学び!とESD

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ポスト・コロナ時代の教育 ‘ESD for 2030’からの示唆 ~その2~
2020.08.17
学び!とESD <Vol.08>
ポスト・コロナ時代の教育 ‘ESD for 2030’からの示唆 ~その2~
永田 佳之(ながた・よしゆき)

ポスト・コロナ時代を予見していた‘ESD for 2030’

 先月の「その1」でお伝えしたように、昨年の暮れ、SDGsを実現させる教育としてESDの新たな枠組みが国際的に認められました。教育を通して持続可能な社会を実現するための枠組みである「持続可能な開発のための教育:SDGs達成に向けて」(以下、通称の‘ESD for 2030’と表記)が2019年11月の第40回ユネスコ総会での決議を経て、同年12月、第74回国連総会で採択されたのです(*1)。副題に示されているように、ESDは国際舞台に登場してから20余年の歳月を経て、SDGsという一大ムーブメントと出会い、その実現を下支えする立役者(エネイブラー)として見なされるに至りました。
‘ESD for 2030’が採択されたユネスコ総会(筆者撮影) この国際的な意思が形成されるのと時を同じくして起きたのが新型コロナウイルスの感染拡大です。上記の決議がなされるのとほぼ同時期に中国の武漢でCOVID-19が見つかり、瞬く間に世界中の人間活動は持続不可能になりました。教育を通して持続可能な世界を構築しようというコンセンサスが得られた矢先のことで、皮肉としか言いようがありません。当然ながら、‘ESD for 2030’が策定されていた時は、新型コロナウイルスは予期されていませんでした。ところが、その内容を見ると、ポスト・コロナ時代を予見していたかのようなメッセージが散見されるのです。

SDGsの学びに深まりをもたらすESD

 上記の決議前の話ですが、SDGsという大きな潮流のなかでESDという名称は消失するのではないか、という懸念もありました。その名称が単に‘Education for SDGs’に決まるとしたら、「ESDの10年」とグローバル・アクション・プログラム(GAP)という15年間の歳月を経て培ってきた知見はどうなってしまうのか、という懸念です。実際、SDGsを知識として習得する旧態依然たる教育ではなく、国連の運動として醸成してきたESDのビジョンやアプローチを活かそう、という見解がその策定過程で強調されたのも事実です。
 特にGAPの後半から筆者はユネスコ本部の‘ESD for 2030’の担当職員と定期的に仕事をしてきましたが、‘ESD for 2030’には、ESDならではの特性を発揮することによって旧来の教育では実現されなかった持続可能性を実現させるという、ある種の気概が事務局側にあることをあらゆる場面で感じ取っていました。
 こうした気概のせいでしょうか、‘ESD for 2030’にはSDGsをも捉え直すような方向性も示唆されています。特記に値するのは「ESDの10年」当初では見られなかった開発そのものへの問い直しのくだりでしょう。SDGsもESDも‘SD’、つまり「持続可能な開発」が共通の目標として掲げられ、この目標のために教育を方向付けていこう、というのは強調するまでもない基本的なスタンスです。しかし、‘ESD for 2030’には「持続可能な開発に向けた真正な前進」のためにSDGsの諸目標の相互関連性を扱うことがESDへの期待として示され(3.10項)、さらに「ESDの活動の存在証明(レゾンデートル)は開発や持続可能な開発自体に批判的な問いを投げかける点に見出せる」(5.5項)と書かれています(*2)。一見、これは矛盾しているようにも捉えられます。というのも、自身が目指す目標すら相対化しつつ進もうという主張だからです。SDGsの実現に向けた教育として位置づけられつつも、SDGsが標榜する持続可能な開発自体を絶対視しないという、自家撞着(じかどうちゃく)ともいえる性格を帯びているのが‘ESD for 2030’の特徴です。しかし、よくよく考えてみると、野放図にグローバル化を進めた挙句の果てに人類はCOVID-19と出会ったわけですから、たとえ自身が目指している目標であろうとも、開発そのものを問い直すスタンスこそ、本来求められてしかるべき姿勢だったのでしょう。
図1 サスティナビリティ志向の教育の系譜
出典:Blewitt, J. et al (eds) (2004) The Sustainability Curriculum. Earthscan.
 実は、「開発至上主義」のトーンダウンは、ESDの世界的な論客であるS. スターリン氏によってつとに予見されていました。彼は、持続可能性にまつわる諸々の教育が環境教育からESDヘ、そしてESDからEFS(持続可能性のための教育)へ、さらにはSE(持続可能な教育)へと変遷を遂げるという系譜を「ESDの10年」が始まる直前に示しています(図1)。つまり、ESDから徐々に「開発」という目標が希薄になり、持続可能性が標榜される。さらに、教育の営みそのものが持続可能となる、換言するなら、経済発展という開発の物語に教育を合わせるのではなく、人間を含めた生態系に無理のない形で教育の営みを創っていくという方向性です。興味深いのは、ESDは環境教育やEFSやSEのいずれとも性格を重ねているということです(図中の太い楕円)。これは、曖昧性として批判されてきたESDの性格であり、他方で何でも包み込むようなESDの包摂性として評価されてきた特徴でもあります。ユネスコも当初から唱えていたように、ESDは時代の変遷の中でその性格、もしくは強調点を変える「進化する概念(エボルビング・コンセプト)」なのです。時代の趨勢の中で包摂性の強いESDという大きな概念のどの側面を強調するかは、その時代を生きる私たち次第なのだとも言えるでしょう。
 次回では、‘ESD for 2030’では学習のどのような側面がトーンダウンし、何がハイライトされるに至ったのか、について考えてみたいと思います。

*1:文部科学省「「持続可能な開発のための教育:SDGs達成に向けて(ESD for 2030)」について ~第74回国連総会における決議採択~」
https://www.mext.go.jp/unesco/001/2019/1421939_00001.htm
*2:ESD for 2030 全文(英文)
https://unesdoc.unesco.org/ark:/48223/pf0000370215

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