ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.43 > p32

コンピュータ教育のバグ
情報の価値は
—授業における情報発信の重要性と必然性—
 「なぜこんなこと勉強しなきゃいけないの?」「こんなこと社会に出て役立つのかよ!」「これを習って将来何かためになるの?」なんていう問いは,学校の先生なら一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。また,こんな問いを生徒たちや保護者から発せられないように,指導内容や方法に工夫を凝らして,日々の授業をこなしているのではないだろうか。情報の,その中でも特に,発信をともなう実習について,この点もう一度見直してみると…。
素材の選択を
 プレゼンテーション,ウェブページの作成,画像や動画データの編集。情報教育において,情報発信にかかわる実習は,今やさまざまな形で実践されている。どのようなタイプの発信データであっても,ものづくりに取り組むという雰囲気で実習に臨ませれば,生徒たちも比較的高いモチベーションを保って取り組んでくれているのではないだろうか。ただ,情報教育で使われる素材は,どちらかというとその賞味期限が短いといえる。つまり,授業案として一度完成した内容であっても,そう何年も使い回しできるモノは多くない。情報の世界では,時として,とんでもなくドラスティックな変化が起こる。今まで,まさかこんなことはできないだろうとされていたことが,一夜にして実現されてしまうなどということもままある。
 ということで,授業の素材についてである。情報発信にかかわる授業のネタは,どのようなモノが使われているのだろう。何だか使い古されてはいないだろうか。いろいろな情報表現技法や情報発信にかかわるマナーやコツといったものを修得させるにあたって,何らかのデータを作成させて発表させたり提出させたりする。このシステム自体は特に問題はないと考えられる。ただ,ここに使用される授業の素材は,古くて必然性のないモノに成り下がってはいないだろうか。新しさが常に要求されるというのは残酷ではあるが,情報教育としてはやむ得ないところである。
せめて情報らしく
 とは言っても,毎度毎度新しい実習の素材を用意したとすれば,一度限りの使い捨てのネタというような感じにもなってしまうし,一つの素材を何度か繰り返し授業で使い続けていくうちに試行錯誤を経てより良い指導ができるという側面を切り捨てることにもなる。では,どうすればよいのだろうか。
 ここに明快な答えがあるわけではないのだが,例えば,料理人の使うレシピと材料の関係に似ていると思われる。一つのレシピを完成させるのは,なかなか骨の折れることである。そして,一度完成させたレシピは,その後長い間いろいろな人の手によって料理として再現されていくことになる。しかし,そこで使われる素材については,それぞれの料理人が常に鮮度や特性に気を配り,時としてより新鮮なモノを仕入れたり,場面に合わせてより良いと思われるモノに変更したりしている。料理人はこのような努力と工夫を日々重ねているのである。先生が料理人,単元案がレシピ,実習で使うネタが材料,完成させるデータが料理だと考えればあてはまる。先生たちも,実習の内容が,価値ある情報を生み出すための発信活動であるかどうかを常に確認するという作業から,逃げちゃダメだ。
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