学び!と美術

学び!と美術

造形・美術教育の意味~おばあちゃんが教えてくれたこと~
2020.01.10
学び!と美術 <Vol.89>
造形・美術教育の意味~おばあちゃんが教えてくれたこと~
奥村 高明(おくむら・たかあき)

 昨年11月、一人のおばあちゃんとの出会いから作品展や研究大会、美術教育の意味を考えることができました。これからを見つめる新年を祝い、ご報告します。

作品展でおばあちゃんに出会う

 名古屋の全国大会(※1)2日目昼休みのことです。私は授業と研究会の合間をぬって、名古屋市博物館で児童生徒の作品展(※2)を観覧していました。作品は各地区からそれぞれ学校の先生が選んできた絵が地区ごとにまとめられ展示されています。このような作品展は地域の造形教育の状況を知ることができるので、大変勉強になります。ただ、30分後には研修会場に戻るため、10室以上に分かれた会場を急ぎ見て回らねばなりませんでした。
 平日にも関わらず会場には数十名の人々がいます。ほとんどは高齢者や女性。子どもや孫の絵を見に来ているのでしょう(※3)。2つ目の部屋に入ったときのことです。受付の方から、おばあちゃんの声が聞こえます。「孫の絵を見にきたの。どこにある?」。でも、山のような作品が展示されています。「探すのに苦労するだろうな、地図やQRコードがあるといいけど無理だし、保護者が子どもの作品を探すのは永遠の課題かな……」と思いながら、3つ目の部屋に入りました。
 そのとき、目の前を一人のおばあちゃんが独り言をいいながら通り過ぎます。「孫の絵はどこにありますかね……」。おそらく先ほどの声の主でしょう。探してあげたいのは山々ですが、時間が限られています。私はその声に気づかないふりをしました(ごめんなさい!)。
 でも、おばあちゃんは、すっと戻ってきて、直接「孫の絵はどこですか?」と話しかけたのです。日頃「教育現場の出会いに偶然はない。必然。何か意味がある」と思っているので、ずいぶん反省し、腰を落ち着けて対応することにしました。幸い、一緒に探し始めると、絵はすぐ見つかりました。おばあちゃんが「あった!」と指さした先には、子どもの顔とトランプとがかいてあります。これで「お役御免」……いえいえ、ここからが本番です。

おばあちゃんの物語

 おばあちゃんは、まず孫の絵について語り始めました。
 「口のところはよくかけているわ」
 「歯もかいてある。気持ちがよく表れているわ」
 「ババか何か引いてしまってね、『あ~っ』と思ったのよ」
 「ほかの絵は、ほら、口は簡単にかいてあるでしょう」
 周りの子どもたちの絵と比較しながら、孫の絵から読み取ったことを鑑賞しています(※4)
 題名は「トランプからのこうげき!」。トランプを切っている動作もかかれています。トランプが襲ってくる物語の絵でしょうか。
 おばあちゃんは、トランプ遊びをしていて、ジョーカーをひいて暗い気持ちになったのだと言います。女の子の大きく開いた口が不安な心情を表しているそうです。
 「息子とよく似ているわ」
 話は、孫の父親である息子さんの話に移りました。息子さんは幼稚園の頃、「お母さんの顔」を細かなところまでかいてくれたそうです。40年ほど前の話です。おそらく母の日か何か、園で絵をかく時間が設けられたのでしょう。
 「その頃、私、働いていたからね。アイラインを付けていて、それもかいてあったのよ」
 「口には歯をかいててね、ほら、孫の絵もそうでしょう?」
 「息子は、24色のクレヨンすべて使って、服の色を塗ってね、ストライプにしてね、丁寧にかいたのよ」
 おばあちゃんは、目の前の孫の絵と、記憶の中にある40年前の息子さんの絵をつなげて鑑賞します。そして、共通するかき方から、丁寧さや根気強い性格がよく似ているというわけです。
 そこから、話は家族のことに移ります。おばあちゃんが苦労して二人の息子さんを育てたこと。息子さんは野球を頑張っていて、自分は働いていたので、弁当をつくってあげるしかできなかったこと。今は二人の孫がいるけれど、どちらも女の子なので、なんでも初めてで楽しいこと。おじいちゃんが今竹工芸にはまっていることなど。
 おばあちゃんは、自分も絵が好きだったそうです。昔、学校で、外に出かけて建物などの絵をかくことがあったことを話してくれました。昭和30~50年代、盛んにおこなわれていた「校内スケッチ大会」のことでしょう。
 でも自分はかく場所を決めるのに時間がかかって、どこからかこうか悩んでいるうちに、友達は半分くらいかき終わってしまうこと。しょうがないから、自分は下絵だけかいて、彩色は、そこにあった色を画面にチョンチョンと置くだけにして学校に戻ったこと。そして「先生、残ってかいていいですか」と放課後、教室でじっくりかいたこと。それはクラスに展示されて、先生によくほめられたこと。
 話は、孫の絵から、自分の息子の思い出、現在の家族の様子、園や学校で行われていた教育など、次々と広がっていきました。たった一枚の絵から、時代や場所、家族や人生などがつながりあっていくのです。

