学び!と歴史

学び!と歴史

『将来之東北』という世界
2011.06.28
学び!と歴史 <Vol.48>
『将来之東北』という世界
― 半谷清寿の東北像、現在何を問い質しますか
大濱 徹也(おおはま・てつや)

大震災の下で

 つくばの地で3月11日の地震に遭遇し、その後の始末で手首を骨折したため、連載を中断しました。その間、東北とは何か、東北―東日本から列島の歴史を読み直すといかなる世界が描けるかに想いをいたしました。そのような問いかけは『講談日本通史』(同成社 2005年)でこころみましたが、ここにあらためて東北日本とはどのようにみなされていたのかを問うことにします。

 東日本大震災から早くも3カ月、未だ瓦礫の処理も終わらず、多くの人びとが避難所生活を余儀なくされ、福島原発事故による放射能汚染は拡大の一途をたどり、故郷を追われて暮さねばならない人びとに明日の展望は開けていません。復興再生への歩みは、阪神淡路大震災と比べ遅々たるもので、未だ何も見えてきません。そこには、震災の規模に加え未曾有の原発事故という人災が重なることで、明日を読み取る想像力を欠落したまま、その場しのぎの対処療法しか想い着かない国家指導者の姿のみが眼につきます。このような惨たる情況を問い質すために、日露戦争後の東北を襲った「天保の大飢饉」に比定される「東北の惨状」をみつめ、「将来の東北」像を提示しようとした半谷清寿(はんがいせいじゅ)が明治39年に刊行し、41年に増補再訂された『将来之東北』(丸山舎書籍部)が提示した東北像を紹介します。

半谷清寿の東北

 半谷清寿は、1858(安政5)年に相馬藩士半谷常清の長男として相馬郡小高に生まれ、養蚕による地域振興に尽力、1900年に不毛の原野といわれた夜の森開拓に取り組み、理想の村づくりに努め、その記念として染井吉野の桜樹300本を植えました。現在の福島県双葉郡富岡町の“夜の森公園”と“桜並木”はここに誕生します。現在、富岡町は原発10キロ圏にある原発の町として、その地の住民は故郷を追われています。この惨状は住民の自力更生による村創りをめざした半谷の想いもしなかったことでしょう。

 半谷は、福島県会議員を経て1912年から衆議院議員となり、そこで養った人脈で「将来の東北」を構想し、その実現に努めました。『将来之東北』は、冒頭の「総論」で「明治維新と東北との関係」を次のように提示しています。

 近く四十年間我東北の歴史は、何ぞ其の惨絶悽絶なる。嗚呼、是れ天か人か。看よ、磐梯の噴裂、三陸の海嘯(かいしょう)、三県の凶飢、何ぞ其の悲惨なる。更に遡りて戊辰の役に於ける創痍亦何ぞ深痛なる。斯くの如くにして東北は不振より衰退に入り。衰退より滅亡に赴かんとしつゝありしものなり。去れば今日の東北は独り東北人の昏睡酣眠を許さゞるのみならず、奮然蹶起以てあらゆる艱苦と格闘して、自家の新運命を開き来らざるべからずの時に遭遇せるものなり。

 世人の東北を見る動もすれば以為らく東北は初めより不振の状態に在るものなりと。東北以外の人にして是等の感想を抱くは怪しむに足るなしと謂ども、東北人にして尚ほ之れと同一感想を抱き、東北の常に人後に落つるを甘んぜんとするものあり。惑へるも亦甚しと謂ふべきなり。今専ら産業に就いて言はんに、戊辰以前に於ける東北の産業は、之れを西南に比して優れりと謂ふ能はずとするも亦大に劣れるものにあらず。古来東北には各藩政の下に諸種の産業発達し、各其の部内の需用を充たせしのみならず、他方に輸出の道を開きたるもの亦少なきにあらざりき。然るに王政維新と共に藩政は撤去せられ、日本全国画一の治下に統一せらるゝに至り、其の名は即ち一視同仁なれど、其の実東北の西南に於ける一は敗者一は勝者にして、敗者は不利の地位に落ち、勝者は有利の地歩を占め、茲に優勝劣敗の実を現はし彼は興り是は衰ふるに至れり。

 戊辰の改革は独り東北のみならず西南も等しく百般の事物皆其破壊を受けたりしと謂ども、彼は優者の地位に立ちしを以て威力を挟さんで忽ち旧に倍する建造物を新設し得たりしが、東北は破壊の創痍容易に癒えずして新築造に與かる能はざるのみならず、敗敵を以て遇し犠牲に供せらるゝは之れありとするも、引て以て新企画に参与せしめらるゝが如きは曾つて之れあらざりしなり。斯くの如くにして東北は旧事物は破壊せられ、新舞台には立つ能はざりしを以て、各藩政の治下に漸く発達せし産業の如きも、又破壊の波動に由りて大頓挫を蒙らざるを得ざりき。

内村鑑三が東北に寄せる想い

 戊辰敗者たる東北という眼こそは、政治経済的に国家から放置され、後進地東北という観念を生み育て、東北人を「野蛮粗野」視したといえましょう。内村鑑三は、このような東北像に対し、半谷の求めに応じて「序」に「東北伝道―『将来之東北』へ寄贈せんために稿せる一篇―」を草し、「人は肉と霊とである、肉ばかりではない、亦霊である、霊ばかりではない、亦肉である、故に彼を完全に救はんと欲せば彼の霊肉両つながらを救はなければならない。」と問いかけ、東北人こそが日本人に精神の覚醒をうながす存在であり、その起爆力となりうるとの期待を表明しています。

 東北の特産物は意志でなければならない、霊魂でなければならない、即ち地より得る所が薄いから天より獲る所が厚くなければならない、爾うして是れ決して空想ではない、世界何れの国に於ても我が東北地方の如き地位と境遇とに置かれし国に取ては霊を以て肉に勝つより他に勝を制する途はないのである。(略)

 東北は真理の浄土となるにあらざれば関西併に西南地方に対立することはできない、若し薩州の産は其軍人であり、長州の産は其政治家であり、江州の産は其商人であるとすれば、東北の産は其正直なる高潔なる神の人であるべきである、若し東北の山野が其預言者を以て日本の天下を制すことが出来ないならば東北は実に永久西南人の奴隷として存せざるを得ない。

 かく説く内村の言説は、経済至上主義で奔ってきた現在日本を鋭く告発したものであり、東日本大震災に喘ぐ東北人に依って立つべき精神の在りかを提示しているのではないでしょうか。「真理の浄土」たれとの問いかけこそは現在まさに震災の闇に沈み泣く人びとに、明日の光をともすものといえましょう。次回はこの問いが語りかける世界を読み解くこととします。


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『講談日本通史』
大濱徹也 著
2005年 同成社 刊