ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.47 > p26〜p29

情報科教員の卵を育てる
こころをつなぐ情報科教育
─滋賀大学教育学部「情報科教育法II」で伝えていること─
近江兄弟社高等学校 長谷川 友彦
hasegawa@ob-sch.ac.jp
1.はじめに
 「あなた殺していいですか」
 毎日毎日,送られてくる脅迫メール,5分おきに鳴る着信音…4ヶ月ほど受けた,いわゆるストーカーまがいの行為。私が情報科の教員を志す大きなきっかけとなったできごとの1つです。
 当時,携帯電話でようやく短いテキストメッセージの交換ができるようになった時代でした。画面に表示される無機質な文字によるコミュニケーションが広がりつつある中で,コミュニケーションのもつれから,このような行為にエスカレートしました。
 同じ頃に,インターネットの世界をのぞいてみると,罵詈雑言,誹謗中傷が飛び交う掲示板の存在が目に飛び込んできました。そんなある日,私の元に友人から一本の電話がかかってきました。
「今から言うアドレスのページを見て欲しい」
 いわゆる匿名掲示板に書かれていたのは,電話の主に対する誹謗中傷の嵐。しばらく読み進めると彼女の実名までさらされていました。
 彼女は泣きながらこう訴えました。
「子どもたちにこういう現状を知らせ,二度とこんなことが起こらないようにして欲しい」
 今でこそ「学校裏サイト」や「ネットいじめ」の問題が一般的になり,情報モラル教育の重要性が認識されるようになってきましたが,まだ教科「情報」が高等学校で始まっていない時代でした。
 一方で,電子メールやWebページを活用し,海外に住む友人たちと情報交換をしていました。海を越えて瞬時にコミュニケーションができることは,言語も文化も異なる人たちと相互に理解しあうためにたいへん便利であることを実感しました。
 インターネットを有効に活用すれば,人と人とを結びつけるツールになる一方,使い方を誤ると人を傷つける手段ともなり得ることを自身の体験の中から知ることができました。世の中の情報化が進展する中で,社会全体にコミュニケーションのあり方が問われているような気がしました。
 人と人とがつながりあえる,より豊かな情報社会を築いていくためには,コミュニケーションのあり方を考える情報教育が必要であると考えるようになりました。
 ちょうどその頃,2003年度より全国の高等学校で教科「情報」の授業が始まることを知り,情報科の教員を志すようになりました。
2.学生たちに伝えるべきこと
 私は,2009年度より滋賀大学教育学部において,教職科目の一つである「情報科教育法II」の集中講義2コマ分を担当させていただいています。
 私に与えられた2コマ180分という短い時間の中で,情報科の教員を志す学生たちに何を伝えるべきなのかを考えた時,私自身がどのような思いと心構えをもって日々の情報科の授業実践に臨んでいるかを語ることが,私でなければできないことであろうと考えました。
 冒頭,私自身のことを少し書かせていただきましたが,これは私が日頃どのような思いを持ち,どのような姿勢で情報科の授業に臨んでいるかを語る上で,どうしても避けて通ることのできないことであることから,触れさせていただきました。
3.「情報」を何のために学ぶのか
 私が担当した「情報科教育法II」の授業を通して,学生たちに教科「情報」を何のために学ぶのかを考えさせることを目標としました。
 教科「情報」を何のために学ぶのかということについては,学習指導要領を読むと,「情報活用の実践力」,「情報の科学的な理解」,「情報社会に参画する態度」の3つの観点を総合的に身につけることが大切であると書かれてあり,それが答えであります。
 しかし,教壇の上で生徒たちの前に立って授業を行なうときに,教科書的な言葉を生徒たちにそのまま伝えても,その言葉は虚しく生徒たちの右耳から左耳へ通過するだけです。
 この授業を通して学生たちに,教科「情報」で生徒たちに身につけさせる3つの観点を自分自身の言葉で語り,どのような思いを持って授業に臨むのかを考えるきっかけを作ることができればと考えました。
4.「情報」とは何かという視点
