教育情報

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何のために勉強するの?
2011.07.05
教育情報 <日文の教育情報 No.101 臨時号>
何のために勉強するの?
-東日本大震災から考えさせられたこと-
大阪教育大学監事 野口 克海

※4月、5月掲載分は、休刊させていただきました。

■ “勉強なんか、せんでもエエ”

 あの大震災大津波が起こった3・11の1週間程前、ある県の中学校の教頭先生と話をしていた。いろいろと課題の多い学校である。
 「授業中、校舎の見廻りをしてたのですが、2年生の誰もいない教室に男子生徒が1人、席に座ってゲームをしていたんです。
先生 “皆はどこに行った?”
生徒 “音楽室”
先生 “音楽の時間か、君はどうして行かんの?”
生徒 “勉強せんでもエエもん”
先生 “そんなことないやろ、高校へ行くんやったら、音楽もちゃんと受けとかんと!”
生徒 “高校なんか行かん!”
先生 “高校ぐらい出とかんと、仕事さがす時こまるぞ!”
生徒 “先生、仕事なんかせんでも生活保護で生きていけるで……。”
と言うんですよ。親を見てるんですかね。言い返す言葉がありませんでした。」

■ “みんなの役に立ちたいから”

 その1週間後、東日本大震災が起こった。
 家族を亡くされて、家も津波で流された人たちが、水道も電気もガスも何もない避難所で生活する様子が連日テレビで報道されている。
 そこには想像を絶する惨状が映し出されていた。
 小学生の女の子が2人、背中にお弁当や水を入れたモッコを背負って山道を登っていた。一人住まいのお年寄りの家に救援物資を毎日運んでいるという。
 「学校が始まっても、続けたいです。私もみんなの役に立ちたいから…」
 野球部の高校生たちが、
 「町のみなさんに応援してもらって甲子園に行けた。今度は僕たちが頑張らないと。」と言って、一生懸命水を運んでいた。
 「避難所のみなさんを励ますことができたら。」と中学生たちが、水につかった楽譜をきれいに拭いて、送ってもらった楽器でブラスバンドの演奏をしていた。
 聴いている避難所の人たちは涙を浮かべながら中学生たちに拍手を送っていた。テレビでインタビューを受けている東北の子どもたちは「皆で力を合わせて、この町を復興させたい。」「これからは私たちが頑張らないと。」など、どの子もしっかりと語っている。

■ 勉強するのは自分のためだけですか

 「しっかり勉強せんと、いい高校に行かれへんよ。」「いい学校出て、立派な会社に就職して、よい生活ができるように、頑張って勉強せなあかんよ。」という動機づけは、もう通用しなくなった。
 「別に無理して、いい高校に行かんでもエエ。」と教育を受ける権利を放棄されたら、勉強することを利己的な自分の利益のためとしている限り指導の余地はなくなってしまう。
 “教育を受ける権利”を子どもにまる投げしてしまうのは間違っている。
 “義務教育は無償とする”とあるように国民の税金を使って保障されている“権利”には“義務”も伴っていることをもっと明確にすべきだろう。
 そのことを今回の東北地方の子どもたちは見事に証明してくれている。
 知力も心も体力もしっかりと鍛えて、自分自身の生きる力をつけるのは、自分のためでもあるけれど、その力を地域のため、社会のために役立てることと不可分の関係にある。
 「自分たちの若い力が、この町に必要とされている。」「私たちも地域のみんなの役に立ちたい。」そう思った子どもたちは元気を出して頑張ることができる。
 いまだに水道も使えない避難所で、被災された人たちが、不自由な生活を強いられている時、子どもたちが一生懸命、お手伝いをしている姿は、教育の原点を考えさせてくれる。
 きっと今まで以上に思いやりのある優しい子に育ってくれるだろう。社会に役立つ人に育つために体力もつけ、勉強もしっかり取り組んでくれるに違いない。
 強く教訓としたい。

著者経歴
元 大阪府堺市教育長
元 大阪府教育委員会理事 兼教育センター所長
元 文部省教育課程審議会委員
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