ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.37 > p32

コンピュータ教育のバグ
担当の者が不在ですので…
—ネットワーク社会を上手に渡り歩くために—
 海外のとある海岸でこんな表示を見つけた。“Swim on your duty!”意訳すれば「遊泳禁止」となるのだろうか。しかし,多分にニュアンスは違う気がする。直訳すれば,「てめーの責任で泳ぎやがれ」となる。つまり自己選択・自己責任という考え方なのである。日本でこんなことを立て札に書いたとして,もしも,怪我の一つもしようもんなら「泳ぐことを禁止されなかったから泳いだのに,どうしてくれるんだ」と非難囂々浴びることだろう。
誰の責任であるのか
 責任の所在を確かにするかどうかということに関して,アメリカでよくある光景が思い当たる。ショッピングセンターやスーパーマーケットの入り口に,日本ではあまり見かけない黄色い三角コーンがおいてあって,“wet floor”とか,“caution”とか書いてある。これらをよく考えてみると,あくまで自己責任なのである。自己責任で気をつけて歩けという訳だ。ただし,床がぬれていて滑りやすいという情報はきちんと伝えた上でという前提がある。日本なら,完全に通行止めにした上で,「清掃中,ご迷惑をおかけします」という感じになるだろうか。つまり,ある程度,掃除か何かで床をぬらした側の責任をも認めている感がある。しかも,なぜに通行止めであるかは述べられていなかったりすることもよくある。
 もう一つ,日本でよくある言いまわしに「担当のものが不在ですので」というのがある。これこそまさに責任逃れもいいところである。「清掃中,ご迷惑をおかけします」という場所で,転んで怪我をしたなんて時に,しかるべき相手に苦情を言ったら,こんな返答が帰ってくる確率が高い気がする。責任者が不在なので責任は取れません。私は責任者でないので,わかりません。こういう返答では何の解決にもならないと思うのだが,意外にもこれで事態が収束に向かってしまうようなことも,けっこうあるように思う。責任の所在はうやむやにしながらも,暗黙の了解の上に立った予定調和で,ことなく運ぶ能力に優れた人たちが,日本には多いとまとめるべきなのだろうか。
禁止するのは諸刃の剣
 ところが,世はインターネットはなざかりのボーダーレス時代。いつまでもこのような言い訳が通用すると思っていると痛い目に遭いそうだ。特にネットの世界では自己責任は常識だ。ウイルスやデータ漏洩など,さまざまな危険から自分のネットワーク環境を守るのは,自己責任でなければならない。
 では,このあたりのことを学校でどう指導すればよいのか。従前の日本式でいけば,有害と思われるコンテンツがありそうなサイトは見てはいけない。授業内容に直接関係のないページはアクセス不可。データの持ち運びはウイルスの危険性を鑑みて禁止。と,禁止禁止のオンパレードになりそうだ。学校でコンピュータ教育をする時には,この方法が最も効果的にさえ思える。しかし,何でもかんでも禁止にしてしまうのは,実は諸刃の剣なのである。危険から遮断された環境で育ってしまうと,実際に危険な目に遭遇した際に何ら対処できないからである。第一これでは,日々進化するネットワーク社会を生き抜く力を,学校教育で身に付けさせるという目標を何ら達成していないことになる。
 もしもそんな環境で学んだ生徒たちが,将来コンピュータネットワーク関係でとんでもない被害にあったとしたら,いったい学校で何習ってきたんだと言われてしまう。「担当の者が不在ですので」ではすますことはできない。
前へ    
目次に戻る
上に戻る