学び!と人権

学び!と人権

個別人権課題に取り組む意義
2021.09.06
学び!と人権 <Vol.04>
個別人権課題に取り組む意義
森 実(もり・みのる)

 この連載の第1回で、人権教育に取り組むうえでの現代的ポイントを説明しました。そのさい、文部科学省が2021年3月に出した「人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]補足資料」(以下、「補足資料」と略)をとりあげて、その主張を3点にわたって論じました。第1は新学習指導要領と人権教育は緊密な関係にあること、第2は個別人権課題に重点を置くこと、第3は行動力こそが現代的な目標であることです。このうち第2の個別人権課題に重点を置くということについて、補足しておきたいと思います。第4回以後は個別人権課題を取り上げていくのですが、なぜそうするのかという点について、あらかじめていねいに押さえておく方が迷いなく進んでいけると考えてのことです。

①文部科学省が2008年と2012年に全国の人権教育取り組み状況を調査

 文部科学省は、2008年に「人権教育の推進に関する取組状況調査」(以下、取組状況調査と略)を実施しました。調査の中には、都道府県や市町村の教育委員会を対象としたものもあります。ここでとりあげるのは、学校を対象に実施した調査で、全国の小・中・高校2000校程度が対象となっています。回収率87%ですから、かなり回収率の高い調査であると言えるでしょう。これは、人権教育の実施状況について政府がはじめて全国的な実態を把握しようとする調査でした。調査が実施された2008年と言えば、その年の3月に「人権教育の指導方法等の在り方について【第三次とりまとめ】」(以下、「第三次とりまとめ」と略)が出されており、この「第三次とりまとめ」の内容を土台として取り組み状況調査は組み立てられました。いわば、「第三次とりまとめ」の観点に立って日本の人権教育を診断しようとした調査だと言ってよいでしょう。
 同調査が実施された4年後、文部科学省は、2012年度に第2回調査を実施しています。対象や規模、おもな内容は前回と同様でした。
 ここでは、この二つの調査から1つだけ質問を取り上げて内容について解説したいと思います。取り上げるのは、「指導内容の構成」に関する調査項目です。これは2008年の調査では問12として位置づけられており、2012年の調査では問14として位置づけられています。ここでは、2014年の調査に従って問14として質問文とその選択肢をあげます。なお、それぞれの選択肢の後にかっこ書きしたのは、選択肢を略して表記するための略称で、森が記した文言です。たとえばアの選択肢の最後には(諸概念の知識-知識)とあります。これは、このアの選択肢に森が「諸概念の知識」とラベルをつけたということで、それが知識、技能、価値観・態度という柱のうちでとくに「知識」領域に関わる項目だということを表しています。
 問14の質問文と選択肢を読んでください。

問14 貴校では、人権教育の指導内容として、どのような資質・能力を身に付けさせることに力を入れていますか。次のア~セのうち特に力を入れているものを、5つまでの範囲で選び、記入用紙に該当の記号を記入してください。

 自由、責任、正義、個人の尊厳、権理、義務などの諸概念についての知識(諸概念の知識-知識)
 人権に関する国内法や条約等に関する知識(法律・条約の知識-知識)
 人権発展の歴史や人権侵害の現状等についての知識(歴史・現状の知識-知識)
 人権の観点から自己自身の行為に責任を負う意志や態度(自分の行為への責任感-態度)
 自己についての肯定的態度(自尊感情など)(自己肯定感-技能)
 適切な自己表現等を可能とするコミュニケーション技能(コミュニケーション技能-技能)
 自他の違いを認め、尊重する意識、多様性に対する肯定的態度(多様性肯定感-態度)
 他者の傷みや感情を共感的に受容できるための想像力や感受性(想像力や感受性-技能)
 人間関係のゆがみ、ステレオタイプ、偏見、差別を見きわめる技能(差別や偏見などをみぬく技能-技能)
 合理的・分析的に思考し、公平で均衡のとれた結論に到達する技能(批判的思考技能-技能)
 対立的問題に対しても、双方にとってプラスとなる解決策を見いだすことのできるような建設的な問題解決技能(対立・問題解決技能-技能)
 自他の人権を擁護し、人権侵害を予防したり解決するために必要な実践的知識(人権についての実践的知識-知識)
 自己の周囲、具体的な場面において、人権侵害を受けている人を支援しようとする意欲・態度(被害者支援の意欲・態度-態度)
 正義、自由、平等などの理念の実現、社会の発達に主体的に関与しようとする意欲・態度(社会参加の意欲・態度-態度)

