学び!と歴史

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新島襄 愛国の至情―日本富強への思い【大河を読み解くシリーズ5】
2013.10.30
学び!と歴史 <Vol.66>
新島襄 愛国の至情―日本富強への思い【大河を読み解くシリーズ5】
大濱 徹也(おおはま・てつや)

承前

 新島七五三太は、アメリカの地で徳川将軍家から薩長を中心とした新政権が誕生した時代の形勢をみつめながら、日本への帰国の時をさがしていました。1870(明治3)年4月の弟新島双六宛書簡は、弟が知らせてきた「日本当今之形勢承知いたし、偏に四海之波涛静まりて朝廷人才を挙げ蒼生に其居を安し、文を盛し、武を構し、我朝の欧羅巴の各国に比肩せんを望む」と、新国家誕生に強い期待を表明しています。ここに新島は、1872年2月安中藩大目付であった飯田逸之助に帰国したいとの思い述べ、その助勢を乞うたのです。そこには、「真神の道即ち耶蘇の福音」が日本富強をもたらす器となし、新日本の建設に参画する思いが吐露されています。

新日本への思い

 新島は、愛国の至情から国禁を犯したこと、アメリカにおいて欧米各国がなぜ「強大」になったかを探索したところ、「独一真神」「ゴッド」を信ずる人民が栄え、それを忘却した国は「愚鈍」に陥り、亡んでいることを歴史が証明していることを学び、この「耶蘇の福音」こそが日本に必要なのだと説き、そのために働き、日本の文明化と富強に尽すとの決意を、世界史の興亡を略記することで縷々述べています。まさにキリスト教は、文明国の宗教とみなされ、文明の器として説かれたのです。ここに七五三太は、日本のヨセフたる襄となり、日本の富国強兵をめざす精神の器となる「独一真神」を説く「耶蘇」の宣教師として帰国、新生日本を担う人間育成をめざします。

兼て御存之通、小生義公禁をも不顧、臥櫪千里に駆する志を起し、遂に海外を跋渉し、千辛万苦今日に至るは、全く国を愛する深による、然し国禁を犯せし段、国刑を免れざるを得ず、其のみならず、小生亞国へ参りしより、如何して欧洲の各国及米利堅の、日に強大に相成しやを克々探索せし所、漸く其妙奥を見るを得たり、亜細亜及び欧羅巴の歴史を見るに、独一真神、無所不能、無所不知、無所不在、無所無終、「ゴッド」、万有之造物者、見て不得、取れとも不可取の霊神、帝中の帝、王中の王の真理、妙動を信奉せし人民は必らず栄へ、其を忘却せし国は益愚頓に陥る、四千年以前に興起せし「イジプト」(エジプト)、其後「エツシチヤ」(アッシリヤ)、「バビロン」、「ポルシヤ」(ペルシャ)、「グリース」(ギリシャ)、羅馬(ローマ)の盛なりしは、今何所に在る、印度は甚古き国なれとも、至愚の仏法を信奉せし故、益愚頓に相成候て、空く英人の所領と成れり、且支那日本に於て一切此妙動を知らざりし故、当今の日本は百年前の日本に格別の相違無之、唯古史旧経を索る事にして、一切開花に進まず、是ぞと申す新発明も不致、却て当今之日本は、百年前の日本に劣れりと思れ候、此真神の道即ち耶蘇の福音は、孔孟の道に比すれば、唯馬と鹿の相違なるのみならず、実に月と鯰魚との相違に斉く思れ候、耶蘇の教は益栄え、孔孟之道は益衰ん事必常なり、依て小生も頗る此道に志し、当今は「アンドワ」邑の神学館に此道を攻め居候故、何れ帰国之上は此道を主張し、有志之子弟へ相伝へ、益国を愛し民を愛するの志を励まさん事を望む、且兼て学び得し地理、天文、窮理、精密等の学をも伝へ、富国強兵之策を起すのみならず、人々己を修め、独を慎むの道を教へんと存候、但し人々己を修め、其身を愛するを知らば、己の住める国を愛せざるを不得候事、自然の理なり

富国強兵・人心一致の器

 このように愛国の思いを認めた書簡は、己が信ずる耶蘇教が日本にポルトガルから伝えられたキリシタン宗門と異なり、「当今強大なる英国、プロイセン、合衆国にて信奉せる教道」であるとなし、「国を憂へ、民を愛する志」を起し、富国強兵、人心一致をもたらすものと説き聞かせます。そこでは、ローマ法王の下にあったイタリア、スペイン、オーストリア、ポルトガル、フランスが一時強大であったが、現在ではイギリス、アメリカ、プロイセン等の下であり、強兵を誇ったフランスもプロイセンに降参したように、「ゴッド」を信奉する国は甚栄へ、之を閑却せる人民は必らず亡ぶと申候、是道は奇々妙々、人心一致する事、駭に堪たり」、と近世の歴史をふまえて語りかけてもいます。
 いわば耶蘇宗といわれるプロテスタントの優位性は、「独一真神の真理」を奉拝することが英米等の国力を生み出した活力であるとなし、日本の文明化を果すためにも必要なものとみなされたのです。新島襄は、ここに吐露した思いを日本で実現すべく、独一真神の道を説き、日本の新生をめざしました。この独一真神の世界は次のように紹介されています。

亞国に行れる教は、実に独一真神の真理にして、我等の奉拝する所の者は、唯不可見の「ゴッド」、我輩及び天地万物を造れる天帝なり、扨此真神を奉拝し、且真神を信愛せば、必らす国を憂へ、民を愛する志を起さん、且富国強兵、かつ人心を一致せん事、此妙道に如く者なからん

 この独一真神の世界に身を投じた新島襄は、Vol.60で紹介した「新島襄の初心」で述べましたように、「一国を維持するは決して二三英雄の力に非ず」「智識あり、品行ある人民の力」、「一国の良心」ともいうべき人間を育てることが国家富強の基本であるとの念で、キリスト教信仰による大学、同志社大学の創設をめざすこととなります。しかし新国家は、新島襄が思い描いた「一国の良心」を担う人民の力に期待する国家像とは逆に、軍事力に支えられた富国強兵路線を駆け足で突き進んでいきます。ここに愛国の業に己を投じて生き急いだ新島襄の悲劇の相貌が読みとれましょう。

参考文献

  • 『新島襄全集3 書簡編1』同朋舎 1987年