美・知との遭遇 美術教育見聞録 学び!と美術

海や川から子どもの姿が消えていく
夏は子どもを外へ連れ出そう

画像:今月のPhoto 雷雲に消えた風力発電(福島県郡山市)

 また私の好きな季節「夏」が巡ってきました。これまで、いくつの夏を楽しんだのか数えるのがイヤになるほどの「夏」が過ぎていきました。それでも、一年が短くなったと感じる以外は相変わらず夏を楽しみに生きています。けっして他の三つの季節の楽しみ方を忘れたわけではありません。四季の中でもとりわけ「夏」の楽しい過ごし方を自分なりに知っているだけのことなのです。
 近年は、昨年の夏を忘れないうちに、また今年の「夏が来た!」と感じます。それはそれで幸せのようですが、その「夏」が瞬時に過ぎ去っていってしまうのも近年の傾向です。子どもの頃は長い夏を満喫し、次の夏を待つ時間が途方もなく長く感じられたように記憶しています。
 近年の夏に共通していることは、海や川から子どもたちの姿が消えたという景色の変化です。長い海岸線と多くの河川に恵まれた国の子どもたちが、そこには見当たらなくなったのです。当初は「少子化だから?」と考えたりもしましたが、すぐに子どもたちが群れている場所を発見するに至りました。それは、海の近くにつくられたプールと大腸菌だらけと言われる海水浴場です。そして、せせらぎの音が心地いい清流と、多様な命を育む透明な海が静かな場所となったのです。
 私を海や川に引きつけた魅力の本体は、自然であることは紛れもない事実です。人工がどのように真似ようとしても及ばない自然の造形と興味深い生物との遊びは、飽くことのない時間と楽しむ環境を提供していました。時には荒れ狂う河川や時化の海は脅威であり、棘や毒をもつ生き物に教訓を授けられながらも、子どもなりの折り合いの付け方を心得ながら対峙し、自然の気まぐれな顔色を窺いながら遊び回ることが、全てにおいて優先されていたように思います。
 四季折々の自然の魅力は、けっして観光的に視覚体験するだけでは十分味わったことにはならないでしょう。その土地ならではの付き合い方と知恵の伝承を体感し、知覚と感覚を総動員して知るからこそ自然や季節が「好き」と感じられるのだと思います。

自然や季節が「好き」と感じて

 そして、もうひとつの楽しみは、自分と同じように自然と向き合い、知恵や恐怖を共有した幼なじみのような仲間とのコミュニケーションです。私たちが美しいと感じる風景も、それを見る人がいるからこそ「美」であるかように、体験を共有した仲間がいるからこそ自然との戯れに「魅力」が生じるのです。楽しかった夏の日の帰路は、その日の感動を語り合う時間でもありました。
 すっかり幼少期が遠ざかったいまでも、凝縮し、濃縮した過去の感動を、ほんの数年前に味わったかのような新鮮さで思い返すことができます。

 私の見た自然や体験の不思議を、他者が見た現象や経験の希少性と摺り合わせ、情報交換するところにも楽しさがあると考えています。人はそれぞれに不思議に充ちた人生を歩みますし、思いも掛けないような事態に遭遇したり、夢ではないかと疑いたくなるような一瞬に立ち会ったりするものです。「普通」や「一般的」と片付けられるような人生を歩む人は皆無でしょう。子どもの頃は、自然体験の中で、仲間と語り合うときからそれが始まっていたと後に気付きます。

子どもたちを外に連れ出そう

 子どもにとって海や川の楽しさは、漁をすることにもあります。エビや魚を捕獲するだけでも夢中ですが、採った魚介類を仲間と食べることもあれば、持ち帰って夕食のテーブルの一品になることもありました。珍しいものを食べる家族の顔と「よく捕れたね」と言われた後の自慢話が楽しみで持ち帰ったりしました。子どもが捕るものですから、家計を助けるほどではないにしろ、子ども心に家族が獲物を食す風景は特別なものでした。自然を楽しむ自らの快感の後にある家族の喜びも、遊びの中で期待していたように思います。
 そういった意味で、父のおみやげやクリスマスケーキに飛びつく子どもの甘えとは、異質な学びが漁にはありました。どちらが本来の子どもの姿なのかは、現代では難しい問題です。現代っ子が得にくくなった学びが、自然の中に多く含まれていたことは確かです。

 学生の中には学費や生活費を親に頼らず、すべてアルバイトや奨学金のやりくりで卒業する苦学生が今でもいます。そのような学生と将来計画について語り合うと、卒業後は両親に仕送りなどして助けたいと考えている割合が、一般の学生より多いように思われます。

 夏らしい天気が多くなりました。素敵な夏と、わくわくさせる自然が待っているにもかかわらず、そこに寄りつかない子どもたちに対して「もったいない」と思う気持ちが今回の主題です。
 自然にアプローチする心構えや、先人たちの知恵の生かし方まで消えないうちに子どもたちを戸外に連れ出し、大人たちが遊び方を教えなければ、いにしえの子ども同士が伝え合った文化はすでに消失しています。

 次回は、夏休みに間に合うようにかつて遊んだ簡単な仕掛けを紹介しましょう。