 授業の中では,最初に「情報」とは何かについて考えることによって,教科「情報」を何のために学ぶのかということと,情報科教員として必要な考え方と心構えについて考えてみました。  「情報」とは「情(なさけ)を報(しら)せる」こと,すなわち自分の思いや考えを人に報せること。報せるという行為には必ず対象が存在しなければならず,その間にはコミュニケーションが存在するということ。これらを学生たちに「情報とは何か」と問いかける中から導きました。
 情報の本質がコミュニケーションにあると捉えると,情報社会はコミュニケーション手段の多様化した社会と言い換えることができます。そこで,私自身が教科「情報」で生徒たちに身につけさせたい3つの観点を,それぞれ次のように捉えなおし,それらを有機的に再構築しながら授業を組み立てていることを紹介しました。
  • 多様化したコミュニケーション手段の体験を通してその活用法を学ぶ(情報活用の実践力)
  • 多様化したコミュニケーション手段のしくみや成り立ちを学ぶ(情報の科学的な理解)
  • コミュニケーション手段の多様化が社会に及ぼす影響を学ぶ(情報社会に参画する態度)
5.「こころをつなぐ情報科教育」
 いま,「何のために学ぶのか」という問いは,教育そのものに必要な視点です。日々,生徒たちと接する中で,教科「情報」に限らず「すべての教科」について,「何のために学ぶのか」という問いに対する考えを教員自身が持ちつつ,生徒たちに問いかけていくことが,生徒たちの学ぶ意欲を引き出す上でとても大切なことであると感じています。
 人は社会の中で生きており,互いにつながりの中でしか生きていくことができません。すべての教科を学ぶことは,人と人とがつながりの中で互いにどのような役割を果たしているかを知ることであると考えています。
 コミュニケーションは人とのつながりの土台にあるものです。コミュニケーション手段の多様化した社会の中で,その活用法や科学的な理解,社会に及ぼす影響を学ぶ教科「情報」は,社会の中で人と人とがつながりながら生きていく上で,すべての土台に位置づけられる教科だと考えています。
 そこで「情報科教育法II」の授業の中では,学生たちに社会のさまざまな場所が描かれた地図を配布し,さまざまな場所と場所がどのような情報をやりとりしているかを考えさせ,発表させ,このことを通して,社会のさまざまなところが互いにつながりながら成り立っていることを確認し,すべての教科を学ぶ意味,そして教科「情報」を学ぶ意味を考えさせるようにしました。
6.情報科教員として必要な心構え
 教科「情報」が始まった2003年当時,携帯電話はメールを主として高校生のコミュニケーションツールとして既に定着しており,Webサービスも一部利用可能になっており,電子掲示板やチャットなども徐々に広がりつつありました。インターネット上では掲示板上でのいじめなどが存在しており,携帯電話によるコミュニケーションが同様のことを引き起こしうることは,容易に想像できたことでした。
 そのため,情報社会において情報の発信者としての責任ある態度や,豊かな表現力を育むことが,教科「情報」として必要であるという考えに至り,私の勤務校では「情報C」を必履修科目として実施することにしました。
 しかしながら,教科「情報」の授業が始まって最初に感じたことは,生徒・教員の間で教科「情報」=パソコンの授業という誤解が根強く,この誤解をいかに解いていくかが課題であると感じました。現在でも特に教員の中にこの考えが根強く残っています。
 最近でこそ,情報モラル教育の必要性が認識されていますが,「情報モラル」だけが教科「情報」の存在意義ではありません。
 生徒にも教員にもまだまだ誤解と無理解があるからこそ,教科「情報」を学ぶ意味を情報科の教員がしっかりと持っておかなければならないと思うのです。
 その上で,授業に臨む姿勢として,教科「情報」の位置づけをはっきりとさせ,早い段階で生徒たちの教科「情報」に対する誤解を解消させること,生徒たちにこの教科を通してどのような力をつけて欲しいのかというメッセージを教員から発信することが大切であることを学生たちに訴えかけました。
7.「情報」の教材開発に向けて
 教科「情報」は,他の教科とは違い,新しい情報手段が次々と開発され,また情報社会を取り巻く環境も刻々と変化していきます。
