学び!とPBL

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OECD東北スクール③
2018.10.22
学び!とPBL <Vol.07>
OECD東北スクール③
三浦 浩喜(みうら・ひろき)

1.生徒たちが獲得すべき力

 初期のOECD東北スクールのカリキュラムの基本設計は、OECD側が行いました。カリキュラムは「OECDキーコンピテンシー」、すなわち「1.社会・文化的、技術的ツールを相互作用的に活用する能力」、「2.多様な集団における人間関係形成能力」「3.自立的に行動する能力」に根ざしており、定期的に生徒の自己評価でその能力の変化をモニタリングしました。しかし1年もすると、OECDキーコンピテンシーのままでは抽象的で、教員も生徒も評価しにくいということになり、独自の評価尺度をつくることになりました。
 教員や企業人、NPO、研究者らが一つのテーブルを囲んで「復興の担い手として必要と考えられる力」を、思い思いに出し合い、それをKJ法で整理し、一つのルーブリックをつくりました(表1参照)。これを参照ツールとして生徒たちが集中スクールの度に自己評価を行いました。こうした調査をすると必ず出てくるのが、能力の高い生徒ほど自己批判力が強く低評価になりがち、逆に自己評価を軽んじる生徒は高く評価してしまう、などの現象です。これを少しでも改善するために、生徒同士で相互に確認したり、教員がチェックを行ったりしました。
図1 OECD教育スキル局長イッシンガー氏を囲んで さらには、このプロジェクトには福島大学の学生もサポーターとして参加しており、教員と生徒のパイプ役として重要な役割を果たしていました。生徒たちの立場に近いことから、このルーブリックのチェックを生徒ごとにていねいに行ってくれました。
 その詳細な結果は別の機会に提示しますが、個々人の能力の変化以上に興味深かったのは、地域間の平均値の開きでした。OECD東北スクールへの参加形態は地域ごとに大きく異なっており、市内の複数校の生徒会役員で参加しているところもあれば、単一校の部活動で参加しているところ、NPOが組織しているところ、など様々でした。指導方針は共有していたつもりですが、実際の環境や指導は地域ごとに大きく異なっており、それが生徒たちの能力の変化に如実に現れます。例えば、生徒の自主性を尊重している地域の生徒の能力の伸びは著しく、教師の管理が強く活動を制限している地域の生徒の伸びははかばかしくありません。研究を進める上で、こうした差異は極めて重要な課題を提起したと言えます。

表1 OECD東北スクールルーブリック
アセスメント(5段階) 高校生 1.普通 3.クラスに1人レベル 5.県・地域で1人レベル

2.教師たちの変化

 生徒たちに新しい能力を獲得させるためには、新しい教育が必要です。新しい教育を進めるためには、そうした能力を持つ教員の存在が不可欠です。OECD東北スクールの表向きの目的は生徒の能力を高める教育プロジェクトですが、同時に新しい教育をつくる教員の研修ももう一方の重要な目的でした。集中スクールで生徒たちがワークショップを行っている間、教員は別室で国内外の教育学者の問題提起や教員の実践のレクチャーを受けたり、討議したりすることが度々ありました。
図2 佐藤学氏、田村学氏によるレクチャー そうした教員研修に対し、示される反応も様々でした。「これまでの研修で聞けなかった内容で、視野が広がった」という意見もあれば、「言っていることはわかるが、学校の現状では受け入れるのは難しいのではないか」という意見に大別されます。実際、地域ごとの活動でも、新しい実践フィールドを得たとばかりに実践の幅を広げる教員もいれば、何か新しいことをやろうとする度に周りとの間に摩擦が生じ、意欲が萎えてしまう教員や、いらだつ教員も少なからずいました。
 プロジェクト学習を進める上で、その方法論も重要ですが、それ以上に実践を進める環境、特に人的環境がきわめて重要です。プロジェクト学習は、職員会議でやることが決まったから自動的に進むというものでは決してなく、次々とやってくる新しい課題を乗り越えていくためのチームワーク力が不可欠です。志を同じくする教員が最低一人でもいることが条件です。
図3 シュライヒャー氏を招いて教員研修 そもそも、「OECD東北スクール」は生徒と同じように、メンバーが志一つにして集まってきたわけではなく、とりあえず集まった、実際プロジェクトが進むと「想定していたこととイメージが違う」という大人も少なくありません。これは非常に重要な問題です。プロジェクトの前提となるのは、同じ志を持つ人がコアメンバーを形づくることです。OECDのシュライヒャー氏(現教育スキル局長)は「PISAは5人の同志から始まった、残りは全て反対者だった」と言っていました。OECD東北スクールがうまく進まないのを見かねて「いいか、ミウラ、プロジェクトを始めるには人を選ばなければダメだ。たまたま集まった人でプロジェクトを進めるのは無理だ。」とシュライヒャー氏から諭されたこともあります。
 プロジェクトは海に出た一艘の舟、運命共同体だと、痛感しました。

3.東北復幸祭〈環WA〉in PARIS前夜

図4 パリイベントの構想を発表する生徒 文字通り無数の問題を抱えたまま、プロジェクトのゴール「東北復幸祭〈環WA〉in PARIS」まで半年と迫りました。資金調達では、パリのイベントに必要な額1億円どころか、4分の1にも届きません。パリ側で集めてくれると約束した5000万円も「0円」でした。もう既に東北への復興熱は冷め始め、支援から撤退し始める企業が増えてきたのです。世界ではその後も大規模災害が起きており、私たちの大震災も原発事故もその中の小さな一つに過ぎなかったのです。
 そのために、この段階になってもイベントの規模は決まらず、屋外ステージはできるのかどうか、象徴となるバルーンはいくつ上げることができるのか、そもそも生徒は何人渡仏できるのか、成功指標とした15万人を本当に集めることができるのか、全く見通しが持てません。パリ側のイベント会社との交渉も様々な誤解が生まれ、費用面で国際的な問題が生じました。教員と生徒の間、教員と事務局の間で数限りないすれ違いも起き続け、事務局は連日そのリカバリーに忙殺され、消耗しました。全てが泥沼状態でした。
 希望が持てず、プロジェクトから離れていく生徒、教師、スタッフも既に出始めました。