学び!と人権

学び!と人権

現代部落問題学習の課題
2022.01.05
学び!と人権 <Vol.08>
現代部落問題学習の課題
森 実(もり・みのる)

 これまでに述べてきたことを土台に、部落問題学習のあり方を述べたいと思います。部落問題学習をいかに進めるべきかという問題については、これまでにさまざまな議論があり、確かめられてきた原則や教訓があります。ここでは、それらを踏まえつつも、21世紀に入って20年を過ぎた現在の課題を中心に述べます。

ネットを含めいまの現実から始める

 2016年に部落差別解消推進法が制定されました。この法律が制定された背景には、情報化が進展するもとで、部落差別が新たな形をとるようになってきたという点があります。どこが部落かを示す情報がネット上で流されたり、誰が部落出身であるかを暴露する情報がアップされたりしています。その一方で、結婚差別も後を絶ちません。情報社会が進展するもとで発生している問題の一つは、ネット情報に基づいて結婚を断られたとしても、それが断られた側には分からないまますんでしまう恐れが以前より大きくなったということです。
 前回までで紹介したように、部落の地名やその映像をネット上に流すという問題については裁判でも闘われていますし、政府からも、差別助長に通じる「人権侵害のおそれが高い、すなわち違法性のあるもの」とする文書(権調第123号 )が出されているのですが、「差別行為である」という観点からはいまなお基本的には法律的に罪に問われない状況が続いています。国連からの勧告を待つまでもなく、日本社会の課題は、そういう差別行為を禁止する法律を制定することであり、それを担うことをはじめ、さまざまな人権課題にとりくむ組織として国内人権機関を設置することです。
 このような点を考慮に入れると、これまでの部落問題学習とは異なる視点を持って学習を設定しなければならないと言わざるを得ません。部落問題学習をするにあたっても、差別禁止法の制定や国内人権機関の設置を目標として意識することが求められるようになっているのです。それぞれの学校や自治体の部落問題学習の目標として、差別禁止法の制定や国内人権機関の設置をどのように意識しているかを改めて考えてみるべきです。

身近にある部落差別や被差別部落を教材に

 そのように、大きな目標として差別禁止法や国内人権機関を意識しつつ、部落問題学習を組むに当たっては、身近にある部落差別や身近にある被差別部落を教材化することが求められます。
 部落問題学習は、ともすると、遠い山の中にある小さな村落の問題と思い込まれてしまうことがあります。自分の普段の暮らしとは全く関係のない問題と感じられている例も多いようです。実際には、全国各地に被差別部落があります。また、政府が2019年に行った部落差別に関する全国の意識調査(権調第123号 )によれば、「部落差別」や「同和問題」ということばを聞いたことがある人は全国で77.7%、近畿・中国・四国地方では90%を越え、九州地方でも80%を越えます。ごく身近にある問題として部落問題学習をできるかどうかは、重要な要素だと言わなければなりません。
 ただ、「どこが被差別部落かを授業で取り上げることはできない」という声もあります。私の住む自治体でも、そのことが話題になりました。学校の教員が部落問題学習の実施をためらう理由の一つとして、「『先生どこに部落があるの?』などと子どもから尋ねられたときに答えられない」という意見がありました。これに対して、市内の被差別部落で運動に取り組んでいる人から出たのは、「それやったら、うちにきてくれたらええやん」ということでした。フィールドワークなら、いつでも受け入れるよというわけです。このことを前提にすれば、子どもから「先生どこに部落があるの?」と尋ねられたときの答えは簡単です。「そうか。先生が知ってるから、先生と一緒に行ってみるか。友達にも声かけて一緒にいこか」というのでよいではないかということです。そう返すことによって、質問した子どもの側もいろいろなことを考えることができます。友達に声をかけてみて、どんな返答が返ってくるか。親に話したときに親はどう言うか。そういうことを通して自分自身の問題意識も振り返り、研ぎ澄ますことができるはずです。
 そういう考え方をあちこちで紹介してみると、「いやそれはむずかしい」という声がしばしば返ってきます。「うちの自治体にある被差別部落は、そんな受け入れ体制がない」というわけです。地域によりいろいろな事情があることは分かります。そうであれば、同じ自治体の被差別部落ではないにせよ、見学を受け入れてくれるところを探してみることもできるのではないでしょうか。問題なのは、地元の被差別部落が消極的だという理由をもって、フィールドワークや部落問題学習すべてをあきらめてしまうことではないでしょうか。すぐ近くの被差別部落が無理でも、少し離れたところの被差別部落との信頼関係をつくることはできるかもしれません。また、地元の被差別部落が受け入れてくれないのは、学校が地域との信頼関係をつくれていないからなのかもしれません。部落の人たちの発言から、自分たちの教育実践を問い直すことも必要です。
 身近な問題にという点で考えておきたいもう一つのことは、部落差別事象は、いろいろな場面に顔を出すということです。学校の近くで差別落書きが発生することもあります。親たちの発言の中に差別的な言動が含まれていることもあります。部落出身でなくても、部落問題に取り組んでいる人たちはいます。そういう事例や人物を取り上げることによって、子どもたちが自分にとって身近な問題として部落差別をとらえやすくなることは間違いありません。逆に、そういう面がないまま部落問題学習をすすめれば、偏見や思い込みを助長してしまいかねないのです。

