ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.18 > p26〜p29

海外の情報教育の現場から
タイにおけるICT教育の現状
岩手県立大学ソフトウェア情報学部教授 鈴木 克明
1.はじめに

 今年度から教科「情報」が新しい教科として取り入れられました。本校でも新1年生から新しい指導要領に基づいたカリキュラムがスタートし,1年生では「情報A」を2単位をおきました。3年生は旧カリキュラムですが,3年生の4クラスに,1年生とほぼ同じ内容の「情報」を2単位おいています。この2つの講座の内容は昨年まで高3対象の選択科目で行われていた「コンピュータ入門」の授業内容を基に組み立てています。ここでは昨年度,高3対象に行った授業を紹介します。

2.授業を行った生徒像とコンピュータ教室
 2002年9月10日に,タイ教育省におかれている教育情報センターを取材した。教育情報センター(Education Management Information System Center)は,1999年5月教育省内に設置された。50人のスタッフがある。2002年3月より3年間のJICAプロジェクトも進行中で,日本人の専門家が常駐している。センターでは,タクシン首相の教育方針を受けて次のような目標を立てた。

(1)教員全員にコンピュータ及びインターネットの利用ができるよう育成する。2001年度予算に合計60万人の教員のうち20万人に対して,ラーチャパット大学などが主体となって実施する。土日を利用して3−5日のコースとし,4年後には教員全員にゆきわたらせたい予定という。

(2)教員たちにインターネット上での教材作成及びネットワークの整備ができるように,教育省は2ヶ所にセンターを設け,ソフトウェアを提供する。さらに3年計画でJICAがボランティアを5つのセンターに講師として派遣する。うまくいけば近隣諸国へ広めていく予定。

(3)小学校全校に4年後,中学高校では2年後を目標にインターネットを整備する。将来コンピュータの整備状況として,小学校では40人に1台,中学高校では20人に1台,大学では10人に1台割当てることを目標としている。

 教育情報センターの活動は,次の4本柱にまとめられる。所長によると,優先順位順につぎの4つであるとのことであった。

(1)教師研修:タイ全土に60万人いる教師にICT研修を実施するのは困難であるが最重要課題と考えている。現在までに15%しか研修していないばかりか,研修の内容が古くなっている。5年前に学校にパソコンを導入したが,研修不足で失敗した。2002年度には20万人,2003年度には10万人を目標に,大学やコンピュータ施設が充実している学校の協力を仰いで研修をする予算がついた。JICAのプロジェクトでは,3年で3000人を目標にしている。(JICA専門家へのヒアリングで,3000人の数値目標があるのはワード,エクセル,インターネットの基礎を扱うAコース)。

(2)ソフトウェアの整備:基本ソフトについてはライセンスのみの問題であるが,教育用ソフトウェアについては,教師による開発,業者による開発支援,市販品の購入を視野に整備中とのことである。理科,数学,英語を中心にして,教師開発についてはコンテストを実施するなどして充実を目指している。

(3)ネットワーク整備:先行して実施したSchoolNetプロジェクトに加え,2005年度までに全学校をインターネットに結ぶ目標のEduNetプロジェクトが進行中である。タイ教育省の組織改革で誕生する独立行政法人が担当する予定。教育情報センターでは,200校が参加するMOEネットを現在,管理しているが,これも将来的にはEduNetプロジェクトの一部として統合される予定。独立行政法人になれば,企業からの寄付などが可能になる。オラクル社が提供するthink.comが近々タイ語化される(世界で5番目)などの動向を生かして,インテル社が提供するe-learningなどを統合していく予定。

(4)ハードウェア整備:2005年度を目標に,中学校では20人/台(現在53人/台),小学校では40/台(現在137人/台)を目指しているが,実現には企業,PTA,地域社会などの力を総動員する必要がある。教育情報センターでは,ハードウェアを寄付してもらうためのプロジェクトも進行中。現在では,6割から7割の学校にコンピュータが少なくとも1台あるとの報告があるが,10%が作動していないという数字もある。