 そのような変化の中で情報科の教員自身が新しい情報手段を積極的に活用し,教員自身が情報活用能力を高めていこうとする姿勢が,直接授業で教えるためだけでなく,生徒たちを励ましていくことになります。生徒たちは,教員が積極的に情報活用している姿を見て,自分もそうなりたいと思うようになります。
 情報をとりまく環境は日進月歩ならぬ秒進分歩で変化しているため,教科「情報」の授業教材は,前の年に作ったものをそのまま使うことができないことが多くあります。情報社会がどのように進展していくかを見据えながら,生徒たちにどのような力をつけさせる必要があるかということを考え,教材を作り直していかなければなりません。
 教科「情報」の内容には不易と流行があり,両者のバランスを考えながら教材開発を進めなければなりません。そのため,情報科教員を目指す学生たちには,新しい情報手段を積極的に活用してみようとする姿勢を身につけることを呼びかけました。
 例としてクラウドコンピューティングやソーシャルネットワーキングなどのサービスについて,私自身がどのように活用しているかを紹介し,利用してみることを呼びかけました。この授業を受けてこれらを積極的に活用し始めた学生の姿も見られました。
8.情報社会に参画する態度とは
 私は教科「情報」実施以来一貫して「情報C」の授業実践を積んできたこともあり「情報社会に参画する態度」をどう捉えるかについて,一定の見解を持っています。
 未履修問題をはじめ,現場でも存在している教科「情報」不要論との関わりで触れておく必要があると考えています。
 教科「情報」不要論に対し,情報モラル教育の必要性をもって教科「情報」の存在意義を主張する議論が時々聞かれますが,情報モラル教育は教科「情報」だけが取り組む問題ではなく,それこそすべての教科で共通して取り組む課題であるし,最近では生活指導の観点からも情報モラル教育が取り組まれている例も少なくありません。
 したがって,情報モラル教育の必要性をもって教科「情報」の存在意義とすることは必ずしも正しいとは思いません。
 教科「情報」において身につけさせたい「情報社会に参画する態度」とは,いわゆるネット社会におけるルールやマナー,モラルについて学ぶことだけではなく,望ましい情報社会の構築と情報手段の積極的な活用や主体的な対応こそが「態度」として表現されていることであると考えています。
 社会の情報化の影の面を教えすぎることは,生徒たちの不安をあおり,「怖い」という印象から「使いたくない」という感想を持たれることも少なくありません。むしろ,なぜそのような問題が生じるのかを正しく理解させることで,積極的に「活用したい」と思わせることを目標にすべきだと考えます。
 例えば,生徒たちの中にも違法にアップロードされた動画や音楽を観たり聴いたりダウンロードしたりということはよく行われています。これを問題視して「ダメダメ」と言ったところでのれんに腕押しになるだけであり,教師が説明責任を果たしたと自己満足するだけです。違法であることをきちんと伝えることは大切です。しかしながら,頭では違法であることを理解していても現実的には止むものではありません。
 この現実とのギャップをどう考えるかを生徒たちに投げ掛けることこそが,社会のしくみそのものがどうあるべきかを考えさせる絶好の機会であり,それを考えることこそが「情報社会に参画する態度」であると思うのです。
9.教員養成に関わってみて
 日々,教員として生徒の前に立つときに,教員自身の生き方が問われるのと同様に,教員養成科目の一端を担う授業を担当することは,日々教員として生徒たちにどのように向き合っているかが問われるものだと感じました。
 生徒たちに自分の思いを伝えたい,力を身につけさせたいという思いをもとに教科「情報」の授業を展開していますが,本当に生徒たちに思いが伝わっているのか,生徒たちが力を身につけているのかということが,未来の教員を育てる立場にたったとき,問われているような気がしました。
 その意味で,たったの2時間ではありますが,「情報科教育法II」の授業を担当させてもらうことで,自分自身の日々の授業実践を見直すきっかけをいただいたような気がします。
 この授業を受講した学生から,私の授業がたいへん印象深く残っているという声をいまだにいただくことがあり,私自身の励みとなっています。
前へ   次へ
目次に戻る
上に戻る