ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.33 > p1〜p5

論説
教師を超える情報活用能力を育てる
─情報処理学会の提言とアメリカの情報技術教育の基準に照らして─
常磐大学 堀口秀嗣
horiguti@tokiwa.ac.jp
 必修科目の未履修問題に揺れた2006年度。教科「情報」も矢面に立たされた。そのような激動の1年も終わろうとしている。本稿では,2006年10月28日に早稲田大学で行われた「高校教科「情報」シンポジウム2006−ジョーシン06−」※注1での情報処理学会情報処理教育委員会の提言や,最近のアメリカの情報(技術)教育の改訂などから,今後の教科「情報」に関して筆者なりの視点を明らかにしてみたい。
1.情報処理学会からの提言
 「ジョーシン06」は,中身の濃い研究会であったと思う。折しも,高校世界史に端を発した高校必修科目の未履修問題がニュースで流れたばかりで,研究会でも緊急に時間を取って現状の紹介や議論があった。
 筆者の大学にも,教科「情報」を履修してきた学生と未履修の学生がいる。教科「情報」に関わる基本的な指導は概ねしなくてよくなったものの, 習得してこなかった学生には対応せざるを得ず,その格差の広がりへの対応に戸惑ったこともあった。後ほど述べるが,必履修教科でありながらセンター試験に入らなかった結果が,このような形で現れるのかと驚かされた。今年度,このように 問題が顕在化したことにより,来年度はすべての高校で教科「情報」の授業が行われ,再来年度に入学してくる学生は教科「情報」をしっかり学んできてくれるものと期待したい。
 さて,「ジョーシン06」の中で,今回筆者が言及するのは,以下の3つについてである。

・「教科「情報」と八大学情報科目入試検討WG」
 雨宮真人氏(九州大学)
・「米国の大学入試と教科「情報」」
 石岡恒憲氏(大学入試センター)
・「教科「情報」新・試作教科書の提案」
 久野靖氏(筑波大学)

 それ以外の報告や提案も大変興味深いものであった。教科「情報」を担当する先生には,ぜひ冊子※注2を入手されて精読されることをお勧めする。

(1)八大学情報科目入試検討WG
 これは,旧帝国大学である7大学に東京工業大学を加えた8大学の情報関係の大学院研究科の研究者が「大学入試への教科「情報」の採択やセンター試験への採用を働きかける」ことで検討会を発足させたものである。しかし,検討に入ってみると各学部の情報学の重要性の認識がそれほど高くないという現実と,情報関連学科の受験生の減少という事態が明らかになり,「学問としての情報分野の社会的認知度を高め,人材育成の促進をはかるために何をなすべきか」に目標を修正し,取り組まれた結果を報告された。
 これだけの錚々たる大学の専門たる理工学部でさえ重要性の認識が低いのであるから,一般の国公私立の大学が入試科目に取り入れることの難しさを再認識するとともに,すでに入試に取り入れている東京農工大はじめ15大学の関係教職員のご努力に敬意を表したい。
 この報告で注目したいのは,情報という科目の内容を充実させ,必修を4単位化した上で,センター試験科目に採用し,さらに大学独自入試科目でも採用していくというロードマップが示されたことである。必修2単位ではセンター試験科目に入らないという考え方を初めて聞いた筆者の不勉強は恥ずかしい限りだが,教科「情報」の不要論もある中で,逆ベクトルとして教科「情報」のさらなる充実を図ろうとする提言は驚きを禁じ得なかった。確かに,「情報学は数学,物理・化学,さらには国語と並んで重要な基礎学問である。情報学の理解が自然現象,人文現象,社会現象を捉えるために必須であることを考慮すれば,大学入試において情報学の理解を問う入試科目があるべきという結論は極めて自然なものであろう。」というとらえ方は共感できる。この考え方は,教科「情報」を担当する高校の先生にこそ持っていただきたい考え方である。機器の操作やソフトウェアの使い方やハードウェアの基本的な理解を扱えばよいと考えていた高校の先生がいるとすれば,耳の痛い話であろう。
 この原稿は,全体として33ページにわたって以下の内容について論じ,提言としてまとめている。
●情報学の学問的意義
●全学教育との関係
●初等中等教育における「情報学」教育の在り方
●高校教科「情報」の内容
●情報学教育に関する高大連携
●人材育成のための産学連携
●大学入試における「情報」科目の導入に向けて