 ハードウェアやネットワークの整備も不可欠である一方で,整備されたときに活用できる教員を養成することやソフトウェアを整備することにより重点が置かれていることは,印象的であった。ネットワークが完備しても,ソフトウェアに使える予算が極めて限定されている我が国の実情に照らしても,共感が持てる内容ではないか。最先端のICTに関する課題は,どの国でも等しく「ソフトウェアと人的資源」である。
3.遠隔教育振興会のテレビ衛星生中継授業
 インターネットの普及を目指しての試みも開始されている一方で,タイのICT教育を特徴づけるのは,遠隔教育振興会のテレビ生中継授業実践に見ることができる。日本のメディア教育開発センターが衛星利用の技術支援やノウハウ提供し,日本財団などからの資金援助を受けて1996年に開始されたプロジェクトで,7局の通信衛星で24時間発信し,全国の公立学校等約3000個所で受信施設を備えている。首都バンコクと地方との教育内容の格差を是正するためにICT活用を試みた王室主導のプロジェクトである。

 バンコクの南200キロメートルの町フアヒン離宮内にある1938年創立の王立学校は,恵まれない子どもたちの救済と教師不足の解消を目的にタイ国王が設立した遠隔教育振興会によって,1996年からテレビ生中継授業の送信校に生まれ変わった。小学校から高校までの約2000人の生徒を擁する王立ワンクライカンウォン学校では,毎日,中高各学年1クラスの授業が全国に生中継される。撮影に用いられているのは教室ごとに設置された3台のテレビカメラ。教師が事前に提出したプレゼンテーション用資料も加えて,学年ごとの専用副調整室経由で送信される。

 一斉指導を基調とした授業は,内容を検討する委員会で吟味され,プリント補助教材が受信校に届けられている。受信側では,補助教員があらかじめプリントを準備・配布し,授業時間のほとんどは,衛星放送に登場する教師の指示に従って進行される。この学校にあっても,生中継されるクラス以外の学級では,全土の受信校と同様に,補助教員が見守る中,同学年の生中継授業を見て学習を進めていた。

 王立ワンクライカンウォン学校から送られてくる授業衛星生中継の受信校のひとつをラオス国境に訪ねた。国王の在位50周年を記念して1995年に開校したラーチャプラチャーヌークロ第27学校である。この学校には,エイズ孤児,不当労働,麻薬,家庭内暴力,交通不便などの理由から社会経済的に恵まれない子ども903名(小中高あわせて)が在籍していた。中高で衛星生中継の授業を体育以外の全教科で活用することによって,正式教員18名(うち4名は管理職)と31名の講師ですべての授業を担当することを可能にしている。全寮制学校に住み込みで働き,授業実施のみならず,寮母や親代わりなどの多様な役割を果たさなければならない教師の負担軽減と授業の品質維持に役立っている。

 衛星放送授業を受信する中高の教室には,2クラス分の生徒約80名が一堂に会し,教室前面に設置された3台のモニタ(29インチ1台,25インチ2台)に登場するテレビ教師の指示に従って学習を進めていた。教室には補助教師が1名つき,発信側で用いている教科書と同じものを手にしている生徒一人ひとりに発信側と同じプリントを配布し,机間巡視をしながら自分も放送内容をメモしていた。

 ここでの授業の準備としては,配布されている教師用マニュアルを読み,授業内容を確認する。発信側で用意したプリントが利用できるので,授業の準備が楽である。ただ,本人は,授業中継映像に頼らずに自分なりの授業を実施したいと思っているし,教える準備がちゃんとできれば同じ質の授業をやる自信があると述べていた。しかし,一人で3学年を担当し,1週18時間指導している住み込みの新任教員にとって,大きい援助になっていることは間違いない。

 午後に参観した高校3年生の化学の授業を担当した教師は,授業中継映像の役割は,この学校にはない資料を提示してくれることにあると言う。子どもが衛星放送による授業中継で自学し,分かりにくいところを教室教師が指導すればよいと考えることによって,大人数授業の実施可能性が高まるとも述べていた。また,衛星放送を利用した授業中継では,自分とテレビ教師とのティームティーチングが実現するが,関心がない生徒は授業についていけず,教室教師と生徒とのコミュニケーションがとりにくい。衛星授業だけでは成立しないので,集中力を維持するための指導と授業後の補充指導が不可欠であると指摘した。

 ラーチャプラチャーヌークロ第27学校では,7局の衛星放送を同時に録画する専用VTRシステムが稼動していた。インターネットが接続されたコンピュータ室や1年分の授業中継映像を蓄積したビデオライブラリー,図書館などがあり,敷地内で共同生活を送る児童・生徒に夕食後や土日にも開放されている。復習や発展学習に集中している児童・生徒の熱心な様子が印象に残る視察であった。

