学び!と人権

学び!と人権

アイヌ民族と人権(その4)
2024.03.05
学び!と人権 <Vol.26>
アイヌ民族と人権(その4)
森 実(もり・みのる)

1.自己の被害性と加害性を捉え直す

 前回の最後に、次のように述べました。

 アイヌ民族と和人がともに自己をふりかえり、和人が加害性と被害性を捉え直すことによってたんなる和人とアイヌ民族との対立を乗り越えることが可能になります。いま行われている教育実践でもそれは行われていますが、この面をさらに強く前に打ち出すことによって新しい人権教育が展開できそうに思えます。

 そのように考えるのは、これまでの人権教育の経験によります。被差別側の人たちの人生に学ぶことによって、加差別側の人たちも自分自身の加差別性とともに、被抑圧性・被差別性を捉え直しやすくなります。それが自由への第一歩だと思います。
 このような点を考えるために、まずはいま行われているアイヌ民族に関わる学習を見ていきましょう。

2.北海道の学校における取り組み

 北海道では、全ての小中学校でアイヌ民族に関わる学習を進めるために、副読本『アイヌ民族:歴史と現在-未来をともに生きるために-』 がつくられ、北海道内にある全ての小中学校に配布されています。同書を編集しているのは、公益財団法人アイヌ民族文化財団 です。同財団のウェブサイトでは、同書のPDF版をダウンロードできますし、ウェブサイトから注文して印刷版で入手することもできます。また、同財団の文化ポータルサイト を訪問すれば、様々な学習者にあわせた多様な教材や資料を知ることができます。

①末広小学校における「アイヌ文化学習」
 こうした資料も参考にしながら、北海道内外の各地の学校で、アイヌ民族に関わる学習が展開されています。たとえば、千歳市立末広小学校 では、都市部の大規模な小学校では唯一、1~6学年の全ての学年において、発達段階に応じた「アイヌ文化学習」 をカリキュラムに組み込んでいます。以下の末広小学校の取り組みに関する記述は、末広小学校にご協力いただき、末広小学校の報告に則して書かれています。
 末広小学校における「アイヌ文化学習」は1996(平成8)年にスタートし、毎年改善しながら途切れることなく積み上げてきました。千歳アイヌ協会と千歳アイヌ文化伝承保存会の会員らが講師として関わる授業は全体の約8割を占め、それを含めた全体の時間数は6年間で110時間を超えます。

②シンボル的存在の「チセ」
 校内にはチセをつくり、「アイヌ文化学習」に供しています。末広小学校の本格的なチセは、千歳アイヌ協会等の協力によって、構想2年・製作半年をかけ完成しました。
 「チセ」とはアイヌ民族の伝統的な家屋のことです。150年以上前のシコツ地方(現在の千歳川流域)に建てられていた標準的なものと大きさも材料も同様のチセでは、学級ごとの授業の際には、実際にアペオイ(囲炉裏)の周りに座って活動ができます。末広小のチセは「アイヌ民族に関する学習」の象徴として関係者や一部の市民に知られ、市内外、国内、姉妹都市などの関係により海外からの見学者も増えてきました。
 本来のチセの床は、土間にチタラペ(ござ)を敷き詰めていました。(校舎内のチセの床はフローリング)
 土は蓄熱性に優れています。チセの中央に必ず設えられるアペオイは、もちろん日々の煮炊きに用いられましたが、たっぷりと砂と灰が蓄えられた炉で常時絶やさず火を焚いていました。土間はこの熱を吸収し、厳寒期も温かく過ごすことができました。ちなみにこのチタラペ(ござ)は、湿生植物ガマの葉の基部を編んでつくります。それは水に浮くためにスポンジ状の構造をしています。柔らかく断熱性・蓄熱性に富んだ素材です。
 板の間ではこうはいきません。樺太から宗谷→江別(対雁(ついしかり))に強制移住させられたアイヌ民族の記録の中に、「明治政府にあてがわれた日本家屋の板の間は寒くて、アイヌ民族たちはすぐにチセを建てなければならなかった」というような文があります。
 常時、火を絶やさないということは、温かいのと煮炊きだけではなく、ほかにも素晴らしい効用があります。ゆっくりと少しずつ立ち上る煙と熱は、食物貯蔵(棚で乾燥・燻製)のためにとても有効でした。燻した食べ物はとてもおいしく、長持ちします。また、煙をあげていると、チセの屋根や壁の基本材料である「キ」(湿生植物ヨシの茎)(地方によっては笹)が黒くコーティングされ耐久性が増します。ほんのりした煙は夏の害虫対策にもなります。
 ですからアペオイにはアペフチカムイがいらっしゃって、私たちを常に見守ってくださると考えられています。アペフチカムイ=炉のお婆様のカムイは、アイヌ民族にとって最も身近で重要なカムイです。全てのカムイノミに際し、人(アイヌ)の言葉を翻訳して、カムイモシリに居られる多くのカムイたちに伝えてくださるお方こそ、このアペフチカムイです。カムイノミでイナウ(木幣)を燃やすのはこのためです。炎と煙とともに翻訳された祈りが、カムイモシリへ届くというわけです。

