学び!と歴史

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「西郷どん」とは何者か 1 ―西郷隆盛は最後酒宴(さいごうさかもり)?―
2018.04.27
学び!と歴史 <Vol.122>
「西郷どん」とは何者か 1 ―西郷隆盛は最後酒宴(さいごうさかもり)?―
大濱 徹也(おおはま・てつや)

西郷隆盛<国立国会図書館ウェブサイトから転載>

 NHKの大河ドラマ「西郷どん」は、明治150年のイベントにあわせ、西郷隆盛を女の目線で描いた作品のようです。このドラマは、時代を奔り行く西郷隆盛とその周りに群がり集う人々を通し、明治150年とは何かを問いかけようとしているのでしょうか。ドラマの西郷とそこに集う若き群れは何とも軽薄で、時代の空気がドラマから漂ってこないのはいかがなものかとの感のみ募りますが。
 それは、何も「西郷どん」のみではなく、近年のTVの歴史ものに広くみられることですが。それはさておき、主人公の西郷隆盛とは何者なのでしょうか。西郷は、歴史上の人物として、日本国民にとり最も人気の高い尊敬さるべき人物です。そこで、ドラマが描こうとする「西郷どん」につきあうためにも、西郷隆盛とは何者であったかを時代人心に位置付けて読み解き、明治150年という言説に託された世界とは何かを考えることとします。

西郷の死はどのように受け止められたのか

 1877年(明治10)2月に創刊された「団団珍聞(まるまるちんぶん)」は、社説を「茶説」と洒落のめして天下国家の相貌を論じているように、強権的秩序が貫徹していく時代社会の闇をユーモア、ブラックユーモアで撃ち続けたジャーナリズムです。西郷隆盛が1月30日に政府問責の旗を掲げて鹿児島で挙兵、その翌2月に創刊された「団団珍聞」は、西南戦争をみつめており、9月24日に「新政厚徳」をかかげた西郷が城山で自刃した一件を「雑報」(明治10年9月15日)で辛辣な筆致で描き出しています。

○新政厚徳の大将はおひおひ軍(いくさ)の勝利なきによつてくそやけとなり常に大酒宴(おおさかもり)を催しこんな替歌を作てうたひます

わーが身でさァ変たものは。むかし忠臣今逆臣よ。軍むづかし。いや気の士族。きまらなへぞへ。むやみに死ぬ気。

ある人が何ぼ何でも大勢の味方が討死の中で酒宴とは其意を得ずとまじめで諫めたらおれはモオ遠からず死ぬ気だから酒をのむといひますから夫(それ)はどういふわけだと聞ましたら最後酒宴(さいごうさかもり)だからといひましたとさ

 西郷隆盛は、城山自刃をやけくそになっての「大酒宴」、「最後酒宴」の結末だと。西郷隆盛を「最後酒宴さいごうさかもり」にかさねて表記した思いには西郷の挙兵に対する民の怨嗟が投影されています。

西郷碑文にこめられる西郷「戦生」像

 西郷の死を「顕彰」した碑文は、「鎮西狂賊兵強大権衰之馬鹿(ちんぜいきょうぞくへいごうだいけんすいのばか)」だとなし、その生涯を漢文で認めています。西郷軍は鎮西の「狂賊」であり、「兵強」を指揮する大元帥は「大権衰(だいげんすい)」だと、大権の衰退に気づかぬ「馬鹿」だとなじっています。この揶揄には兵火に巻き込まれた民の怒りが読み込まれています。
 その生涯は、漢文で認められておりますが、読み下して紹介します。

戦生(せんせい)は「窮醜殺魔人(きゅうしゅうさつま)」の人なり。壮にして王家の衰退を慨し。僧某<月照>とことを謀りてならず。ついに相たずさえて身を魚腹に投じ。魚者のためにすくわるところ。僧某すでに死して戦生独蘇せり、しかして初心たゆまず。ますます王事に心を焦がし。しばしば鋒鏑の間に出入りし天日を既傾に回し。

と、「西郷先生」は、戦いに生きた「戦生(せんせい)」だとなし、九州薩摩人を「醜」窮める「殺魔(さつま)」人の生涯だとして、月照との投身自殺、王事への奔走と維新功業なって「功勲卓絶。位正三位に居り。官大将大元帥を辱なう」した後、「冠をかけて故里に帰り。南陽に躬耕し梁父を吟す。気宇恢弘。志操清廉。天下皆な其賢を称す」。故地薩摩に暮らす西郷の心事は、諸葛孔明が泰山の麓にある丘「梁父(りょうぼ)」にまつわる故事、「梁父吟」に託して描かれています。
 その西郷が「今茲(ことし)迷痴(めいじ明治)10年2月大に兇徒を駆卒して。以て士民を殺し、自ら僭して鎮西狂賊兵強大権衰と号す、其の非業の国の沈滞を攻め」、日夜の戦闘となったが「衆寡敵せず、兵士死に尽し、兵糧食い竭し」て敗走、「無念の魂魄すでに星となる。似寄の胴殻有といえども。肝心の雁首紛失せり、戦生昔勤王をもって始まり。今叛逆をもって終る。能く首を匿して郤を見はすとは(あたまかくしてしりかくさず)、おちこちこれを言うか哀しいかな。銘に曰く」

賊名籍世。臭気掩鼻。晦迹尻山。最後如屁(賊名世にしき、臭気鼻をおおう。迹を尻の山にくらまし。最後屁のごとし)

 明治10年は「迷痴10年」だと、西郷軍団は迷い集うた痴者の群れ、「兇徒」にほかならず、「狂賊」だとみなし、西郷の「迷痴」がもたらしたものとみなされたのです。この記事には、薩摩人の決起をして、あの陸軍大将西郷隆盛の迷走とみなすことでしか理解できなかった思いがあり、サビのきいた戯文にこめることでしか吐露できない時代人心の屈折した声がたくされているのではないでしょうか。
 かくまで呪詛された西郷とは何者なのでしょうか。ここに紹介した「団団珍聞」が報じた西郷と西南戦争の記事は、「西郷伝説」として語られてきた西郷隆盛をして、戦火に翻弄された同時代人の目にどのようにみられていたかをかいまみせてくれましょう。国民的な人気の高い西郷隆盛とは、「戦生」なる称号で祀られていますように、時代の幻想を託されて生きたわけで、日本国民の心に何を埋め込んできたのでしょうか。大河ドラマの展開はどうであれ、西郷隆盛にいましばらく付き合っていくこととします。

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