(2)アメリカの大学入試と教科「情報」
 これは石岡氏の個人研究の成果と思われる。共通テスト(SATやACT)は,問題非公開で同じ問題が出題されたり,採点されない問題が出題されたりして,年度の変化を測ることができ,本格的な問題に叩き上げる場としても全国テストが利用されていることを知ったのは興味深かった。あれほど情報教育を重視しているアメリカでも,この共通テストの中に情報という科目はない。アメリカでは大学独自の試験はないので,願書+共通テストの結果+高校の成績+推薦状+面接で選抜される。共通テストを日本のセンター試験とすれば,センター試験に情報がないのは日本もアメリカも同じであるようだ。ところで,アメリカでは推薦状は試験と同じように点数化されて評価に利用されるのが一般的で,日本のように,書類として揃っていればOKというような形式的なものではない点は大きな違いである。
 アメリカの入試は入学してからの学習が成功するかどうかを判断するためであり,日本のように能力の序列化や弁別性を高めるために使われるのではない。それだけに,教科「情報」を選択した学生の追跡調査が行われ,教科「情報」が大学での学習の向上につながっているという結果が出れば,共通テストに入る可能性はあるのかもしれない。
 アメリカはこのように試験の意味や目的を優先し,それに照らして意味があるという結果が出ない限り,必修とか主要教科という形だけで試験に入れるようなことはない。日本をこの考え方に照らせば,教科情報の履修結果(成績)が大学での履修状況とどのような相関があるかが問われるべきであるが,そのような研究報告は聞いたことがない。

(3)「情報」新・試作教科書の提案と履修構造
 この部分が一番ボリュームがあり,20ページにわたる本文と,試作教科書の内容が114ページある。教科書は1ページに2ページが縮小印刷されている。なお,試作教科書の内容は,情報処理学会情報処理教育委員会のWebサイトでも見ることができる ※注3
 真っ先に注目したいのが,教科「情報」の履修構造である。現行の情報A,情報B,情報Cが並列的に存在しているのに対して,この提案では, 情報Ⅰ(必修),情報Ⅱ(選択)が直列的につながり,さらにその先に,情報ⅢA,情報ⅢB,情報ⅢCが選択で並列に置かれている。

情報Ⅰ (必修)
情報Ⅱ (選択)
情報ⅢA 情報ⅢB 情報ⅢC(選択)

 現行の教科「情報」の考え方は,小・中学校での情報教育が実質的にほとんど行われていない状況を考慮しての構成であり,結果として情報Aを開設した高校が7割を越える結果になった。しかし,小・中学校で情報活用の実践力を十分学習してきた段階では不要になる部分が多い。したがって,検討委員会では,情報Ⅰを現行の情報Bと情報Cを包含した内容として,情報Ⅱは情報Ⅰを深めた内容に構造化した。Ⅱでは①プログラミングとアルゴリズム,②情報社会における倫理規範,③情報システムにおける正しいデータの取り扱いを取り込んだ提案になっている。情報Ⅲxは情報ⅠとⅡを履修した後で,さらに個別分野を深く扱いたいと考える生徒を対象とした科目として複数設定する履修構造が提案されている。この方が専門性も高くなり,教科としての独立性も示すことができ,学習に深みが生じ,卒業してから大学でも,社会でも,役立つ姿に発展できるであろう。
2.アメリカの最近の動きから
 アメリカでは,NCLB(No Child Left Behind 誰一人として置いてきぼりにしない教育)という法律が21世紀の最初にできて,それをもとに,教育予算が立てられたり,様々な施策に多くの教育予算が注ぎ込まれたりしていった。日本でも,IT基本法が21世紀の初日にスタートし,21世紀型の教育が進められている点では似ているが,必ずしも順調には進まず,教育改革の嵐のまっただ中ともいえる状況になってしまった。
 アメリカの情報教育の流れに話を戻すと,NEーTP(National Educational Technology Plan)※注4 が立てられ,NCLBの方向性のもとにコンピュータや高速通信網やインターネット利用可能環境が実現され,現段階ですでに5人に1台の環境がすべての小中高等学校で実現された。500人いる学校なら100台という計算であり,それが平均値で実現されていることに,普及の度合の深さを感じる。
 そのような状況で,アメリカは2006年になって新たな手を打ち始めた。施設,設備が最終的には一人1台を目指した充実をはかるということで,コンピュータリテラシーに関する指針が示された※注5
 筆者の意訳で内容を紹介すれば,目指す生徒の資質でいえば,以下の3つの大項目と,それぞれの下に3項目で,合計9標準になる。