「子どもの思い」と造形・美術教育

 話は広がりながらも、たびたび孫の絵に戻ります。おばあちゃんは、孫が自分の気持ちをよくかいたことを何度も何度も強調していました。そして、周りにある絵をぐるりと指して、こう言ったのです。
 「きっと、ここにあるどの絵もそうなんでしょう?」
 「みんな、自分の思いをかいた絵なんでしょう?」
 私は言葉を失いました。「子どもが自分の思いをかく、その当たり前のことが大切だ」と言われたように感じたからです。小学校で造形的な要素や構造的な授業を目指すあまり大事な「子どもの思い」を忘れていないか、中学生に自分の主題をきちんと選ばせているのか、そんなことを指摘されたように思ったのです。
 幸い、目の前に展示されている絵は、どれも子どもの思いがあふれるものでした。展覧会だけではありません。名古屋大会が目指したのは「特別ではない普通の授業」でした。見栄えを追求せず、当たり前の学習内容を、不要な相互鑑賞やまとめを極力廃して、その子が、その子らしい資質や能力を発揮できるようにしたそうです。
 中でも、私が参観した授業は、おじいちゃんやおばあちゃん(!)が喜ぶ笑顔を思いながら工作する授業でした。ある子どもは、おばあちゃんの喜ぶ笑顔を思いながら、材料を工夫したり、動きを加えたり、先生や友達と相談しながらつくっていました。


 「トランプからのこうげき!」は、その後の取材で「トランプのカードを切ろうとしたときに、はじけて飛んでしまったことに驚き、トランプが自分に向かって攻撃をしてきたように勢いがあったこと」を表した絵だと分かりました。驚いて怖がっている表情が主題なのです。おばあちゃんの「不安を表している」という解釈は、見事にその通りでした。おばあちゃんは、まるで作品展の審査員のように、子どもの思いと表現の工夫を読み解いたのです(※5)

 一枚の絵が大事なのです。当たり前に子どもが自分の思いをかく、つくる、そのことが一番重要なのです。私たちがやってきた造形・美術教育は、「その子が、その子らしく絵をかく」という「当たり前の時間」です。私たちは何十年もそれを授業として継続してきました。研究会や展覧会で学び合いながら、「当たり前の時間」を守ってきたのです。それは子どもだけに終わるのではなく、家族や世代と時代をつないでいます。そのかけがえのなさを、たった一人のおばあちゃんが温かく教えてくれました。おばあちゃん、ありがとうございます。

※1:2019年11月21・22日『全国造形教育連盟 日本教育美術連盟 合同研究大会 愛知大会 2019(第72回全国造形教育研究大会、第70回造形教育・図画工作・美術教育研究全国大会、第55回愛知県造形教育研究協議会、第59回名古屋市造形研究発表会)』、主催:全国造形教育連盟・日本教育美術連盟・愛知県造形教育連盟
※2:第41回姉妹友好都市児童生徒書画展・第64回名古屋市児童生徒造形作品展
※3:児童生徒の作品展は、子どもの作品一枚展示すると4名ほど観覧に来てくれるので、美術館側としてはけっこうありがたいイベントです。
※4:確かに周りにある絵は主題が人ではないため、描かれている顔の口元は単純な曲線で記号的に描かれていました。
※5:全国審査では、子どもの思いと、それを描いたプロセスを一つ一つ確かめながら、まるで絵から子どもの声を聴くように審査します。それは審査員だけでなく、おばあちゃんのような普通の市民が当たり前に行う行為なのでしょう。

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