学び!と歴史

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「西郷どん」とは何者か 3 ―西郷隆盛の決起は「いろは歌」がどのように問いかけていたか―
2018.06.28
学び!と歴史 <Vol.124>
「西郷どん」とは何者か 3 ―西郷隆盛の決起は「いろは歌」がどのように問いかけていたか―
大濱 徹也(おおはま・てつや)

承前

 2回にわたり『団々珍聞』が報じた西郷隆盛を首領とした西南戦争についての世間の風聞を紹介しました。その風聞は、西郷隆盛を「西郷酒盛」「西郷戦生」「窮醜殺魔人」と、戦いに生きた、醜を極めた「窮醜」―九州、殺しの魔人「殺魔人」薩摩人だとこき下ろし、明治10年戦乱をして「迷痴10年」と道に迷うと戯けた痴者の仕業と揶揄嘲笑まじりに弾劾したものです。この声は戦火に逃げ惑う民の声、怒りを代弁したものです。
 しかし一方には、新政府に期待を裏切られた者にとり、西郷が掲げた「政府問責」の声に応じることで馳せ参じた群れもありました。その想いは西郷軍団の「出陣いろは歌」が「もはやこのうえ 忍ばれず 責めてはつくすもののふの 数万の民を救わんと 今日を限りの死出の旅」にこめられています。この歌は亡びの凱歌にほかなりません。

決起する理はどのように伝えられたか

 西郷軍団は、政府問責の兵を何故あげねばならないかにつき、「いろは歌」に託して各集落の民に伝え、支持を求めようとしました。この「いろは歌」は、「西郷方宣伝の歌」として、「唱歌は兼ねて賊将の何某が作りて昨今より各郷に伝播せしめ女童部までも謡ひはやす様に仕掛けたるものなりと或る人の寄せられたり」と、東京日日新聞が明治10年8月に報じられたものです。西郷軍は民の支持をもとめていたのです。決起はどのように知らされたのでしょうか。

い)まもむかしも神国なるに
ろ)しやあめりかよふろつぱ
ば)かな夷風に目はくらみ
に)ほんのみだれは顧みず
ほ)うを異国に立てかへて
へ)たの将棊の手前見ず
と)られそうだと金銀を
ち)ゑあり顔に無分別
り)よく我儘仕ほうだい
ぬ)すみは官員とがは民
る)ろうの士族おびたゞし
を)ほくの租税罰金を
わ)たくしからの政治故
か)はる布告は朝夕に
よ)の行末はいかならん
た)かきいやしきわかちなく
れ)いも作法もなくなりて
そ)んな我国益は破れ
つ)まり夷国の計略に
ね)い奸もののうち合ふて
な)には兎もあれ角もあれ
ら)い名つふした其時に
む)かしに復るといふたのも
う)そと今こそしられけり
ゐ)のちを捨てゝ国の為
の)がさず討てよ佞奸を
お)ほ久保三条ちぎり會ひ
く)らす此世は面白や
や)められうかや花の夢
ま)よう心の末ついに
け)たうじんらに國をうり
ぶ)具も刀も捨てよとは
こ)こんきかざる布告なり
え)ぞ地ももはやおひとられ
て)ん下の治亂は只今よ
あ)すはかゝらん暗殺に
さ)らば逢はんと想へども
き)よき心は神ぞ知る
ゆ)う士はあまた隠れゐて
め)いを奉ずるものもなく
み)すみす二人が居る故に
じ)職の人は勤王家
ゑ)い名あへて好まねど
ひ)道を責る天の道
も)はや此上忍ばれず
せ)めてはつくす武士の
す)まんの民を救はんと
京)をかぎりの死出の旅

「死出」の旅へ馳せ行く想い

鹿児島戦闘記<国立国会図書館ウェブサイトから転載>

 「いろは歌」には「政府問責」の兵を挙げた西郷軍団の想いが平易簡明に説かれたものです。それは新政府の文明開化路線への異議申し立てを歌ったものにほかなりません。その想いは、「神国」日本がロシア、アメリカ、ヨーロッパの「夷風」、文明の波濤にさらされ、「復古」というスローガンが無にされたことへの怒りです。政府は官員の跋扈、士族の窮迫云々と問責され、大久保、三条の専断が糾弾されています。ここに「じしょく(辞職)の人」西郷隆盛は、「勤王家」として、政府の「非道」を責めるのが「天の道」だとみなし、この状況から「数万の民」を救わんと「死出の旅」たる決意で兵を挙げたのだと。
 このような「いろは歌」が民衆の心にどのように受け止められたかは不明ですが、はやり歌の様式によせて民意を取り込むことで優位性を保とうとした戦略は、戦争が民意の帰趨によることを理解していたことにほかなりません。この作法は、鳥羽伏見にはじまる戊申の内乱で薩長勢力が「宮さん宮さん」の歌で錦旗を掲げ、「官軍」たる優位性を確立して幕府軍を制圧したことを西郷軍団も理解していたことをうかがわせます。
 まさに西南戦争は民衆の帰趨が戦局を左右する近代の戦争形態が意識された内乱でした。この思いが軍団の将兵にどれだけ共有されていたかは問わねばなりませんが。かつ戦争は、歌の末尾が「死出の旅」であることが物語るように、「天皇の政府」に向き合った叛乱だと自覚されていました。このような亡びの凱歌には、「戦生」として戦乱の巷に生きることで己を輝かせ、亡びに奔走した大いなるロマンチストともいえる西郷隆盛の生き方が封じこまれているのではないでしょうか。