学び!と美術

学び!と美術

よくある質問~「製作」と「制作」
2013.10.10
学び!と美術 <Vol.14>
よくある質問~「製作」と「制作」
奥村 高明(おくむら・たかあき)

 「小学校図画工作はなぜ『制作』ではないのですか?」。よくある質問です(※1)。本稿ではなぜ小学校図画工作が「製作」で、中学校美術では「制作」が用いられているのか検討してみましょう。

視点1.言葉の性質

 言葉は本来「何かがあって、それを名付けた」というよりも、「言葉によって何かの概念が生まれる」という性質を持ちます。有名なのが「狸」です。犬の仲間ですが、日本人の誰もが犬とは思っていません。月を見れば腹鼓を打ち、変身して人を化かすような存在としてとらえています。「狸」は言葉によって犬から切り離され、生物の系統性や狸自身の意向にかまわず、文化的につくりだされた特別な動物なのです。
 また、言葉の解釈は時代や社会状況で変わります。最近の「子ども」と「子供」がそうでしょう(※2)。「お供やお供えものなど従属的な意味だから使うべきでない」という説もありますが、一方で以前から「『子供』を差別的な表現だというのはおかしい」「『供』は複数形だ」という人がいました。「言葉を変な思想性で変えてはいけない。言葉は人間の思想より大きなものだ」という指摘もあります(※3)。これから「子供」が増えるとすれば、それはそれで社会的な変化を表すことになるでしょう。
 言葉は生き物です。絶対的な正解があるというよりも、それを用いることによって、その社会や文化に何らかの概念を生み出したり、状況を変えたりする性質を持っています(※4) 。

視点2.辞書的な解釈(※5)

 辞書的には「製作」と「制作」の何が違うのでしょう。
 「製」は製図、製造、製鉄、製品、複製、木製など「こしらえる」「つくる」という意味を持っています。それに「作」を加えたのが「製作」です。「家具を製作する」「記録映画を製作する」「作品を製作する」など広く「つくる」という意味で用いられています。
 一方、「制」は基本的には制定、制度、法制など「整える」という意味があります。規制・制圧・自制などのように「おさえつける」「コントロールする」というニュアンスもあります。それに「作」を加えたのが「制作」です。そこには「自分の思うとおりに作り上げる」という意味が含まれます。「肖像画を制作する」「政令を制作する」「番組を制作する」など、かなり明確な意思があって作る場合に用いられます。美術や芸術の世界で「制作」が使われるのも、そこからでしょう。ただ、「映画製作」「制作スタッフ」のように様々な分野で慣習的な用い方がされており、「製作=実用」、「制作=芸術」といえるほど厳密な規定はできません。
 このようなことから、おおむね「製作」は幅広く、「制作」は芸術的な場面で用いられるということができるでしょう。

視点3.学習指導要領の歴史

 学習指導要領では、どのように「製作」と「制作」が使われてきたのでしょうか。
 第二次世界大戦後、それまでの「図画」と「工作」は合体し新しい教科「図画工作」が生まれます。小学校も、中学校も、高等学校もすべて「図画工作」です。学習指導要領では「製作」が用いられます。
 ところが、昭和33年の改訂で、中学校と高等学校は「美術」と「技術」に分かれます。小学校は「図画工作」のままですから、当然「製作」を用い続けます。そもそも変更する理由が生じていないのです。「制作」にするとなれば「工作も制作か」「砂遊びや、新聞紙で遊ぶ姿を芸術と呼ぶか」「明確な意図や自我が小学生で成立するか」など様々な問題が生まれたことでしょう。
 では、中高美術は「美術」になったから、すぐ「制作」に変わったのでしょうか。いいえ、昭和の間はずっと「製作」でした。「制作」を使い始めるようになったのは平成元年改訂からです。当時は時数減もあって「美術科とは何か」「教育課程に必要か」などの問いに答える必要がありました。そこに「制作」への変更を検討する理由が生まれたのでしょう。指導要領作成の協力者会議では「美術は芸術だから『制作』がふさわしい」「いや、意味が限定されるので『製作』のままでよい」などの議論が行われたようです(※6)。そして結果的に小学校図画工作は「製作」、中学校美術は「制作」という状況が生まれ、それが現在まで続くことになります。

 まとめてみましょう。「製作」は広い意味の「つくる」を示しています。造形遊びや工作など小学生の幅広い造形活動に適用するのは適切でしょう。一方「制作」には明確な目的意識や主題、芸術的な意味などが含まれます。芸術文化を理解し、自我も確立する中学生にはふさわしい用語だと思います。また、教科の歴史という観点から、小学校図画工作が一貫して「製作」で、中学校美術が途中で「制作」に変更になったことも十分理解できます。総合的に勘案すれば、どちらも社会状況を踏まえた妥当な結果だと思います。
 ただ、言葉の性質からすれば、小学校図画工作が「製作」、中学校美術が「制作」と言えるのも現行制度上の話です。社会や文化の変容にともなって言葉は変化します。6・3・3制や教育課程が変われば、それにそった概念や言葉の変更があるかもしれません。どのような未来が待っているのか、そのときどのような言葉が用いられているのか、それもまた興味深いことの一つです。

 

※1:この質問は「小学校ではない先生」からがほとんどで、小学校の先生や保護者から発せられることは少ない。時々「小学校も『制作』であるべきだ」という意見があり、その美術的な前提や固定観念には辟易することがある。
※2:文化庁:よくある「ことば」の質問(現在ページが存在しません)
※3:横浜国立大学の有元教授の話から。
※4:大学1年生のころ、大学4年生から「製作」じゃない「制作」だとよく書き直された。単純に語句の訂正というよりも、「芸術」という概念や、先輩と後輩の関係を成立させるためだったように思う。言葉の使用はある種の権力関係も含むのだろう。
※5:文化庁編「言葉に関する問答集」や大辞泉などから。
※6:議論は52年改訂時からあった。(協力者であった京都教育大学名誉教授竹内博先生の話)