大濱先生の読み解く歴史の世界-学び!と歴史

唱歌「一月一日」
新年を迎え、手に入れたい私の歴史像

 歌には、時代の人心がうつし出され、人々を教導する力があります。「小学唱歌」や小学校の祝日大祭日の歌は、子どもの身心に強く刻まれ、その時の記憶と重なり、何かの折にふと想い出されてきます。いわば歌は、ある同世代が共有しうる記憶の器として、人々を結びつけもします。
 明治日本では学校教育において、「小学唱歌」や式典歌を児童生徒が共に唄うことで、国民としての記憶の場を用意しました。

お正月の記憶

お正月 門松 「年の始めの 例(ためし)とて」と唄いだされる「一月一日」は、明治26(1893)年に官報3073号付録として告示された「小学校祝日大祭歌詞並楽譜」にあるもので、懐かしい一家団欒のひと時を、お正月の記憶として思い起こさせる歌の一つです。

年の始めの 例(ためし)とて
終りなき世の めでたさを
松竹(まつたけ)たてて 門(かど)ごとに
祝(いは)ふ今日(きょう)こそ たのしけれ

初日の光 明(あきら)けく
治まる御代の 今朝のそら
君がみかげに 比(たぐ)へつつ
仰ぎ見るこそ たふとけれ

 この歌の作詞者は千家尊福(せんげたかとみ)、作曲者は上真行(うえさねみち)です。「初日の光 明けく 治まる御代の 今朝の空」は、易経を出典とした「聖人南面して天下を聴き 明に嚮いて治む」による「明治」という元号にかけたものです。ここには、復古維新により、明治天皇の下で欧米列強に対峙しうる帝国への道を歩むことへの、強き自負がうたいこまれています。そのため歌詞は、大正への改元で大正2年に「初日の光 さし出でて 四方(よも)に輝く 今朝のそら」となり、明治という時代によせた強き想いに代わって、ごく普通の情景描写となり、現在にいたっています。

「冬の夜」

 こうした明治の気分を歌った唱歌には、日露戦争の勝利を戦(いくさ)話として問い語り、戦争をめぐる記憶を子どもたちに伝えていった「冬の夜」があります。「冬の夜」は、明治45(1912)年に発表された文部省唱歌で、作詞・作曲者は不明です。

ともしび近く 衣(きぬ)縫う母は
春の遊びの 楽しさ語る
居並ぶ子供は 指を折りつつ
日数かぞえて 喜び勇む
囲炉裏火はとろとろ 外は吹雪

囲炉裏のはたに 縄なう父は
過ぎしいくさの 手柄を語る
居並ぶ子供は ねむさ忘れて
耳を傾け こぶしを握る
囲炉裏火はとろとろ 外は吹雪

 ここには、父母とともに、冬の夜をすごす一家団欒の情景が唄い込まれています。日露戦争の勝利で世界の「大帝国」「一等国」となった小国日本は、こうした唱歌が描き出した光景を国民の記憶に焼き付ける営みにより、「一等国民」たる矜持(きょうじ)を育みます。
 この歌は、「一月一日」が日本人の郷愁をささえる器であるように、母と父、特に母の幻影を求める歌の祖形として唄われてもいます。戦後は、「過ぎしいくさの 手柄を語る」ことが出来ない現実に、「過ぎしむかしの思い出語る」となります。「思い出」となることで母恋う歌、失われた団欒の時への哀歌となったようです。

「かあさんの歌」

 母想う歌は、望郷の念と重なることで、故郷が喪失していく時代の心情を代弁しております。窪田聡作詞作曲の「かあさんの歌」は、1956(昭和31)年のものですが、高度経済成長前夜の集団就職で故郷を後にした者の心の軌跡を描いています。

母さんが夜なべをして 手袋編んでくれた
木枯らし吹いちゃ 冷たかろうて せっせと編んだだよ
故郷の便りは届く 囲炉裏の匂いがした

母さんは麻糸紡ぐ 一日紡ぐ
おとうは土間で 藁打ち仕事 おまえも頑張れよ
故郷の冬は寂しい せめてラジオ聴かせたい

 「かあさんの歌」は「冬の夜」の世界が底流となっています。いまだ暮らしの営みを支えている心情には、「一家団欒」によせる想いがあり、故郷幻影が大きな場をしめていたようです。

 現在は、この故郷が醸してきた幻想をも解体し、共有すべき記憶の器が無化されていく時代のようです。聴くところによれば、養護老人ホームの老人がお正月に口ずさむ歌が「一月一日」であるとの由、ここには失われた良き御代に重ねて、己の人生を想起する姿がうかがえます。
  新しい年とどのように向き合うかは歴史を問い質す作法のはじまりです。それだけに、お正月に歌われた「一月一日」が問いかけた世界をみつめ、時代を追体験するなかに、私の歴史像を手に入れたいものです。

 

出雲大社 御本殿(島根県出雲市)注)作詞者千家尊福は、出雲国造家第80代にして、出雲大社大宮司となり、維新政府の国民教化に励み、新国家の精神体系の創出に努めた神道界を代表する指導者です。尊福の論は、伊勢神宮を頂点とする国家の祭祀体系の下で排除されますが、宗教としての神道を問う上で大きな一石を投じたものです。その主張は、現世たる「顕界」の主神たる天照大神と死後の世界である「幽界」を司る大国主大神が一対となることで、新しい国造りが可能になるというものです。ここに出雲大社教会を基盤に神道大社派を創出、管長として布教に専念。管長辞任後は元老院議官、貴族院議員を経て、埼玉県・静岡県・東京府知事、司法大臣などを歴任しました。