学び!と歴史

学び!と歴史

歴史は、時空を超える旅
2010.01.15
学び!と歴史 <Vol.34>
歴史は、時空を超える旅
近現代、50年おきのつながり
大濱 徹也(おおはま・てつや)

2010年を迎え

 歴史は時間と空間を旅する世界です。時空を旅する営みは、過去と併走することで、現代を問い質すことを可能とします。今年2010年という年はどのような過去をつきつけているのでしょうか。
 100年前の1910年(明治43)は、大逆事件と日韓併合にみられるように、日本近代史を画する年でした。さらに150年前の1860年(安政7・万延元)には1月13日に勝海舟・福沢諭吉らが咸臨丸で渡米し、3月3日に大老井伊直弼が水戸・薩摩の浪士に襲撃された桜田門外の変がおこり、状況の打開をめざすテロリズムにより将軍の権威が失墜していきます。また近く50年前、1960年(昭和35)は日米安全保障条約の改定をめぐる安保闘争という熱い政治の季節でした。
 そこで1910年という年から旅を始めてみます。

学びと歴史vol34_011年表

100年前、日韓併合という年

 日本は、明治維新で「欧州的帝国」たる新国家の建設をめざし、東アジアの册封(さくほう=君臣関係を結ぶこと)・朝貢(ちょうこう・朝廷に貢がせるなど)体制を万国公法(-国際法)によるヨーロッパ的な国際秩序の中で再編することで、新たな場を確保しようとします。日露戦争の勝利こそは、こうした欧州的新帝国を東洋に確立させたものにほかなりません。
 ここに日本は「東洋平和」のために韓国の支配を安定させ、アジアの覇者たる道を歩み始めます。こうして8月22日に韓国を併合すると、韓国王室を皇族の礼で遇することとし、29日には詔書を発して前韓国皇帝をたてて王と為し、昌徳王李王と称し、朝鮮の国号を改めて朝鮮と称し、朝鮮貴族令を出して朝鮮総督府が設置されます。
 まさに日本は、清朝皇帝に代わり、日本皇帝たる天皇が頂点に立つ東アジアにおけるあらたなる册封・朝貢体制を構築したのです。天皇は、韓国併合を前にし、侍従武官に台湾統治の実情を視察させ、南洋諸島の状況を報告させるなど、東アジアの皇帝たる準備に心をくだき、新しい帝国の王としての準備をしております。
 しかし国内には、日露戦争の過重な負担に喘ぐ農村を「天明天保」以来といわれる恐慌が襲い、疲弊した農村から人口が流出し、さらに都市におけるストライキなどの社会労働問題と社会主義の流行など、大「帝国」を根底から脅かす状況が広く顕在化していました。かくて政府は、1908年3月13日に「忠実業に服し、勤倹産を治め、惟れ信、惟れ義、醇厚、俗を成し、華を去り、実に就き、荒怠相戒め」(*1)と説いた戊申詔書(*2)を発布しました。    
 1910年5月25日の宮下太吉の逮捕に始まる大逆事件の幕開けは、こうした戦後の空気に対する国家の鉄槌(てっつい)にほかならず、「帝国」を帝国らしくしようとの強き国家の意思を表明したものにほかなりません。

150年前、開国という年

 まさに大逆事件と日韓併合が物語る1910年という年は、明治国家が帝国というアトラス的負荷に喘ぎながら、新しい方途を血眼になって探していた時代でした。こうした閉塞感は、さらに50年前の1860年の咸臨丸によるアメリカ行きが「文明」の実体験による日本の明日への眼を育てる培養器となる一方、桜田門外の変にはじまるテロリズムによる閉塞状況を打開する作法が維新への道を準備する時代としても読みとることができます。

50年前、日米安保という年

 さらに1960年の安保闘争は、日本の安全保障-米軍による核の傘で守られる日本列島の現状を自らの眼でみつめることなく、「平和憲法」への信仰を吐露し、「民主」か「独裁」かという戦後民主主義を擁護する運動として展開しました。この幻想こそは、「所得倍増」から「経済大国日本」をもたらし、現在日本の尻尾にあるものです。
 2009年の総選挙における政権交代では、当事者が「平成維新」と自称し、日米関係の見直しを声高に語りかける姿にこそ、60年に露呈した「尻尾」を自らの眼で捉えようとの強き想いが託されているのかもしれません。安保条約を問い質すことは、核にたよらない非武装中立という信仰を堅持し、明日を生きることを意味します。この決断は、150年前に井伊直弼が祖法を破り、開国による国家富強をめざそうとした困惑につながるものです。

年表を手がかりに

 歴史は、「文明」「進歩」という絵姿で単線的に展開しているのではなく、螺旋(らせん)状の展開になっており、ある断面をみると似たような相貌が読みとれます。ここに歴史を問い語る面白さがあるのではないでしょうか。
 それぞれの作法で、まずは年表を手がかりに時空を旅してみませんか。おそらく歴史の学界では日韓併合と大逆事件を天皇制国家の犯罪として論じ、世間でも唱和する声が聞かれましょう。その時には、せめて150年前とか50年前の時空に眼を広げ、すこしは豊かな旅を成し、ミューズクレイオ(歴史の女神)がどのような微笑をみせてくれるかに心をときめかし、明日への想いをめぐらしたいものです。


*1 現代訳:「忠実に仕事に励み、節約して生計を整え、信と義を重んじ、人情に厚い習慣をつくり、華やかなことを退けて実質あるものに力を注ぎ、乱暴や怠慢を互いに戒め」

*2 戊申詔書(ぼしんしょうしょ) 日露戦争の戦勝気分に浮かれる国民の気分を引き締める事を目的として発せられた。