学び!と共生社会
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1.はじめに
インクルーシブ教育は、メインストリームに障害がある児童生徒が合流する形態が一般的といえますが、もともと障害がある子どものためのスペシャルスクールにおいて、その専門性を残しながらいわゆる「健常」といわれる児童生徒が合流して障害がある子どもと障害のない子どもが共に学ぶ「逆インクルージョン」の形態もあります。
こうした取り組みの一事例としてVol.71(*1)において、イタリアのISISS “Antonio Magarotto”(アントニオ・マガロット)」における聴覚障害教育分野での取り組みを紹介しました。イタリア各地にある元聾学校だった4つの学校を一つの組織に統合し、この組織を挙げて「逆インクルージョン」を実践しているというもので、前回はその組織の中の高等学校について紹介しました。
この3月に改めてイタリアのインクルージョンへの取り組み状況を調査する機会が持つことができました。そこで今回は、ISISS “Antonio Magarotto”を構成する学校群の一つであるIC “Tommaso Silvestri”(トンマーゾ・シルヴェストリ)」(幼稚園、小学校、中学校)を訪問して、イタリアの義務教育段階における逆インクルージョンの取り組みをより深く探ることにしました。今回はそのことについて紹介します。
なお、「逆インクルージョン」ということについては、Vol.71の記載を参照していただきたいと思います。
2.逆インクルージョン校ISISS “Antonio Magarotto”とIC “Tommaso Silvestri”の関係
ISISS “Antonio Magarotto”は、イタリア全国に4つの学校を有している国立の学園組織です。ISISSとはISTITUTO STATALE DI ISTRUZIONE SPECIALIZZATA PER SORDIの頭文字をとったもので、直訳すると国立聴覚障害専門学校(機関)ということになります。Vol.71ではISISS “Antonio Magarotto”の歴史について詳しく記し、この組織の中の学校の一つであるIPSIA “Liceo e Convitto”というローマにある寄宿舎付きの高等学校の取り組みを紹介しました。
今回は、このISISSの中の学校の一つで、幼稚園・小学校・中学校を擁するIC “Tommaso Silvestri”校を訪問しました。ICとはISTITUTO COMPRENSIVOの略称で、直訳すると総合学校(施設)となり、幼稚園、小学校、中学校など、複数の教育段階が共存する学校複合体のことを意味しています。一般に、ICは地域内で互いに近接していて、単一の校長で運営されているところに大きな特徴がありますが、学校評議会や教職員もこの組織単位で構成されています。
IPSIA “Liceo e Convitto”もIC “Tomasso Silvestri”ももともとは聾学校でしたが、現在は、聴覚障害との関連で「逆インクルージョン」を展開する学校として、ISISS “Antonio Magarotto”という学校群の組織で運営されているということになります。
3.IC “Tommaso Silvestri”校について
この学校の概要について、分校責任者兼専門教育最新プロセス支援担当のLucrezia Di Gregorio先生に詳しくお話を伺うことができました。以下の内容は、この聞き取りを中心に関連資料などを参照してまとめたものです。
IC “Tommaso Silvestri”の起源は、1784年1月5日に、司祭だったトンマーゾ・シルヴェストリが、イタリア初の聾学校を設立したことに遡ります。学校名は、イタリア聾教育の伝統を築いたこの司祭にちなんで名付けられました(*2)。
1946年6月2日に、イタリアが王政から共和制に移行したことにより、この学校は「ローマ国立聾学校」となりました。1952年から1970年まで、耳鼻咽喉科医のデチオ・スクーリが校長を務め、1956年には聴覚学センターも併設されました。この時期は、生徒数と職員数が増加し続け、1965年には生徒数が300人に達するほどの盛況を博していました。
1970年代までこのように聾学校として機能していたのですが、1977年の法律第517号によりイタリアの教育制度がインクルージョンに転換してからは、聴覚障害がある児童生徒も原則として地域の学校で学ぶことになりました。そのため、この学校は在籍者が減少し始め、次第に聴覚障害を伴う重度重複障害児童生徒が在籍する学校となっていきました。児童生徒数が12人まで減少した時期もあり、閉校寸前にまで追い込まれてしまいました。
1990年代後半になると、国のインクルージョンの推進が進展する中で、この聾学校は学校としての機能を廃して聴覚障害者ための福祉的な施設に転換して存続するか、これまでの様態を変えることで学校として機能を保持して存続するかの選択を迫られることになりました。その結果この学校は、聴覚障害者団体と協力して逆インクルージョンの取り組みを開始する道を選択しました。2000年に3つの学校段階を一つの管理下に統合する学校再編を経て、IC “Tommaso Silvestri”として新たなスタートを切ることになったのです。2012年以降、この学校は、地域にある幼稚園と小学校のクラスを統合し、規模を拡大してきました。
4.司祭トンマーゾ・シルヴェストリについて
