学び!と歴史

学び!と歴史

鴨長明が見た地獄
2011.04.07
学び!と歴史 <Vol.47>
鴨長明が見た地獄
方丈記に大震災を読み解く
大濱 徹也(おおはま・てつや)

元暦2年の地震

 3月11日の巨大地震、東日本大震災がもたらした世界、日々伝えられる震災地の相貌は、鴨長明が「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。世中にある人と栖と、又かくのごとし」と語り出す『方丈記』の世界を想起させました。『方丈記』は長明が四十余りの春秋を送れる間に見聞した大火、台風、遷都、飢餓、地震の様相を深い諦観で認めたものです。澹澹(たんたん)と描かれた元暦2年(1185)7月9日の京都で起きた大地震は現在眼前にみる世界にほかなりません。

おびたゝしく大地震振(おほなゐふ)ること侍りき。そのさま、世の常ならず。山は崩れて河を埋(うづ)み、海は傾きて陸地をひたせり。土さけて水わきいで、巌われて谷にまろびいる。渚漕ぐ船は波にたゞよひ、道ゆく馬は足の立ちどをまどはす。都のほとりには、在々所々、堂舎塔廟(だうじゃたふめう)、ひとつとして全からず。或は崩れ、或は倒れぬ。塵灰立ち上りて、盛りなる煙の如し。地の動き、家の破るゝ音、雷にことならず。家の内にをれば、忽ちにひしげなんとす。走り出づれば、地われさく。羽なければ、空をも飛ぶべからず。竜ならばや、雲にも乗らむ。恐れのなかに恐るべかりけるは、只地震なりけりとこそ覚え侍りしか。かくおびたゝしく振る事は、しばしにてやみにしかども、そのなごりしばしは絶えず。世の常驚くほどの地震、二三十度振らぬ日はなし。十日廿日過ぎにしかば、やうやう間遠になりて、或は四五度、二三度、若しは一日まぜ、二三日に一度など、おほかたそのなごり、三月ばかりや侍りけむ。四大種(宇宙の一切の物体を構成する元素とみなされている地、水、火、風)のなかに水火風は常に害をなせど、大地にいたりてはことなる変をなさず。(方丈記・大地震より)

 この地震は平家物語が次のように記しています。

七月九日ノ午ノ剋計ニ大地震(ヲビタヽ)シク動イテ良久シ。怖シナンドモ愚也。(略)上ガル塵ハ煙ノ如シ。崩ル音ハ雷ニ似リ。天闇(クラ)クシテ日ノ光モ不見、老少共ニ魂ヲ消シ、鳥獣悉ク心ヲ迷ハス。遠国近国モ又如此。山崩テ河ヲ埋ミ、海傾テ浜ヲ浸ス。興(ヲキ)漕舟ハ浪漂ヒ、陸行駒ハ足の立所を迷ハス。

平家滅亡の下で

 この地震の年は、源義経が平家を屋島で破り(2月19日)、壇ノ浦で亡ぼし、安徳天皇が神剣とともに海に身を投じ(3月24日)、頼朝の覇権が確立する年です。この間の動きを年次でおってみます。

4月4日 義経、平氏討滅を奏す。11日 義経が発した壇ノ浦の戦状と平氏勦滅の報、鎌倉に達す。27日 頼朝、従二位。
5月7日 頼朝、義経に平宗盛以下の捕虜を率いて鎌倉に下らしむ。15日 頼朝、酒匂駅に着いた捕虜を北条時政に迎えさせ、義経の鎌倉入りを停める。24日 義経、腰越に止まり書(腰越状)を大江広元に致し頼朝の憤をとくことを請う。
6月9日 頼朝、再び義経に宗盛らを京師に、重衡を南都(奈良)に送らせる。21日 平宗盛を近江篠原に、23日 重衡を南都に斬る。
7月9日 大地震、月をこえて止まず。家屋の倒壊、人畜の圧死夥し。
8月16日 義経、伊予守となる。
9月2日 頼朝、梶原景季を京師に遣わし、源行家・義経の行動を偵察させる。
10月6日 景季、鎌倉に帰り、行家・義経の反状を報告。11日 行家が頼朝に叛し、義経これに組みし、院宣を奉じて頼朝を討たんことを請う。17日 頼朝追討の宣旨を義経に下す。18日 頼朝追討の院宣を行家・義経に下す。この月、建礼門院大原寂光院に移徒す。
11月3日 行家・義経、西国に赴くが、6日 風浪に遭遇して党類離散。12日 義経の官職を削る。9日 後白河法皇、密使を頼朝に遣わす。11日 官、義経の名を義行と改める。12日 院宣を諸国に下し行家、義経の捜捕せしむ。22日 義経、大雪を侵して多武峰に逃れ、その愛人静は山僧に捕えられる。29日 守護地頭を諸国に置く。

 ここには、平氏討滅で名をあげた武将義経が政治的に敗北し、頼朝が東国に武家の政権を確立していく動乱の世が展開しています。壇ノ浦における平氏の末路には、劇作家木下順二が『子午線の祀り』で描いたように、天の非情さが読みとれます。「世の常ならず」と記された大地震は、悍(おぞま)しい天の営みですが、新時代の到来を告げる予兆でもありました。
 年表に読みとれる地震・津波・噴火・大風等々の自然の営みは、それがいかに悍しい惨たる世界を現出していようとも、人知をこえた問いかけに、天の非情な想いに、歴史の闇を読み取る作法を気づかせてくれるのではないでしょうか。この天の問いかけに応じたのが、己の心と向き合い新しい精神の地平を切り開いた法然をはじめとした人々です。
 東日本大震災をどのように受けとめるかは、これら先人の声に応じ、私の心をいかに問い質すかにかかわってくるのではないでしょうか。我想いを確かめるためにも、『方丈記』の世界を足場に、非情なる天の営みを歴史に問うてみませんか。

時代を突破する精神の活力

 想うにこの大震災がもたらした惨状に人身おののき、卒業式の自粛をはじめとし、「自粛の風」が世を蓋うています。日本の最高学府を自他ともに任じている東京大学は学部学生の代表者のみによる「簡素な卒業式」であった由。無定見そのものです。この状況であるからこそ、可能なかぎり卒業式を営み、学の長たるもの、最高学府の長たる日本を代表する「知者」として、日本を揺るがす危機にいかに対峙するか、明日を切り拓くための哲学を問いかけ、いかに生きるかを説かねばならないのではないでしょうか。知の荒廃ここに極まれりとの感がします。
 かって日本敗戦の翌昭和21年(1946)2月11日の紀元節に東京帝国大学総長南原繁は「新日本の創造」を問いかけ、敗戦下の学生を鼓舞し、明日を生きる精神の糧を提示しました。
 遠き日に『方丈記』が描き出した世には時代を突破する精神の覚醒をうながす人々の働きがみられました。まさに現在求められるのはこのような精神の活力ではないでしょうか。まさに非情なる天の想いに向き合い、己の場を確かめたいものです。