 遠隔教育において双方向性をいかに確保していくか,あるいは,送り手側にいる教師との双方向性はそもそも不可欠であるのか,また,送り手側の教師と受け手側の補助教師との役割分担をどうデザインしていくのか。日本においても,タイのこの実践においても,機器の組み合わせの違いこそあれ,遠隔教育の共通な課題である。
4.教育テレビ衛星局による教育放送の動向
 教育省では,同省教育工学センターの主要事業として衛星を利用した教育放送が行われている。教育専門テレビ衛星局1波を用いて午前7時から午後10時までの毎日16時間放送している。NHKからの理科番組等200本余りの提供を受けてタイ語に翻訳して放送するなど,海外からの提供番組も含めおよそ3分の1を自主制作するスタッフを有している。(1)主として小学校において有資格教師が用いる「エンリッチメント教材」を放送する他,(2)学校に通い損ねた成人が主に中高の卒業資格を得るために通う学習センター向けの基礎教材番組や,(3)一般視聴者を対象とした語学や職能教育番組も制作・放送している。

 タイの教育放送は,ラジオ時代からの伝統があり,首相府広報局や軍が管轄しているラジオ・テレビ局の放送枠を借りて「Children Magazine」等の番組を放送してきた。現在でも,一般向けの番組をそれらのチャンネルを用いて放送している。1993年にタイの放送衛星第1号が打ち上げられ,衛星テレビ1局が教育放送にあてられることになったのを契機に,国とタイコム財団からの資金援助(約3億バーツ)を受けてCETが1994年から衛星による教育放送を開始した。

 CETでは,ETVの他に,FM局1波,AM局1波で一般向け番組を提供するラジオ部門がある。加えて,Webサイト試作などを手がけているCAIチームを2002年度に開始し,メディアを用いた総合サービスを志向している。自らが著作権を持つ番組のビデオは,VCDやVTRで希望者に有償提供されている。現在,これらの番組アーカイブをビデオサーバー上に無料公開する作業が進められている。

 2002年10月のタイ政府省庁再編により,現在のノンフォーマル教育局の管轄を離れ,独立行政法人となる。中学校を義務教育化し,「学習者中心の教育方法」を採用することを求めたタイ教育基本法の発効に伴う教育改革を進めていくための有力な手段としての期待が高まっている。

 タイ全土に約6000ある学習センターのひとつパノムサラーカム郡コッカヌン町学習センターを訪ねた。経済的事情などで学齢期に中等教育を終えることができなかった人のための教育を担う施設である。435人の生徒(13歳〜70歳;30歳前後が多い)が通うこの学習センターには,所長の他に専任教師が3名と学校教師の資格をもつ非常勤が4名しかいない。土日ごとにあるスクーリングでは,ホームルームのあとで50分授業を中高4コマずつ実施し,4種類の授業を生徒が順次移動して受ける。学年別授業はなく,中高それぞれに分かれて授業が行われている。授業はグループワークに重点が置かれ,家で学習した課題をグループでまとめたり,発表したりする時間が多く確保されている。

 衛星放送からの録画ビデオとノンフォーマル局販売の録画教材を併用し,数百本のビデオテープが職員室に準備されている。全授業のうちの約6割で15分〜30分程度使用しているほか,希望者にはテープを貸し出している。一人で2〜4科目担当する教師の授業準備を支援し,映像による内容理解の促進や施設不足を補う演示実験などで,学習センターにおける教育の質を高める上で重要な役割を果たしている。

 生徒の多くは学齢期に学校教育のチャンスが持てなかった者で,卒業資格取得によってキャリアアップを志向する動機と,向学心・教養など生涯学習的な志向を持つ動機が混在している。学習センターに通う人々は,必ずしも恵まれた学習環境にあるわけではない。しかし,学ぶ時間を自ら確保し自学する意思を持ち続け,また学び合う仲間とともに過ごすチャンスを味わい,ひとつずつ着実に自分の目標に向けて自力で歩んでいる。ICTを活用することでこの人たちにとって貴重な学びの場として全国6000もある学習センターが少人数のスタッフで維持運営できている。道具ばかりに気をとられずに,自ら学ぶ心をはぐくむ環境としてICTを如何に使うべきかを見直す必要性を痛感した訪問となった。
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