらか近づくのは、1945年の敗戦後のことで、パンと肉の食文化が日常化してきた最近のことといえましょう。

2)われわれの鼻は高く、あるものは鷲鼻である。彼らのは低く、鼻孔は小さい。

 西洋では、ギリシャ彫刻にみられるように、鼻梁の線が直線の直鼻(ギリシャ鼻)、ローマ鼻といわれる釣鼻、段鼻、ユダヤ鼻といわれる鷲鼻などが一般的です。それに対し日本人の鼻は、団子鼻で、鼻孔も小さいものです。フロイスは、このことについて「われわれは拇指または食指で鼻孔を綺麗にする。彼らは鼻孔が小さいために小指を用いておこなう」とも紹介しています。

3)われわれの間では顔に刀傷があることは醜いこととされている。日本人はそのことを誇りとし、よく治療しないので一層醜くなる。

 顔面の刀傷は、戦場で勇敢に戦った証とみなされ、「向疵(むこうきず)」といわれ名誉とされてきました。背後から切りつけられた疵は、相手に背をむけて逃げた行為を表すもので、「後疵(うしろきず)」といわれ、卑怯の証、恥辱とみなされたのです。ここには、武士の習い、人殺しを生業とする「サムライ」文化が直裁に表明されています。
この「サムライ」文化は、向疵に「男」の代紋を読み取るやくざの世界、暴力団が受け継いでいるのではないでしょうか。その意味では「サムライ日本」なる呼称にある晴れがましさを感じ、日本人たることを誇るのはいかがなものでしょうか。

女の相貌

4)ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と貴さは、貞操であり、またその純潔が犯されない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失わなければ、結婚もできる。

5)ヨーロッパでは娘や処女を閉じ込めておくことはきわめて大事なことで、厳格におこなわれる。日本では娘たちは両親にことわりもしないで一日でも幾日でも、ひとりで好きな所へ出かける。

 処女の純潔や貞操の観念は、キリスト教の信仰によってもたれされたもので、宣教師が説き聞かせ、風俗矯正に力を尽くし、キリシタン信徒に純潔や貞操の観念が根付いていったのです。この観念は、キリスト教文明を至上の価値とした欧化としての近代の論理を受け入れることで、近代日本の建前とみなされていきます。しかし日本の男女間には、「色好み」の文化という古層が地下水としてあり、4)5)のような世界を肯定する気分が未だ強く息づいているのではないでしょうか。

心の在り方

6)われわれは唯一のデウス、唯一の信仰、唯一の洗礼、唯一のカトリック教会を唱導する。日本には十三の宗派があり、そのほとんどすべてが礼拝と尊崇において一致していない。

7)われわれはどんなことにも増して、悪魔を憎んでいる。坊主らは悪魔を崇拝し、悪魔のために寺院を建て、多くの供物を捧げる。

8)われわれの聖像は美しく、敬虔の念を誘う。彼らのものは火中に焼かれる悪魔の形状をしていて、醜悪で恐怖の念を起こさせる。

9)われわれは唯一万能のデウスに対してすべて現世および来世の幸福を希う。日本人は神に現世の幸福を求め、仏にはただ救霊のことだけを希う。

 ここには日欧の精神文化の差異が端的に描き出されています。ロドリーゲスは『日本大文典』で法相、三論、倶舎、成実、律宗、華厳、天台、真言、禅宗、浄土宗、日蓮、時宗を仏(ホトケ)の十二宗派としていますが、フロイスは書簡などでも十三の宗派と記しています。最も哲学的な宗派にして、宗論における難敵とみなしていた禅宗を臨済と曹洞に分けたいたのではないでしょうか。
悪魔崇拝とみなしたのは、閻魔や天狗、風神や雷神を境内に祀り、密教の本尊とされた中央に不動、東西南北に降三世(ごうざんぜ)・軍荼利(ぐんだり)・大威徳・金剛夜叉の五大尊明王に護摩を焚き、魔の調伏を祈願する営みを指しています。その営みは、宣教師にとり、護摩壇で焚かれた護摩木の煙にいぶされた不動像や明王像の不気味さとともに、まさに悪魔崇拝そのものとみなされたことでしょう。不動明王は、魔を調伏するがゆえに右手に降魔の剣をもち、憤怒の相を帯びていたのですが。

 まさにキリシタンの宣教師は、日本人は神に現世を、仏に来世を祈るとフロイスが指摘しているように、日本人の心を解析し、伝道を模索していました。その成果こそは、日本人の心をとらえ、16世紀をして「キリシタンの時代」となさしめ、徳川禁教下に隠れ潜み信仰を堅持させることを可能にしたのではないでしょうか。ここで指摘された世界は、現在も広く見られる日本人が捉われている信仰の相貌であり、日本と日本人とは何かを問い質す原点となるものです。