チセの中で語り部の話を聞く子どもたち(千歳市立末広小学校提供) ※写真は一部加工しています。

③アイヌ民族学習の原則
 末広小学校での「チセ」は、本物に触れる学習の場であり、様々な資料に手を触れられる状態の資料室であり、末広小のアイヌ民族を学ぶ学習の拠点・シンボルです。取り組みは、チセをつくっただけではありません。「サケのふるさと千歳水族館」 の協力のもと、伝統漁法「マレク漁」とサケ皮の利用を学ぶ総合学習に、3学年の全児童が取り組んでいます。この水族館は、北海道の恵みのもとである川に住む動植物をメインに据えた珍しい水族館です。
 末広小学校における「アイヌ文化学習」のはじまりは、1996(平成8)年です。そのときの2年生が「世界の歌と踊り」に取り組もうとして、そのなかにアイヌ民族の歌と踊りを組みこもうとしました。保護者のお一人がウタリ協会(当時)の役員で、協力を申し出たのだそうです。ほかの家庭も訪問して学ぶなかで、いろいろなことが分かってきます。かつて、ほんの数十年前には、末広小学校でもアイヌ民族差別が広くありました。「1分1秒でも早くこの学校から出て行きたかった」と話すアイヌの人もいたといいます。差別をした人が保護者になっているという現実もありました。
 そのような実態のなかでアイヌ民族を学ぶために、次のような原則を確認しました。

 「私たちはアイヌ民族の文化を一時的に利用するのであってはならない。郷土の文化として持続して教育に位置づけていくことが、アイヌ民族を理解し尊重し差別を生み出さない基本になるのだ。」