トンマーゾ・シルヴェストリ(Tommaso Silvestri、1744年4月2日-1789年9月7日)は、イタリアのトレヴィニャーノ・ロマーノにあるサンタ・カテリーナ・ダレッサンドリア教会の司祭でした。
彼は、教会法学者でありローマ・サピエンツァ大学の学長でもあったパスクアーレ・ディ・ピエトロと出会い、資金援助を受けて1783年にパリへ渡ります。世界で初めて聾教育を開始したシャルル=ミシェル・ド・レペが運営する聾学校で6ヶ月間学び、聾唖者への教育法を習得しました。1785年に帰国後、彼はローマのパスクアーレ・ディ・ピエトロの自宅にイタリア初の聾学校を開設し、レペの聴覚障害者への教育法をイタリアにもたらしました。シルヴェストリが用いた方法は、手話、文字、音声を用いて聴覚障害者を教育し、話せるように教えるというものだったということです。フランス手話とイタリア手話には類似したところが多いのは、こうした背景があるからだということです(*3)。
1785年に、シルヴェストリは『生まれつきの聾唖者を速やかに話せるようにし、教え込む方法について』という論文を執筆しましたが、早すぎる死により未完に終わっていました。現在このテキストは、いくつかの批評的考察とともに、シモネッタ・マラニャとロベルタ・ヴァスタ編『シルヴェストリ修道院長マニュアル:イタリアにおける聾唖教育の起源』(ボルドー出版、2015年)に収録されているということです(*4)。
5.IC “Tommaso Silvestri”における逆インクルージョンへの取り組み
IC “Tommaso Silvestri”は、ローマのテルミニ駅から徒歩で20分ほどのノメンターナ通りに面した建物の中にあります。この建物はもともと「ローマ国立聾学校」でしたが、現在は、ローマ国立聴覚障害者協会(Istituto statale per sordi di Roma:ISSR)の拠点となっています。聴覚障害に関する研究、資料提供、コンサルティング、トレーニング、最新情報の提供を行うセンターとしての機能を有していて、聴覚障害に関する研究・情報センターともなっています。
日本流にいえばこの建物の1階と2階の一部と庭をIC “Tommaso Silvestri”が利用しています。子どもが伸び伸びと活動できるだけの校庭を有しているのは、ローマの中心部の学校としては珍しいということです。
教室は日本の標準的な教室の半分くらいの広さのところが多かったのですが、児童生徒数が少なく適度の空間が確保されているように感じました。
現在のIC “Tommaso Silvestri”は、幼稚園3クラス、小学校8クラス、中学校1クラスで構成されています。各クラスの在籍者数は11~12名ほどで、その中に聴覚障害のある幼児児童生徒が1~2名在籍しています。その他はいわゆる健聴といわれている幼児児童生徒になります。クラスサイズが小さいため、子ども同士や教師と子どもが濃密に関わり合うことができ、聴覚障害がある幼児児童生徒もクラスに一人というケースは少なく孤立を防ぐことができるところに利点があると思いました。聴覚障害がある子どもの通学圏は広く、通学時間に1時間近くを要するケースもあるということでしたが、いわゆる健聴の子どもの多くは、学校周辺の地域に在住していました。なお、聴覚障害のある幼児児童生徒が、同学年で3人以上になった場合は、クラス増を検討するということでした。いわゆる「健聴」といわれる子どもやその保護者が進んでこの学校を選択しているのですが、その背景としてイタリアと日本における「教育」のとらえ方に違いがあることを強く感じました。
教員の資質のとらえ方については、この学校も前回訪問したIPSIA “Liceo e Convitto” と一致していました。すべての教員は、健聴の子どもの教育のカリキュラムを編成し、実施できる教師であると同時に聴覚障害教育の専門性を身につけた専門教師であることを前提にしているということです。そのため、この学校には特別支援教育を専門に担当する教師(支援教師)は採用されていませんでした。
聴覚障害がある幼児児童生徒のコミュニケーションへの対応については、各教室に自律とコミュニケーション支援員が配置されていました。
各学校段階ともに国の標準的なガイドラインに即していますが、聴覚障害がある子どもへの配慮が行き届いていることが強調されています。
また、イタリア語とイタリア手話(LIS)のバイリンガルで授業が行われていることも大きな特徴です。この学校では、バイリンガリストの育成を目指しているわけですが、いわゆる健聴の子どもも幼稚園の段階から日常的にLISに触れ、LISを修得していきます。
2008年から小学校の教育課程に正式にLISが盛り込まれ、成績をつけるようになっています。これが国から正規に認可されたのは、2021年になってからだということでした。完璧なバイリンガリストを育てるのは容易ではないが、幼稚部から在籍している中学生は、ハイレベルでLISが使えるようになると、先生はおっしゃっていました。
幼稚園の教室は1階にあり、校庭とも直結しています。
1クラスの朝の会の様子をじっくり見学させてもらいました。担任一人に幼児が10人ほどで、その中に聴覚障害がある幼児が二人在籍していました。自立とコミュニケーション支援員が一人配置されていて、聴覚障害がある子どもを中心にLISの支援をしていました。朝の会は、日本の幼稚園で一般的に行われている活動と変わりなく、着席して、挨拶、出欠、日付等を一人一人が前に出て確認するという一通りの形式に則って行われていました。かつての日本の聾学校幼稚部の見学で筆者が感じた極度の緊張感(現在は状況が変わっていると思われますが)は感じられませんでした。