Ⅰ 情報リテラシー
標準1:情報に効率的かつ効果的にアクセスできる生徒
標準2:情報を批判的(冷静)にそして適切に評価できる生徒
標準3:情報を正確かつ創造的に利用できる生徒
Ⅱ 独立した学習
標準4:自分一人で必要としている情報を探求できる生徒
標準5:自分一人で情報の価値や独創的な表現を認めることのできる生徒
標準6:自分一人で情報を追求し,卓越した情報表現への努力ができる生徒
Ⅲ 社会的責任
標準7:民主主義社会における情報の重要性を認識でき,それに肯定的に貢献できる生徒
標準8:情報および情報技術に関して倫理的に模範となる行動のとれる生徒
標準9:グループ活動において情報を追求し,創り出す活動に効果的に加われる生徒

 このような生徒を育成したいということで,あとは各州が作成する具体的な指導計画や指導案になっていく。
 2つ目は,発表されたばかりの情報であるが,1998年に定められた児童生徒の資質目標が2007年2月7日に改訂された※注6ことである。詳細に説明するにはまだ検討不足だが,ドラフトによれば,児童生徒が何ができるべきかを,技術の進歩や社会の要請から再検討し,その結果が最近まとまって発表されたということである。日本でいえば,情報活用能力の内容が時代の要請によって改訂されたことに等しい公表である。
 以下に6つの大項目のみを示すが,それぞれについて,簡単な説明と下位項目が4つまたは3つつけられている。関心のある方は実際にアクセスしていただきたい。
Ⅰ Creativity and Innovation(new)
Ⅱ Communication and Collaboration(4)
Ⅲ Research and Information Retrieval(5)
Ⅳ Critical Thinking, Problem-Solving and Decision-Making(6,3)
Ⅴ Digital Citizenship(2)
  Technology Operations and Concepts(1,3)
 筆者の感想であるが,個人的な資質とプロジェクトのような目的集団の中での個人が果たすべき能力が具体的に示され,今後はどのようにしてこの能力を一人一人の児童生徒につけていくかが問われることになるわけで,これからどのような具体化のための政策や指導展開が出されるか,日本の情報教育にも役立つという視点で注目したい。
3.日本が学ぶこと
 情報処理学会の研究会で報告された現状分析や 提言,それに米国のコンピュータリテラシーや最近の変化を受けて,日本で情報教育や教科「情報」が取り入れるべき視点を筆者の私見から整理しておきたい。
 日本でも,1986年の臨教審の時に情報活用能力という用語が初めて示され,4つの内容で定義された。それが,1997年に3つの内容に再定義された。10年間で改訂されたのである。それは米国にも負けないスピードであった。それをもとに,教科「情報」が組み立てられた。それからまた10年が経つ。その間に社会は大きく変化している。また,技術の進歩も,ムーアの法則を適用すれば,30倍近い性能・機能の差があるわけで,できることやできてもやってはならないことがいろいろと出てきている状況では,そろそろ見直しが必要になっていると思う。
 情報活用能力に関して言えば,1つは,個人としての資質向上だけでなく,集団の中での個の役割やそれを全うするための資質のあるべき姿を示すことである。社会に出ても,一人でできる仕事は限られている。ほとんどが,プロジェクトであり,チームを組んでの活動である。その中での個人の役割やICTの利用はどうあるべきなのか,明記する必要がある。その意味では米国の変革は参考になるだろう。
 2つ目は大量の情報を処理することが必要になっている現実を踏まえ,その方法をどのように具体化するかである。インターネット上の情報は常に増えていて,Webページはすでに100億ページを超えているであろう。そのような中で,日本語による情報は5%程度に過ぎない。英語の80%以上に比べれば,魚のしっぽ程度である。それでも多いと言っている人,それで満足している人がいるとしたら,それは問題である。どうやって全体を利用できるものにするかが問われている。とはいっても,大量の情報を読みこなせる語学力はそう簡単にはつかない。となれば,英語のページが出てきたら見もせずに×をクリックするのではなく,翻訳ソフトを用いて,それを効果的に利用して短時間で英語のコンテンツを活かせる学習習慣を身につけることが必要である。たとえ,その翻訳は正確でなかったとしても。