 この考え方を土台にして、先に述べたチセをつくり、全学年にわたる「アイヌ民族を学ぶ」総合学習・生活科カリキュラムの実践を続けています。

④総合学習「伝統漁法マレク漁とサケ皮の利用」(第3学年)
 末広小学校のそばを流れる千歳川は、今も昔もサケが回帰し産卵する川です。そのサケをテーマに学ぶ3年生は、まずは水族館とさけます情報館(孵化場)を見学し、サケの一生を学びます。
 千歳川で生まれたサケは北太平洋を回遊して育ち、数年後に生まれた川へ回帰し、産卵して次の代へと命をつなぎます。それを口にするわれわれ人間は、紛れもなくたくさんの命をいただいていることになります。このことはサケにとどまらず、全ての食べ物についていえることです。アイヌの人たちはそのようなことを象徴的にとらえて、サケを「カムイチェプ=カムイが川を上らせてくださる魚」と呼んでいます。
 3学年の子どもたちは、水族館敷地内の小川に集まって、その朝行われたカムイノミの写真を見て、それを執り行ったエカシ(長老)から直接話を聴きます。どんなことをどのように祈ったのかを聴き、サケに限らず自然の中からいただく場合に必ず思う感謝や誓いを理解してから、サケ漁の学習を始めます。
 子どもたちはマレク(回転式の鉤銛)を千歳アイヌ協会の会員とともに握りしめ、心静かに川の縁に立ち、サケが「この人に獲ってもらおう」と近づいて来るのを待ちます。うまく獲れて岸辺に引き上げられたサケは、エカシがイサパキクニという頭を叩く棒で命をいただき、魂を送ります。その後、サケの体を会員が子どもたちの目の前で解体すると、まだサンペ(心臓)が動いています。川に遡上するサケは何も食べないので、小さくなった胃腸も観察できます。狭い腹の容積をぎりぎりまで卵・精巣に使うことを学びます。そして丈夫な皮から身(魚肉)をはがしとる作業を全児童が代わる代わる体験します。魚皮衣の写真とチェプケリ(サケ皮製のくつ)の実物が傍らに展示してあります。
 別の日にはチェプオハウ(魚の汁物)という有名なアイヌ民族伝統の料理を家庭科室で味わいます。食物を巡る命の繋がりを実感しサケの学習が完結します。
 ある子どもは、この学習の感想文を泣きながらもってきたといいます。そこには、サケへの感謝と食べ物を無駄にしないという言葉が綴られていました。アイヌ民族の考え方・生き方に学ぶことによって、自分たち自身の暮らし方を捉え直したと言える学習です。

⑤全国への「出前授業」
 春、末広小の運動会では、種目の一つとして全校児童と全保護者がグラウンドに大きな輪をつくり、千歳アイヌの伝統的な輪踊り「ホリッパ」を踊ります。輪の中で唄い、独特な掛け声で励ましてくださるのは、日ごろ講師となって教えてくださるアイヌ協会の会員の皆さんです。中央の演台にはエカシがカムイノミの後と同様のエムシ(刀)を掲げた姿で皆を見守ってくださいます。
 近年、末広小から市内外の学校への「出前授業」 が、アイヌ協会と千歳市・市教委の後押しによって盛んになっています。千歳市内の小学校の半数に、アイヌ民族文化財団のアドバイザーとアイヌ協会会員がグループを組んで出向き、末広小での学習のエッセンスと作法で授業を行っています。

