学び!と歴史

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内村鑑三「飢饉の福音」が問いかけること
2011.12.28
学び!と歴史 <Vol.52>
内村鑑三「飢饉の福音」が問いかけること
大濱 徹也(おおはま・てつや)

「ガンバレ」を問い質す

内村鑑三<国立国会図書館蔵>

内村鑑三<国立国会図書館蔵>

 3月11日以後の日本は「東北ガンバレ」の声におおわれました。この声高な応援メッセージは被災地に生きねばならない人びとの励ましになっているのでしょうか。日本では、何かというと「ガンバレ」「ガンバレ」とエールを送り、これに唱和するかのごとく「ガンバリマス」というのが、連帯を表す作法であるようです。この作法は如何なものでしょうか。被災地の人びとは、日々を生き抜くために、懸命にその日の営みをされています。「ガンバレ」「ガンバッテ下さい」なるかけ声は、励ましではなく、明日をどう生きるかに思い苦しむ者を鞭打つものではないでしょうか。

 私は、何かというと「ガンバレ」「ガンバリマス」という応答が日常的に氾濫している世間の風潮になじめず、強い嫌悪感を抱く者です。「がんばる」という作法は、「がん」が頑固であり、「ばる」は突っ張り、意地を張ることで、己を問い質す心のゆとり、理性的判断力を失わせるものでしかありません。突っ張れば切れるだけです。近年巷でおこる「無差別殺傷事件」とみなされるものは、「ガンバッタ」がために心身が切れ、突発的ともいえる行動に奔らせたものといえましょう。日本人が好む「ガンバレ」という主義、「ガンバリズム」は、昔「皇軍」と称揚された日本の国軍をささえた精神が横溢していれば出来ないものは無いという精神主義の残飯でしかなく、理性を狂わせるものでしかありません。
 東日本大震災以後の日本社会を蓋う閉塞感は、この「ガンバリズム」が列島に横溢することで、日毎に深まり、日本を出口のない迷路に追いこんでいるようです。この迷路を打開するには何が問われているのでしょうか、先人は、このような自然災害とどのように向き合い、人間としての生きる命を学ぼうとしたのでしょうか。そこで日露戦争後の東北凶災をみつめ、何が国民に問いかけられているかを説き語ったキリスト者内村鑑三の声に耳を傾けたく思います。
 内村は、青森県弘前に東奥義塾を創立した本多庸一の要請を受け、明治36年5月11日に東京神田のYMCAで開催された東北救済のための演説会で「飢饉の福音」を語りました。現在(いま)この声に耳を傾けたとき、明日を生きるには何が問われているかを読みとる精神の糧を手にしうるのではないでしょうか。

天災飢饉をどのように向き合うか

 「飢饉の福音」なるメッセージは、まず「飢饉は或る意味から云へば神の下し給ふ刑罰」と語りだし、天災飢饉にどのように向き合うかを問い語りかけたものです。その声に耳を傾け、内なる声を聞きたく思います。

 飢饉は或る意味から云へば神の下し給ふ刑罰であります、之れは民の懶惰を懲らさんが為めか、又は為政家の怠慢を責めんが為めに、神が人に加へ給ふ鞭であります、夫れ故に飢饉其物は決して喜ぶべき幸福なる事ではありません。(略)然しながら凡の災害を其正当の意味に於て解釈しますれば災害は返て我々に多くの福音を伝ふるものであります、素々神の意志より出たる災害でありますから其苦き杯の中に甘き訓戒が有るべき筈であります、飢饉を単の災害として受くべき乎、或は之を変じて幸福の泉となすべきかは我々の之に加ふる註解如何に由ります。

一、飢饉に依て我等は我等の平常の用意の足らないのを覚るのであります(略)
二、飢饉に由て我等は政治家の無能怠慢と社会組織の不完全を覚るのであります(略)
三、飢饉は人に取つては災害でありますが、土地に取つては幸福であります。
四、言ふまでもなく凡ての災害は人の冷却せし同情推察の情を起すものであります、爾うして茲に特に注意すべきことは災害なるものは多くは悪人其者の上に直に来らずして、真固の悪人以外の者の上に来ることであります、今年の我邦の飢饉の如き若し其民の罪悪の度合から申しましたならば、之れは西南の薩摩か長州に来るべき筈のものであります、又彼等の罪悪を助けた者は肥後の教育家と文人とであります、故に若し罪悪応報が飢饉の目的でありますならば之れは重に西南地方を襲ふべき筈のものであるやうに見えます。然るに実際は全く之に反して比較的に罪少き東北人の上に臨み来つたのは如何にも惨酷であるやうに見えます。(略)

 明治政府の犯した罪悪に最も関係の少ない東北の民が或は海嘯に罹り、或は飢饉に苦んで此政府の如何に思慮なき、如何に無慈悲なる、如何に不公平なる、如何に頼むに足らざる政府である事が能く判るのであります、爾うして斯く観じ来つて我々は一層明白に此等罹災民に対する我々の責任が分かるのであります、即ち彼等は重に彼等の罪のためではなくして日本全国民、特に薩長の偽善政治家のために苦みつゝあるのであるのを見まして、我等は殊更に深い同情を是等の窮民に向つて表さなければならないことが判ります。

 内村は、天災飢饉を人間の生き方、社会の在り方の問題ととらえることで、現在をいかに生きるかを問いかけます。この告発には、薩長政府の在り方、教育勅語を主導した元田永孚らによる国家の営みに対する厳しい批判が託されていますが、災害を単に自然現象とみなすのではなく、いかに生きるかという問いかけが託されています。

生きる力とは

 多様な被災地の復興には、当面の物質的支援もさることながら、被災者自らが生きる力を如何に身につけるか、自力への内的活力が問われているのではないでしょうか。しかし現在目にするのは、いまだに内村を慨嘆させた世界、「政府の如何に思慮なき、如何に無慈悲なる、如何に不公平なる、如何に頼むに足らざる政府」に右顧左眄するのみで、「ガンバレ」「ガンバッテ」という声しか耳にしません。明日に向かっていかに生きるかを問い質すメ―セージを発信する存在がいないところに現在の日本に貧しさがあるのではないでしょうか。それだけに明治末年、日露戦争の勝利に酔い痴れていた日本国民にもたらされた飢饉を国民精神覚醒の起爆剤ととらえることで、新生日本の明日をみつめようとした内村鑑三の声を己の内なる世界で問い返したく思います。思うに日常の暮らしに追われているからこそ、私たちには日々の営みを厳しくみつめ、己を律する何かが求められています。その何かを見いだせない限り、明日は手にしえないのです。この課題を「飢饉の福音」から学びたいものです。


内村鑑三

  • 「飢饉」(『万朝報』明治35年8月18日 『内村鑑三全集』10巻 岩波書店)
  • 「飢饉の福音」(『聖書之研究』40号 明治36年5月28日 同全集11巻)
  • 「戦勝と飢饉」(『新希望』71号 明治39年1月15日 同全集14巻)
  • 「天災と天罰と天恵」(『主婦之友』7巻10号 大正12年10月1日 同全集28巻)