*カッコ内の太字体文言は、グラフとしてまとめるために引用者が付加した。

②日本の人権教育は一般的で情緒的な内容に偏ってきた

 この項目の調査結果を示したのが、図4-1です。2008年と2012年の調査で大きな違いはありませんので、主として2012年の数字に則って説明します。最も高いのは、「キ 自他の違いを認め、尊重する意識、多様性に対する肯定的態度」(86.0%)で、8割以上の学校が「特に力を入れている」内容としてこれを選んでいます。以下、2番目に多い項目として「オ 自己についての肯定的態度(自尊感情など)」(75.4%)、3番目として「ク 他者の傷みや感情を共感的に受容できるための想像力や感受性」(73.8%)とつづき、態度領域の項目が並んでいます。4番目に多い項目として「カ 適切な自己表現等を可能とするコミュニケーション技能」(66.2%)が表れ、技能領域の項目がようやく出てくることになります。けれども5番目に多い項目は「エ 人権の観点から自己自身の行為に責任を負う意志や態度」(41.0%)であり、再び態度領域の項目となります。このように、上位5項目は、態度領域に含まれる項目が多いと言えます。
 逆に、2012年の調査で最も低いのは、「イ 人権に関する国内法や条約等に関する知識」(2.5%)、次いで「コ 合理的・分析的に思考し、公平で均衡のとれた結論に到達する技能」(3.5%)、「セ 正義、自由、平等などの理念の実現、社会の発達に主体的に関与しようとする意欲・態度」(9.1%)、「サ 対立的問題に対しても、双方にとってプラスとなる解決策を見いだすことのできるような建設的な問題解決技能」(10.3%)、「ケ 人間関係のゆがみ、ステレオタイプ、偏見、差別を見きわめる技能」(12.8%)となっています。比率や順位に多少の変動があるとは言え、2008年と2012年とでほぼ同じ結果になっていることがうかがえます。これらの多くは技能領域に属する項目です。こうして、下位5項目は、技能領域の項目が多いのです。
 具体的に項目を挙げるのは避けますが、中位の項目の多くは知識領域に含まれることがわかるかと思います。

 この調査結果を見て、調査の設計に当たった「人権教育の指導方法等に関する調査研究会議」では、日本の人権教育がどちらかと言えば情緒的内容に流れていて、確かな知識やスキルがおろそかになっているのではないかと話し合いました。
 その問題点は明らかです。もしもこの教育が実際に影響を及ぼしているとすれば、それを学んだ子どもたちは、平等や他者の尊重が大切だと感じるようになっても、その裏付けとなる知識がないまま、行動する力も持てていないことになります。「ダメだ、何とかしなければ」と思いながらも、なぜそう感じるのかを説明できず、行動することもできないのです。これでは、よくても子どもたちは引き裂かれた状況に追い込まれます。悪くするとそういう体験が積み重なり、無力感にさいなまれることになります。

③行動力を育む

 上のグラフからも導かれるとおり、実践的な行動力を育む必要があります。「差別してはいけない」ということそれ自体は、多くの人がわかっています。
 たとえば、わたしの住む大阪府が2020年に府民の人権意識調査をしています。質問の一つが「差別は人間として恥ずべき行為であり、私たち一人ひとりが差別しない人にならなければならない」という文に同意するかどうかです。この問に対して「そう思う」と答えた人は92.6%となっています。その一方、人権侵害事象にふれたことのある回答者に対して「どう対応しましたか」とたずねたところ、「抗議、反論した」と答えた人は16.7%にとどまりました。
 また、日本政府が「部落差別解消推進法」第6条に基づいて2019年に部落差別の実態に係る全国調査を実施しました。その調査で、部落差別の内容を知っている人たちに「あなたは,部落差別が不当な差別であるのを知っていますか」と質問しています。その結果、不当な差別だと「知っている」と答えた人が85.8%に及んでいます。では、この人たちはどんな行動をとっているのでしょう。残念ながらこの調査では、部落差別をなくすために自分は何をするかという点について尋ねてはいません。
 大阪府の調査結果を見ると、行動する人はかなり限られていると言わざるを得ません。全国調査から考えると、調査する側も、行動に力点をあまり置いていないのかもしれません。いまの日本における課題の一つは、行動力を育むことなのです。そしてこれは、現在の学習指導要領にも通じます。差別や人権に関わる問題を考え、その解決策を求め、自分が何をするかを考えることは、学習指導要領が求める生きた学習になるはずなのです。