3.和人とアイヌ民族との関係を学ぶ

 以上が末広小学校からの報告に則した記述です。前に紹介した「とかちエテケカンパの会」の教育活動は、主としてアイヌ民族の子どもたちを応援し、そこから日本社会を変えようとする活動でした。末広小学校の取り組みは、アイヌと和人の子どもたち両方を応援する取り組みだといえます。アイヌ民族の生活や文化に学ぶことをとおして、和人も含めて全ての子どもが生活や心を豊かにできることを示しています。このような実践をしている学校はまだ少なく、今後も取り組みが広がっていくことを期待したいところです。
 今後の課題として感じる一つは、アイヌ民族のことについていろいろと学ぶことから、和人についていろいろと学ぶことへとどうつないでいくかということです。サケのところで述べたように、わたしたちはサケの命のリレーを受け継いで、その命をいただいています。わたしたち自身も、命のリレーの結果ここにいます。そうだとすれば、アイヌ民族の人たちにも、和人たちにも、そのリレーの歴史があるはずです。そして、それは一人ひとり違っているといえるでしょう。
 アイヌ民族の歴史や文化を学ぶというのは、さきの子どもの感想にもあったように、とりもなおさず、和人が自らの歴史や文化を捉え直すことを意味しているはずです。問題は、アイヌ民族の人たちが自らの暮らしや生いたちを差し出して子どもたちの学習に供しているのに対して、和人の側がそれに見合うように自らを差し出しているのだろうかということです。
 たとえば、北海道にいる和人たちは、そのほとんどが明治になって、北海道以外のところから移り住んだ人たちの子孫です。そういうそれぞれの個人の歴史を捉え直すような学習はどれほどされているのでしょうか。
 北海道の人口変動には特徴があります。人口統計データベース というサイトによると、1869(明治2)年の北海道の人口は58,467人とされています。それ以後、急速に増加し続け、1945(昭和20)年には3,518,389人となっています。北海道の人口が一番多かったのは、1997(平成9)年の5,698,506人です。明治になってから1997年までにおよそ100倍になったということです。これほど増加した都道府県は、ほかにはないでしょう。ちなみに、全国の人口変動でいえば、江戸時代の人口が3000万人ほどですから、だいたい4倍になったというほどの増加にとどまります。北海道の人口増加の多くは、北海道以外からの社会移動によって発生しています。それぞれの子どもたちの家族をたどると、ほとんどの場合、いずれかの時期によそから北海道に渡ってきたということです。
 このような点に焦点を合わせた学習はどれほどなされているでしょうか。圧倒的少数派のアイヌ民族には、先祖代々に関わる歴史や体験を尋ねているのに、圧倒的多数派の和人に対しては、多くの場合、「和人」ということだけでそれ以上に具体的な生いたち学習はなされていないのではないでしょうか。和人というのはのっぺりとした集団で、個々の歴史や体験はないかのようです。これではバランスを欠きます。
 よそから北海道に移ってきたなかには様々な人がいます。移住前の地域で裕福な暮らしをしていたという人ばかりではないでしょう。アイヌ民族から学ぶ学習をかわきりに、それぞれの和人が移住してきた理由などを確かめていく学習へとつないでいくことはできないものでしょうか。
 アイヌの人たちだけが自分のルーツを明かしたり確かめたりするのでは、和人との間でバランスを欠くといえます。和人の側も自分たちのルーツを確かめたり、そこから見えてきたことがらを出していったりすることによって、一方的にならない学習が成立するように思えるのです。そのことによって見えてくるのは、渡ってきた和人のなかにもいろいろな人がおり、日本社会のなかで不利な立場にあった人たちが、北海道開拓を担ってきたという面もあるということです。被害者が加害者になるという事実を共有することにより、新しい発見が出てくるのではないでしょうか。

4.和人にとっての自己解放とは何か?

 一人ひとりの和人が自らの歴史と体験をふりかえり、捉え直すことは、北海道だけではなく、全ての地域で求められることがらです。アイヌ民族について学ぶことから自分たちの歴史と体験を捉え直すという学習も、全ての地域で求められていることがらです。
 そもそも、アイヌ民族の人たちは北海道以外にもたくさんいると思われます。北海道でアイヌの人から話を聴いていると、親戚などが東京・大阪など各地に働きに行ったというエピソードが出てきます。ちなみに、ある人は、わたしの住む大阪に自分の夫が働きに行き、そこで亡くなったと言っておられました。ところが、その大阪では、アイヌ民族の人がカミングアウトするという例がほとんどありません。差別される恐れの方を強く感じて、カミングアウトしてもいいことはないと判断しているからなのかもしれません。もしもそうだとすれば、そういう大阪でこそ、アイヌ民族の歴史や体験をとおして、自分たち自身の歴史や体験を捉え直すという学習が求められているともいえます。実りある形でそれが行えてこそ、アイヌ民族の人たちのカミングアウトも増えていくのではないでしょうか。

 ここまでで、それぞれの人権課題に関する記述を一区切りとし、次回から数回は、個別人権課題について考えるなかで見えてきた共通の課題をご一緒に考えてみることにしたいと思います。

【参考・引用文献】

  • 公益財団法人アイヌ民族文化財団ウェブサイト
  • 千歳市立末広小学校ホームページ
  • サケのふるさと千歳水族館ウェブサイト
  • 北海道統計書(北海道ウェブサイト)
  • 人口統計データベース