特徴的なのは、1日の活動の確認、名前のつづりの確認、数字の確認、曜日の確認などに必ず手話や指文字を伴い、その都度全員で確認していたところです。担任と支援員は、子どもの活動を観察し、聴覚障害のある/ないにかかわらず、発音や手話を丁寧に支援していました。こうした活動を日常的に繰り返していくことにより、手話が自然に身につき、聴覚障害がある子どもといわゆる健聴の子どものコミュニケーションも自然に育まれているように受け止めました。
小学校と中学校は2階のフロアにありました。それぞれの教室での活動を丁寧に見学することはできなかったのですが、担任のほかにコミュニケーション支援員が入っていて、他のイタリアの学校と同様、児童生徒が自らの意思で活動している光景が目につきました。
授業では、手話も使われていましたが、それだけではなく電子黒板も積極的に利用されていました。この学校は、アメリカのオハイオ州の聾学校と姉妹校となっており、2008年から電子黒板を導入し、文書は紙媒体も用いて目的に応じて適切な使い分けができるように配慮しているということでした。オハイオ州の聾学校と同じ方針で、「子どもが動かず、教師が動く」ことをモットーにしていることも強調されていました。
また、音楽にも力を入れていて、特別なボードとリズムを振動で伝えるラウドスピーカーが導入され、聴覚障害があっても音楽が学べるよう配慮されていました。現在、音楽は週に1時間ですが、より多くの時間を確保したいという希望があることを伺いました。
授業は、基本的にはクラス単位で行われていますが、社会性の育成や知識の広がりという点などから、適宜同学年や異学年合同のオープンクラスでの活動も設けていました。
6.おわりに
インクルーシブ教育を充実させていくためには、クラスサイズが小さいこと、教師が通常の教育に熟達していて、且つ障害等の特性に応じた専門性を有していること、日常生活やコミュニケーションを支える支援員が機能していること、障害特性に応じた環境が整えられていることなどが望まれます。IPSIA “Liceo e Convitto”に続けてのIC “Tommaso Silvestri”訪問を通じて、障害種等によっては「逆インクルージョン」という形態の方が、一般的な通常の学校におけるインクルージョンよりもこうした条件をクリアしやすくする可能性があるということを強く実感しました。
まだ、訪問が叶っていないトリノのISISS Magarotto Torinoや廃校となってしまったパドヴァのConvitto statale per Sordi Antonio Magarotto Padovaでも、新しい学園組織に転換して「逆インクルージョン」を取り入れたことにより、聴覚障害がある子どもといわゆる健聴の子どもが一緒に生活を送るようになって、双方にメリットがあることが確かめられたという話も伺いました(パドヴァ校は現在閉鎖されてしまっているのですが、その主な理由は、学校を維持するための人材確保が困難になったことということでした。残念なことではあります)。
現状では、日本でこのような「逆インクルージョン」の体制を組むことは困難だといえます。しかし、「イタリアだからできる」「形だけ整えても中身は大したことはない」と突き放した見方をしていては、障害者権利条約が示す「共生社会」の実現に向けた動きや、その理念に基づいた「インクルーシブ教育システムを構築」はなかなか進展しません。障害の有無に関わらず、双方にメリットのある「インクルーシブ教育システムの構築」を推し進めていくためにさまざまなあり方を検討していくことが大切だということを、イタリアの「逆インクルージョン」の取り組みは教えてくれているように思います。
今回の調査にあたっては、ローマ在住のFrancesco Albertiさんにご尽力いただきました。IC “Tommaso Silvestri”の分校責任者Lucrezia Di Gregorio先生、幼稚園インクルージョン担当のAnna D‘Annibale先生には丁寧な説明とご案内をいただきました。心より感謝いたします。
*1:2025.12.26
大内進(2025)「イタリアにおける逆インクルージョン型の学校とインクルーシブ教育(2)」学び!と共生社会<Vol.71>
https://www.nichibun-g.co.jp/data/web-magazine/manabito/inclusive/inclusive071/
*2:MinervaWeb No.71(2023)“La Biblioteca dell’Istituto statale per sordi di Roma”(ローマにある国立聾唖者研究所の図書館)
https://www.senato.it/leg19/4800?newsletter_item=18695&newsletter_numero=1519
*3:“Silvestri Tommaso”, GENTE DI TUSCIA(トゥーシア地方の歴史人名辞典)
https://www.gentedituscia.it/silvestri-tommaso/
*4:IC “Tommaso Silvestri”のWebサイト「学校の歴史」
https://ictommasosilvestri.edu.it/index.php/scuola/la-storia/