差別をなくそうとする取り組みとあわせて

 部落差別について学ぶときには、この差別をなくすための取り組みとあわせて学ぶ必要があります。どんな差別があるかを知るだけでは、力はわいてきません。悪くすると、無力感を広げるだけに終わります。そうではなくて、部落差別をなくすための取り組みや、取り組んでいる人の姿と合わせて学ぶことによって、力がわいてくる学習になり、展望を感じられる学習になります。
 学校区をはじめ、差別をなくすために活動している人を招いて、自分の取り組みを紹介してもらうことが求められます。ある日突然に来て話してもらうのでは、子どもたちにとっては必然性のない話となり、せっかくの学習が実りに欠けます。一連の学習の流れに位置づけて、子どもたちが抱いた疑問に答え、子どもたちの思い込みを解いてもらうようにして出会いの場を設定することが重要です。
 また、歴史学習でも、差別をなくそうとする取り組みが不可欠です。たとえば「水平社宣言」をきちんと位置づけることです。2022年は水平社が創立され「水平社宣言」が出されて100年です。「水平社宣言」は、つづめていえば<自分たちはこんな体験をし、悔しい思いを重ねてきた。だから自分たち自身で差別をなくしてすべての人が解放されることをめざして立ち上がるのだ>という文書です。子どもたちが自分自身の悔しかった体験を出し合い、その延長線上に「水平社宣言」を学ぶことによって、自分に引きつけて学習することができます。