④個別人権課題法から差別禁止法へ

 この10年ほどの間に、個別の人権課題に関する法律は続々と制定されています。2013年6月に障害者差別解消推進法、2016年6月に反ヘイトスピーチ法、同年12月に部落差別解消推進法、2019年4月にアイヌ民族支援法となります。法律制定以外にも、2019年7月には首相談話によりハンセン病家族国家賠償請求訴訟の判決の受入れが決まりました。
 このような変化は、文部科学省の人権教育施策にも反映しています。文部科学省は、令和3年度向け「人権教育研究推進事業公募要領」で、重点課題として「同和問題」、「アイヌの人々」、「外国人」、「ハンセン病患者等」を指定しています。学校や地域が人権教育研究の研究指定を受けようとするならば、応募に当たってこれらの課題に取り組むことを明示する方が採択されやすいということです。
 それぞれの人権課題法は重要な内容を含んでいます。とくに障害者差別解消推進法は、合理的配慮をしないことも差別と規定しています。2013年6月の制定当初、合理的配慮は行政に対してのみ法的に義務化され、民間事業主には努力義務とされていましたが、同法は2021年5月に改正され、民間事業主に対しても合理的配慮の提供を法的に義務付けるようになりました。同法に則して考えると、たとえば電鉄会社が無人駅を増やして、そこで車いすユーザーが乗り降りしにくい状態をつくったとすれば、それ自体が問題を含むということになります。その状態で車いすユーザーが利用を求めてきたときには、当該駅の駅員による車いすユーザーの移動支援に替わる手立てを用意しなければなりません。別な駅の駅員が移動して支援するという方法があります。また、エレベーターなどをその駅に設置して、車いすユーザーが移動できるようにするという方法もあります。もしも利用者が車いすユーザーであることを理由として、電鉄会社やその職員が利用を拒んだとすれば、それは差別だということになるのです。本人との対話を抜きにし、個別の事情を考慮せずに「我が社は○○の手立てを打っているから差別はしていない」と主張するのも同様に問題です。
 障害者差別解消推進法は、現在の日本の法律の中でも差別について一歩進んだ内容を明確に規定していると言えます。同法は、国連の採択した障害者権利条約 に則ってつくられています。障害者の権利条約では、第2条の定義で「合理的配慮の否定」も差別に当たると明確に定めています。この条約を追い風に、日本国内の障害者運動に関わる人たちが取り組んで制定されたのが障害者差別解消法なのです。
 これまでの人権条約では、「必要に応じてとられる特別措置は、人種差別とみなさない」(人種差別撤廃条約 第1条4項)、「締約国が男女の事実上の平等を促進することを目的とする暫定的な特別措置をとることは、この条約に定義する差別と解してはならない」(女子差別撤廃条約 第4条1項)としていましたが、特別措置を行わないことそれ自体が差別だとまでは定めていませんでした。しかも、民間事業主に対しても合理的配慮を求めているのです。このような点で、障害者権利条約や障害者差別解消推進法は画期的な意味を持っています。
 このような動きをふまえて、日本社会は新たな課題に向き合っています。それは、差別行為を処罰する規定を含んだ法律を制定することです。差別行為を処罰する法律を制定するならば、何をもって処罰の対象とするのかをていねいに整理しなければなりません。また、規制にあたっては、国内人権機関 を設置して、それが取り組みをリードする必要があります。国内人権機関は政府から独立して人権確立に動く組織で、人権教育についても責任を担う可能性があります。このように法律制定までにはクリアすべきいくつかの重要な課題がありますが、もしもそういう法律が制定されたなら、法律自体が市民一人ひとりの反差別の行動を応援することになるでしょう。
 そのような社会的課題を見据えつつ、教育の場では、個々人の知識や行動力を育成することが求められます。
 この連載の次回からは、いよいよ個別人権課題について論じることになります。