ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.42 > p32

コンピュータ教育のバグ
核心が突けない。確信が持てない。
—コンピュータ実習でのトラブルシューティング—
 コンピュータも電気がなければただの箱である。川柳に詠まれそうなこの事実も,一昔前の笑い話になった感がある。インターネットがまだ今ほど普及していなかったころ,あちらこちらの職場にコンピュータが導入されはじめ,みんなが必死になってコンピュータを使いこなそうとしていた。そのころ,修理の依頼を受けて出かけたメンテナンスの担当者が,コンセントに挿されていないコードをよく発見したのだとか。
トラブルの核心は?
 確信を持てないまま,人に何かを伝えたり,問いに答えたり,指示や指導を行ったりするというのは,なかなか難しいものである。近頃のコンピュータ実習では,よくそんな場面に出くわす。
 たとえば,実習の終わりに一斉に印刷するように指示を出した時,プリンタエラーが発生というような場面。一昔前なら,用紙が切れているので,トラックフィールドに合わせて用紙を装填。あるいは,インクリボンが終了しているので,カートリッジ交換。こんな感じで何とかなったものだ。しかし,今では,LANにのっかった共有プリンタがどこでトラブっているのかがわからなかったり,プリンタドライバがどうにかなっていたり,複雑に入り組んだレーザープリンタの内部で紙が詰まってしまってどこをどうあければ取り出せるか難解だったり,トラブルの核心を瞬時に判定して取り除くことが,とても難しくなってきている。
 こんな例は,何もプリンタエラーだけに限ったことだけではなく,いろいろな周辺機器の関係でも,インターネットに関することでも,アプリケーションの取り扱い上のことでも,発生した事象の原因についての確信が持てないままで,しかし,コンピュータ実習を遂行していくために応急的な措置で済ませたり,場合によっては状況を一旦放置して回避したりするようなことは多々発生しているのではないだろうか。
確信が持てるのか?
 だいたい学校の先生にとって,確信が持てないまま生徒を指導するなんていうのは,いかにも屈辱的なことでさえある。ところが,昨今のコンピュータ教育の事情を鑑みると,特にコンピュータを活用して実習を行っている場面などでは,先生がオールマイティーに自信と確信を持ってすべてを指導し切れていないという現状が数多くあるのではないだろうか。
 しかし,である。ここは考えどころではないだろうか。果たして,コンピュータ関連のすべての操作や処理において,確信を持てるレベルまで熟知する必要があるのだろうかということである。もちろんそれに越したことはない。しかし,日々進化するコンピュータテクノロジーに対して,コンピュータ教育に携わる先生たちすべてが必ずしも完璧に追随し切れるとは限らない。かといって,コンピュータ教育を諦めるわけにもいかない。ということは,イレギュラーな操作方法やトラブルシューティングそのものには確信が持てなくても,対処のコツや操作のツボといった感覚を磨くことで,また違った意味での確信を持った指導が可能なのではないだろうか。実はこんなあたりが,コンピュータ教育の核心なのかもしれないが,確信を持って断言できるわけでもない。
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