自分に引きつけながら考えられるように

 その点とも関わりますが、部落問題学習の内容が、子どもたちが今直面している問題につながっているかどうかが問われます。つながる点は様々にあります。
 情報化そのものが、子どもたちから縁遠い事柄ではありません。子どもたちの身近にスマホがあり、PCがあります。GIGAスクール構想が出ているいま、タブレットが子どもたちの身近な存在となっています。教員が知らない間に子どもたちが情報機器を使っていじめをしていたという事例を聞くことがあります。これは部落差別にもつながります。それら情報機器を使っての検索は、子どもたちにとって身近な行為です。「部落」や「部落差別」という言葉を知り、「部落」や「被差別部落」で検索すれば、残念ながら部落の所在地情報にゆきあたり、地域の映像が現れるのです。
 部落差別と自己のつながりを考える手がかりひとつは、自己開示やカミングアウトに関わる問題です。自分のことをいつでもどこでもすべて明かして生きている人はほとんどいません。何かを言わないままに暮らしている人ばかりと言ってもよいほどです。
 私の子どもの頃を振り返ってみると、小学校6年生の頃まで時々おねしょをしていました。これは当時の自分にとってたいへん恥ずかしいことで、誰にも知られたくないことでした。修学旅行はとりわけ心配な行事でした。一泊して、そのときにおねしょでもしたら、一生言われ続けるかもしれません。これは、おとなからすればたわいもないことに映るかもしれませんが、子ども本人にとってはけっこう深刻な問題です。もしも、このような問題とつないで部落差別が取り上げられれば、わたしにとって部落差別は身近な問題として映ったであろうと思います。
 こう述べると、「おねしょと部落問題を一緒にするのか」という疑問や反論を出されるかもしれません。おねしょという問題はあえて出している面があります。そういう問題でも、部落差別と結びつきうると言いたいのです。ましてや、家族の中で対立やけんかがたえないとか、親のことを好きになれない、クラスでいじめられている、といったことがあれば、それは部落差別に直結するような問題です。そのようなことと結びつけて学習を組むことが求められるでしょう。
 上の例は自分自身のこととして述べましたが、これを他の人のことにつなぐこともできます。できるというよりも、することが求められていると言うべきかと思います。部落問題学習を通して、自分の友だちが何かを苦にしているということを知ることができれば、部落問題学習が自分にとっても意味のあるものと感じられやすいでしょうし、部落差別も身近に感じやすいでしょう。

歴史学習は明治時代以後をはずさないで

 部落問題学習と言えば、歴史学習をイメージする人もいると思います。とくにこの30年間ほどは、歴史研究の進展もあって部落問題の歴史学習が盛んになってきました。967年に施行された延喜式に初めて「穢れ」についての記述が登場しました 。中世には、キヨメと呼ばれる人たち が登場して、「穢れ」を清める役割を果たし、畏敬の念をもたれていました。中世の身分は流動的で親子で身分が違ってくるという場合が少なくありませんでした。近世(江戸時代)になって、「えた」と呼ばれる身分がつくられ、代々受け継がれるものとして全国的に制度化されていきました。「えた」身分の人たちのおもな職業は農業で、各地の被差別部落の収入を見ると、農業が過半数を占めている例が多くあります。明治時代になって1871年に「賎民制廃止例」(いわゆる「解放令」)が出され、法律的な身分制度は撤廃されました。このような歴史を学ぶことが部落問題学習だと思っている人もいることと思います。
 しかし、部落問題学習では、近代(明治以後)の部落差別とそれに対する解放運動について学ぶことを大切にするべきです。江戸時代の被差別部落は経済的に豊かな例が多かったのですが、明治時代になって、被差別部落は経済的に貧しくなりました。これは、差別の性格が封建制による差別から、資本主義的な差別へと変化したことを示しています。明治政府は部落差別を助長しています。たとえば戸籍制度が作られ、だれが江戸時代の被差別部落出身者であるかが分かるようになっていました。また、1907年頃に政府が行った全国調査では「特殊部落」という言葉が使われました。そのことによって「特殊部落」という差別的呼称が広く用いられるようになってしまったのです。
 部落差別に限らず、明治政府は侵略と差別を推進する政策を推進しました。江戸時代には260年間ほぼ侵略や戦争はありませんでした。ところが明治時代になると、1870年代には西南戦争、1894-1995年には日清戦争、1904-1905年には日露戦争、1914-1917年には第一次世界大戦、1931-1945には日中戦争・太平洋戦争というぐあいに、ほぼ10-20年に一度は戦争をするという国家になってしまいました。差別についても同様です。江戸時代の日本について、ヨーロッパから来た宣教師や外交官は、男女が平等であることに驚いています。それが、女性差別は1904年に制定された民法によって強化されました。1899年に制定された北海道旧土人保護法により、アイヌ民族への民族浄化政策(民族抹殺政策)が進められました。
 さまざまな差別と部落差別を結んで考えていく上で、明治時代の差別助長政策を位置づけておくことは不可欠です。

 次回からは、部落問題をふまえつつ、他の差別問題を取り上げることになります。