学び!と美術
学び!と美術
連載「これからの図工・美術の先生」では、各地の大学で図工・美術の教師を目指す学生たちを指導している先生方に、「いま、どんな授業をしているのか?」についてうかがいました。授業に込められた、「将来、こんな図工・美術の先生になってほしい」という願いをひも解いていきます。
第1回は、茨城大学の小口あや先生の授業です。
教員養成の重要性
私は現在は大学に勤務していますが、その前は15年間小学校教員をしていました。教員になる道を選んだのは、小学校6年生のときの担任の先生や中学校の美術の先生のようになりたかったからです。
小学校6年生のときの担任の先生は、図工の時間に私の絵をよく褒めてくださいました。自分が失敗したと思っていた風景画の色塗りも、「こういう塗り方もいいものだ」と感心したように眺めてくださっていました。そういう見方もあるのか、と意外に思ったことを覚えています。
また、あるときは黒板に「一筆一色」と板書されて、「難しいかもしれないけれど、一筆ごとに少しずつ色を変えて塗るようにしてごらん」とおっしゃいました。
当時の私には確かに難しかったのですが、一生懸命にそのように色をつけていくと、今までの自分の絵にはなかった豊かな表情が生まれました。
描き方によって、豊かな世界を生み出すことができることを先生は教えてくださいました。自分の表現の可能性を広げてくださる方でした。
その先生の影響で、中学校では美術部に入りました。顧問の美術の先生もたいへん一生懸命に見てくださる先生でした。大学を出てそれほど経っていない、お若い先生でした。
部活の時間になると、先生はご自身の大学時代のお話や美術についてのいろいろなお話をしてくださいました。
私が家で毎日してくるデッサンを丁寧に指導してくださいました。また、あるときは休日に希望者を集めてスケッチ遠足に連れて行ってくださったりしました。お忙しかったでしょうに、美術が好きになり始めた我々に、本当によく寄り添ってくださったと感謝しています。
今思い返すと、世界には美術という価値あるものがあるということを、小学校や中学校の先生方は私の人生の初期に実感させてくださっていました。こうした個人的な経験もあり、図画工作科や美術科を指導する教師を育てることは非常に重要だと考えています。
つながる授業
昨年末、長年共に過ごした我が家の愛猫とお別れをしました。老衰だったようで、私を含めた家族に見守られながら旅立ちました。
命が尽きる少し前に、私は愛猫が生きている最後の姿をスケッチブックに刻み付けるようにボールペンで描きました。悲しいけれど大切なときを自分の手で残すことができました。おかげで、大好きな存在に最後までしっかり寄り添えたように思います。
それは、私に描く力をつけ、描くことの意味を見いだせるように指導してくださった小学校以降の先生方のおかげでした。先生方が教えてくださったことが、ずっとあとに私の人生の大変な場面で出現し助けてくれたのです。
学生には、自分が行った授業が教え子の未来や人生につながっていることを意識して教壇に立ってほしいと思います。
数年前から、私のいくつかの授業では「美術の専門家としての教員」と対話する授業を1回入れています。授業科目によって異なりますが、最も多いときは画家、彫刻家、平面デザイン作家、ユニバーサルデザインの開発者・研究者・デザイナー、美術史家の先生が、ご自身の作品やご研究を携えて参加され、学生と向かい合います。
もちろん学生は、大学教員としてのその先生方とはすでに顔を合わせているのですが、この授業では作品や研究をしている美術の専門家としての先生方に出会うことになります。
授業では、学生は美術の専門家やその作品や研究と対話したあとに、指導案の作成や模擬授業などの美術科授業づくり、その発表(口頭発表や模擬授業)を行います。授業の終わりには「自分が出会った美術の意義をつかみ、学生自身の考えによって、美術科授業の計画から実践、評価までを一通り自力で行うことができる」ことを目指して行っています。
この授業は、美術の専門家が人生の長い期間をかけて真剣に取り組んできた美術に対する姿や考え、そして何よりも目の前で生きている美術の専門家に触れることで、より広い視野で美術を捉えることを最大のねらいとして行っています。
例えば、彫刻家の島剛先生は、ガラスを溶かしてつくったご自身の作品を見せ、学生からの感想や問いに対して応える形で対話を進めていきます。
対話は表現の根源に触れられるように進められます。人生を通して真剣に制作に取り組んできた芸術家の表現の根源に触れることは、1回の授業では難しいものがあります。とはいえ、島先生とその作品に触れたあとで学生がつくった題材には、島先生との対話が反映されています。
芸術家と、芸術家が本気で追究してできた作品を体験した学生は、教師となったときに、そのときの自分の想像を超える美術の深さや広さが存在することを知った上で現場に立つことができると思います。
また、美術には人と共にあるという側面もあります。例えば、ユニバーサルデザインの研究者であり開発者でありデザイナーでもある齋藤芳徳先生は、介護用の浴槽やいすを開発してきました。学生は、その開発経緯を齋藤先生の論文を読んだり齋藤先生と話をしたりしながら聞きます。
齋藤先生の授業を聞いた学生がつくった題材や授業には、「その場に行って確認する活動」が入っています。それは、齋藤先生が浴槽やいすを開発するために、実際にさまざまな介護現場に行って調査を行う姿と重なります。
学生は美術で学ぶことは自分のためだけではなく、他の人の人生に寄り添うためのものにもなることを学ぶのです。
学生が将来教壇に立ったときには、教科書の背後にあるこうした芸術家や研究者、それぞれの作品や研究があることを意識して授業ができるようになっていてほしいと思います。
大学の授業は最後に成績が出てひと段落します。ただ、私はそこを全てのゴールとはしていません。それはどの校種の先生も同じではないでしょうか。
卒業後しばらくして、あるいはずっと先のどこかで「あのときのあの先生の話(作品・研究)とつながった!」「そういうことだったんだ!」と気づくことがあります。
学んだことが私が愛猫の最後の姿を前にしたときのように、教室での授業を超えた「ここぞ」というところで現れるかもしれません。教壇に立って教えることは、教室の外の、過去にも未来にも、自分以外の誰かにもつながっているのです。それを学生が少しずつ実感できるように、私は授業をしています。
茨城大学教育学部(教育学野)美術教育教室講師。茨城大学教育学部学校教育教員養成課程美術コース卒業、同大学教育学研究科教科教育専攻美術教育専修修了。茨城県公立小学校教諭勤務、茨城大学教育学部助教を経て現職。
鑑賞教育、美術科授業づくりについての研究を行っている。日本文教出版令和6年度版小学校図画工作科教科書著者。