学び!と美術

学び!と美術

藤本智士インタビュー(前編)~「編集」という創造活動
2018.09.10
学び!と美術 <Vol.73>
藤本智士インタビュー(前編)~「編集」という創造活動
奥村 高明(おくむら・たかあき)

 先日、秋田の全国大会で編集者の藤本智士(※1)さんのお話を拝聴しました(※2)。これからの造形・美術教育にいろいろな示唆を含む内容でした。より深くお話をお聞きしたいと思い、インタビューをお願いしました。

「編集」という概念

奥村「秋田大会で、『編集』についてお話されましたが、その概念が造形とか美術に近いなと思いました。例えば、様々な素材から必要なものを選び出してそれを論理的に組み立てない限り(※3)、ただ一つの美術作品も出来上がりません。そこで発揮されている能力は『編集』と言い換えられませんか?」
藤本「確かに、そうだと思います。例えば僕は、小説家になろうと思っていたのですが、活動を続けるうちにフリーペーパーを発行するようになりました。時期的には『イラストレーター』『フォトショップ』などのコンピュータのツールが登場しはじめた頃。コンピュータがあれば、一人でいろいろなことができるようになってきた時代です。なので必然的に、自ら執筆をするだけでなく、デザインもしたり、広告営業をしたり、一人であらゆる役割を担っていたんですね。そういった僕の個別の役割を内包する言葉としては、『編集』という言葉がまだしも一番適しているように思いました。」
奥村「狭義の編集者、つまり『つくらない人』ではなくて、藤本さんの場合、文やイメージを『つくる人』でもあります。デザイナーという感じでしょうか?」
藤本「デザインという言葉は広義に用いられるようになりましたが、僕にとっては『編集』の方がしっくりきます。例えば「街をデザインする」なんて言葉が使われたりしますが、僕にとってはそこで使われるデザインは限りなく『編集』に近いと感じています。街にあるさまざまなモノやコトやヒト。それらを適材適所にディレクションしたりしながら理想の街を描いていくのは、編集そのものだと思うので。」

生き方や社会をつくりだす「編集」

藤本「『編集』は、これから多くの人々に必要な能力だと思います。『編集』を本や雑誌をつくることだと狭義な意味に嵌めてしまうと、そのゴールが本にすることや記事にすることになってしまう。そうではなくて、理想のビジョンがまず最初にあって、そのビジョンの実現こそがゴールだと認識した上で、そのためにはどういう手を打つべきか? と考えるべきだと思うんですね。その答えが本づくりなこともあれば、商品づくりのときもあるし、ときには展覧会やイベントをやった方が効果的な場合もある。それらの一手一手が僕にとっては『編集』なんです。」
奥村「社会をつくりだす感じでしょうか?」
藤本「そんなだいそれたことは思っていませんが、『編集』というものをこのようにとても広義にとらえてもらえれば、主婦の方だって、お店をされている方だって、みんなが『編集者』なんだって思うんです。」
奥村「我々の世代と藤本さんの世代では、そもそも感覚や考え方のギャップがあるように思います。」
藤本「僕らの年代以降は、高度成長やバブルなどを、そもそも知らないんです。『大きな何かに頼る』『何か一つにすがる』という感覚はないですね。実際、大企業が次々と破綻していて、『大きな船』で安心する時代ではないでしょう? これからは『大きな船』より、『小さな船』を自分の中にたくさん持っていたほうがいいと思います。インターネットに象徴されるように、今、個人が発信力を持てるようになりました。副業も当たり前な時代になっているのはそういうことです。自分の好みを大事にしながら、たくさん『小さな船』を持って、自分の生き方や取り巻く社会を『編集』していけばいいと思います。」
奥村「『編集』はその人の生き方でもあるんですね。」
藤本「今の若い人には肩書とか居場所とか、あるいは生きる方法とかを『一つにしぼらなくていい』と言ってあげたいですね。」

「そういうもんやねん」「どういうもんやねん」

藤本「実際、20代の若者から学ぶことは多いです。例えば、彼らは次々と疑問をぶつけてくるんですが、僕自身は40代なので、若いひとたちにとっては古い感覚も持ち合わせています。だから若い人の『なんでなの?』って質問に対して、思わず『そういうもんやねん』と答えている自分がいました。でも、そう言われたって、きっと質問してる子にとっては、『いや、そういうもんって、どういうもん?』って思いますよね。そう考えた時に、もう『そういうもん』って答えはしないようにしようって思ったんです。」
奥村「『そういうもん』という言葉は、言い換えれば、その世代が共有する価値観とかしきたりですよね。それを持ち出して『そういうもんやねん』と言ってしまったとたん、自分の社会的な『共感』を相手に『強要』することになりますね。」
藤本「疑問は何かが生まれるための種なんです。でも『そんなもんやねん』という姿勢は、その貴重な疑問にふたをしてしまいます。『そんなもん』は教養でも、知恵でもない。それを教育に持ち込んだらいけませんよね。もし、美術と『編集』が共通するとしたら、ある意味、全員が正解になるところだと思います。『先生の言うとおりにやったらいい』『そんなもんやねん』になってしまったら、山本鼎の自由画運動以前の美術教育と同じになってしまう。」
奥村「『大人の思う児童画』『印象派的な表現』などを押し付ける『そんなもん』が造形や美術の世界にもあります。自分もかつてやったことがあるので、耳が痛いお話です。」
藤本「今の若い人には、スマートフォンやインターネットなど、進化したツールがあります。漢字とか歴史とか、細かな知識は知らなくても、自分たちの中で答えに到達していく力は、ぼくらよりよっぽどあると思います。」
奥村「私も強くそのことを感じます。今、目の前に見えているものは、どうやら『今まで自分が見てきたことと同じ』ではなさそうです。若い人に対してリスペクトを持ちたいですね。」

 こちらの質問を受け取りつつも、そこに含まれる概念を一つ一つ広げてくれる藤本さんの丁寧な話し方が印象的でした。内容が豊富だったので、今回はここまで! 次回は、ローカルというアドバンテージ、秋田出身の版画家 池田修三の発掘などについて語ってくれます。

 

※1:有限会社りす代表取締役/編集者 藤本智士。1974年生。兵庫県出身。雑誌Re:S[りす]編集長を経て、秋田県発行フリーマガジン「のんびり」、webマガジン「なんも大学」の編集長。著書「魔法をかける編集」インプレス、「風と土の秋田」「ほんとうの日本に出会う旅」リトルモアほか、手掛けた書籍多数。
※2:秋田大会の記念講演「藤本智士×井野秀隆×青谷明日香」
※3:幼児の造形行為も含めて、筆者は造形活動を子どもの論理的な活動の帰結だと考えている。