 3つ目は,2つ目とも関連するが,大量の情報の高速処理に対応する資質の必要性である。できるかできないかが問われているのではなく,如何に早くできるかが問われる時代である。情報アクセス能力にしても,情報処理能力にしても,1日で終わるか1年かかるかではできるとできないほどの差がある。早く正確にできることを目指す力は新しい資質として必要である。
 4つ目も2,3と関連することではあるが,大量の情報を如何に正確に処理して結論を導けるかが問われている。それは,時代の要請である。高校までの必修内容から統計に関することは大幅に減らされていることから,今は教科「情報」の演習としてアンケートなどの調査を実施し,集めたデータを処理するにしても,パーセントと平均値,最大値・最小値しか出さなくなってしまっている。テレビや新聞の報道も然りである。統計を論理的に教えるべきとまでいうつもりはないが,表計算ソフトの機能をうまく利用して,短時間で処理した結果が正しいのか,それから何が言えるか,何は言ってはいけないか,くらいは正しく対応できる力をつけたい。その能力をどのように記述するかが要点である。
 以上4点がどこかに明記された情報活用能力の再定義が必要であり,それをもとに初等中等教育の情報教育が立ち,さらに18歳までの力として国際競争力を備えた人材の育成が求められている。
4.最後に
 教科「情報」が必修教科として独り立ちするためには,量的にも,教科としての深みにおいても,現行の2単位ではどうしようもない。情報通信技術が社会の基盤になることは誰しも認めるところであり,情報教育はその本丸である。それは決して操作や技能のレベルではない。考え方や意志決定,未知のものを目の前にしたときの適切な対応がとれる力である。そこに電子的な情報や情報通信が役立てられる力である。その重要性や,学習内容,学習方法を提案し,教育関係者が納得できる拡充の必要性が示せなければ,逆風が強い中で教科「情報」のさらなる展開は望めない。
 デジタル世代の今の児童,生徒や学生には,我々の時代には求められていなかった力が必要である。そのような新しい力を情報教育の枠組みを中心に育てていけなければ,21世紀を支える人材育成という国民全体のレベルアップを視野に入れているIT新改革戦略は,その目的を果たせずに終わってしまうだろう。ムーアの法則が続くならば,20年で1000倍になるというとてつもない技術変化のスピードを,教える側が意識しなければならない。そのためには,教師ができるようになってから児童生徒や学生に教えるという無駄な時間は待ってはいられない。たとえ自分はできなくても児童生徒には新しい力をつけることを求めていくことのできる教師が必要なのである。
 ロールプレーイングゲームをしている子どもは,飛ぶように画面から消えていくメッセージでも大事なところはきちんと見ている。そのような大人にはなかなかできないような力をつけていかないと,未来に活躍する子どもは育たない。
※注1 高校教科「情報」シンポジウム2006 −ジョーシン06−
http://sigps.tt.tuat.ac.jp/joshin06.html
※注2 情報処理学会 高校教科「情報」シンポジウム2006「ジョーシン06」資料集,2006.10,情報処理学会・情報処理教育委員会
※注3 情報処理学会 情報処理教育委員会
http://www.ipsj.or.jp/12kyoiku/index.html
※注4 NETP
http://www.ed.gov/about/offices/list/os/technology/plan/2004/site/edlite-default.html
※注5 iste NETS
http://cnets.iste.org/currstands/cstands-il.html
※注6 eSchool News Online
http://www.eschoolnews.com/news/showStory.cfm?ArticleID=6864
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